第千六百九十二話
お母さんが和室のど真ん中に鳥居を設置していた。
お父さんと一緒になって立てたのは、ガチの木製のやつじゃない。
プラスチックみたいな触感だ。というより、ブロックおもちゃで作りあげられていた。
お父さんがへばりきった顔をしているので、作ったのだろう。急いで。
柱部分にお母さんが手のひらを触れると、そこから継ぎ目を青白い光が走り、巡っていく。
みるみるうちに材質が変化して、より丸みを帯びていき、樹皮が生えて覆っていくんだ。
赤のブロックを覆う樹皮は黒に近い。お母さんがもう一度たたくと、分厚い樹皮がぱらぱらと落ちていく。吹きつけられた砂埃が落ちるように、落ちて、散って、消えていく。再び露わになった柱は見事に赤く塗られた太い樹の幹だった。
ただの鳥居。方位だのいわくだのなんだの全無視の、ドラちゃんの不思議道具みたいな鳥居の完成だ。
「これを通れば行ける。久しぶりに作ったわー。いつぶり?」
「天国にご挨拶に伺ったとき以来じゃない?」
「今年のは、ほら。学校から行けたから。その前よ」
「ん~。覚えてない! 忙しすぎたね、僕たちは」
夫婦の会話を聞きながら「ん?」と首を傾げる。
そういえば、神々の集まりに私たちが招かれたとき、お母さんたちもいた。緋迎さんちだっていた。天国に行けた。なんなら、お母さんは私よりも有名人っぽかった。アマテラスさまのお使いで天国をあちこち移動すると、お母さんの名前を出してくる人がちょいちょいいた。
そこでふと疑問が。
「お母さんってさ。天国に足を運ぶことがある、んだよね?」
「しょっちゅうじゃない。私たち現世に生きる者の居場所じゃあないから。まあ、ごくたまに?」
前半についてのうんちくはいずれ聞くとして!
「じゃあ地獄にお姉ちゃんがいるっていうの、ずっと前から知ってたんじゃない?」
お父さんが気まずそうに目を逸らす。
ぷちたちは空気が微妙になったことを感じて、不安げに私を見ている。
対して、お母さんはおばあちゃんにそうしてみせるように、むすっとした顔で首裏を撫でた。
「だとしたら、なに?」
私も私で、思わずむっとする。
けど、一拍おいてから、深呼吸をして堪えた。
この部屋で、お母さんが神棚を前に憂いていたことを知っている。
そもそもが複雑だ。
お姉ちゃんは地獄で新たな家の子となった。死した魂として、地獄で暮らすお姫さま。
それをいきなり現世へ連れてこれはしない。お姉ちゃんはすでに閻魔さまたちにとっても大事な娘で、大事な家族の一員になっている。
理屈じゃどうにもならない。
正論はどちらの立場からでも振るえて、どちらがどちらを論破しようと先はない。
ないんだ。その手はまったくもって、意味がない。
どちらにとっても強い繋がりのある前提を、論理で解決するのは難しい。
逆に、だからこそ論理を用いるのだという向きもある。
ただ、人の作りだした手段はいつだって万全とは言いがたい。
未熟で未発達な面があるから、この手の事情はこじれまくる。
だいじな娘。お母さんにとっても、閻魔さまの奥さんにとっても、そこは一緒だ。感情的に、どちらも譲れる話じゃない。
ちょうど似たような話がある。大岡裁きだ。そこでは子の母を名乗るふたりの女性が子を引っ張り、片方が離して決着。大岡越前が「子が痛がるのに引っ張るものがあるか、先に離したほうが育てよ」と言ったそう。
ただし、お母さんも、地獄のお姫さまも、どちらも手を離した。互いにあなたは大事な娘で、好きに選んでいいとした。さらにはお姉ちゃんに求めなかった。ただ、地獄でお姉ちゃんのまわりのみんなが与えようとした。お母さんはあえて距離を置いた。それも、お姉ちゃんが現世に来るようになってからは事情が変わって、お母さんもまた、地獄のみなさんのようなスタンスでいる。お父さんもだ。トウヤはどうだろ。私は、どうだろう。
ずっといてくれたらいいと思う反面、地獄からお姉ちゃんを奪っていいという話にはならない。結局のところ、選択はお姉ちゃんの権利で、それに対して引き留めたくなったり、私の思いで引きよせようとしたくなったりするというのが本当のところだ。
けど、それってお姉ちゃんにとってはしんどいよね。
重たい選択と責任をみんなに押しつけられたように感じない? そのとき、安全基地ってどこにあるんだろう。カゲくんたちゲーム仲間やゲームなのかな。
お母さんとお父さんにとっても、地獄の閻魔さまたちにとっても、あるのかな。
ないと不安になる。不安定に揺れると、落ちついていられない。余裕がなくなっちゃう。
しわ寄せは選択に出る。
忍耐。お母さんがもし、お姉ちゃんのことを知っていたのなら、お姉ちゃんを連れてくるまでの時間に、どれほどの感情が渦巻いていたのか。
私、そんなのまるで気づかずに、必要だと感じるままにお姉ちゃんを引っ張ってきた。
結論でいえば、よかったと思ってる。
地獄でお姉ちゃんが荒ぶった理由の中に現世への未練があるのも確かで、本来ならそれはどうにもならない類いのものだったとしても。
どうにかなっちゃったんだから、もうそれはそれで利用しちゃえばいいじゃんね?
そう感じる。みんなの選択の結果が、いまにある。
選択が、いつだって心地よい結果に結びつくとは限らず、いま取れる手でいかに最善を目指しても、痛みを和らげるので精いっぱいってことも多い。
だからいいじゃん、っていうのはただの暴力だ。暴論でしかない。
それじゃ痛みのケアにはならないからね。
できないこと、叶いそうにないことと出会いながら生きていく。
それをすこしでもできるようにするか、叶えるために必要な手順をクリアしていくようにするか、なんて話もある。けどそれだって、けっこうラッキーな状況だ。こうするしかない、という現実に打ちひしがれる状況は往々にしてあり得る。
小中とつらかった私も。シュウさんとケンカしていたカナタも。せめて地獄で認められるよう努める決意をしながらも耐えてきたお姉ちゃんも。現世への未練を知りながら、どうするべきか悩んでいたお姉ちゃんの地獄のお母さんもお父さんも。お姉ちゃんが地獄にいると知りながら、どうすることもできずにいたお母さんとお父さんも。
教授もアダムもウィザードも。マドカも、キラリも。トモに、ギンにさ? たくさんのみんなの顔が浮かぶ。ニナ先生とライオン先生だってそうだ。
そういえば、ニナ先生が前に結婚した男性は? 御珠を通じて入った不思議な空間で、あの人と思しき存在は、生き返りたいと、蘇りたいと願うのではなく、去ることを選んだ。あのとき私がカナタと一緒に行って尋ねたことは、あの人にとってどれだけ痛いことだったろう。
ほんとさ。
世の中、たいへんだ。ままならねえなあ!
だから易しくすぱっと済ませる言葉があると、ついつい「んんんっ! きんもちうぃ~!」ってなっちゃうのかも。だめだめ。それは、笑い飛ばすジョークにしか使えない。さあどうするのか、ということを考えるとき、済ませる言葉は偽りのゴールテープにしかならず、むしろ邪魔。
「ううん。行こ」
「よし」
みんな手を繋いで、とお母さんが促す。
ぷちたちが「がってん!」と、私の尻尾に飛びつく。
手を繋いでっていうのは、私にしがみつけって意味じゃあ、ないんだぞ?
みんなして容赦なく甘えてくるし、日に日に重たくなってきてる気がする。体重的な意味で。
お父さんとお母さんが鳥居をくぐる。儀式みたいなのは、特になし。
なのに前触れもなく、鳥居の枠の中に見えない水面ができているかのように、ふたりが通ると揺らぐ。それに身体がすぐに見えなくなる。文字通り、消えちゃうんだ。
「こ、これってさ」
「あっちにいったら、やばいのでは?」
「しんじゃうのでは!?」
「ゆうれいが、あーんってしてるのでは!?」
「それを言ったら、サメとかじゃないのぉ?」
「恐竜じゃね?」
みんな、落ちつこう。論点がずれてきてるから。
「宝島に行くんだよ? 準備はいい?」
「「「 ご主人、ファイトぉおお、ごーっ! 」」」
って、私かい!
◆
ママと呼ぶべきか、お母さんと呼ぶべきか、はたまた、ご主人のままなのか。
ぷちたちの悩みは、けれど私に共有されてない。
ただ、私が意識するようになったのを待ってましたとばかりに、ぷちたちの、特に主張の強い子たちが中心になって気づき、甘えてくる。態度は伝播していくようで、しきらず。なので私が気をつけるようにすると、今度は爆発する子が出てくる。
火山の噴火のようだ。
傷口からガスや溶岩が漏れ出る。
かさぶたは活火山の噴出口を塞ぐ手立て。我慢や忍耐は、感情というマグマをなんとか押しとどめる。すると、どうなる? 内側から外側へと、圧力が増す。ならばと外側から内側の圧力を押さえようと無茶をしたら? ますます圧力が増していく。脆いところから、いくらでもガスや溶岩が噴き出そうだ。すると、どうなるか。最終的には、より悲惨な噴火にならないか。
なんて。
かさぶた理論の発展形にできそうだけど。
私は火山と噴火のメカニズムについて、ろくに知らないこともわかったね!
あいたぁ。
ま、いっか。勉強すれば。
火山の科学かあ。参考にできそう! いいね!
さてさて、中途半端で不足した知識を土台にした理論なんて屁理屈よりもたちが悪いかもしれないけどね? まさしく火山の噴火のように怒る子がいる。泣く子もいる。どっちでもなく、むしろ全力で甘えてくる子もいれば、遊んでと求めてくる子もいる。
みんなの溶岩の底にあるお気持ちマントルが、いったいなんなのかは読み取れない。
ママでもいいし、お母さんでもいいし、ご主人でもいい。
そういう話を前にしたような気がして、なのになにかと忙しすぎて、気持ちがちっとも追いつかない。なんなら、ぷちたちの一瞬一瞬を大事にしようとすることで気づく、私自身を大事にしてこなかった事実が痛くてたまらない。
それを気にしてちゃあいられないけど、無視したらしたで、私の火山の圧力が増しそうでやばい。なにこの二律背反。頭がどうにかなっちまいそうだよ!
いまはいまで、お母さんたちと一緒に宝島の繁華街を歩く。待ち合わせとなる山側の宿場区画までは、だいぶ歩きそうだ。またしても、島が大きくなっている気がする。前より山を遠くに感じるし、その割に道路はいまもなお舗装されないまま。
なので交通車両といったら、相も変わらず馬車や牛車だ。飛脚もいるよ?
前より活気が増していた。
となれば当然、呼び込みの圧も増していて、とにかく賑やかだ。
あちこちから声がかかる。ぜひ寄って、いいものあるよ、甘いよ安いよおいしいよって。
「霊子払いは高くつく。特に通りに面した店は注意がいる」
「春灯の用事が済んだら、わっと遊ぶぞ?」
お母さんの注意にお父さんが話題を変えて、ぷちたちに呼びかけるのだけど。
自分がこどもの頃だったら、どう受けとっていたかを、しみじみ思いだした。
「「「 あいっ! 」」」
「「「 えーっ!? いますぐがいい! 」」」
「おなかすいた!」
「どこかで走れますか!」
ほかにもいろんな声があがる。
ところで、なぜに走る。どこで走る。私にはわからないぞ? どうした、その衝動!
縁日の出店のような店もけっこう出ている通りがあって、そこを通った日には、もう! 射的だなんだ、お面に綿あめ、ヤキソバ、リンゴアメ! とにかくぷちたちの目を引くものが盛りだくさん!
なので、私たちは三人そろってあえてその道を避けているんだけど、それでもすでにぷちたちの好奇心は燃え上がっていた。古書店もあれば、宝石店や、いわくありげな古物商店なんかもあって、実は私の好奇心もうずうずしていた。
ふり返って、尻尾を確かめる。
穴は見えない。見えるのは、ぷちたちがひっついているところだけ。
根本にくっついているし、肩にひっついている子もいれば、首の裏に座って頭をがしっと掴んでる子もいる。みんな自由だ。私はしんどい! カートを出そうと思って提案したけど、ぷちたちに却下されてしまった。何度も交渉したけど、だめ。泣く泣く現状維持。
これも訓練だと思えば! なんて、むり。夜にはいまの選択を恨めしく思うにちがいない。
自分の中に、これほど揺れる感情があるなんてって気づかされる。
ついで、ぷちたちにこれほど甘えも不安も伝えてもらえるなんてってことにもね?
求めは多い。願いも多い。好奇心は、いろんなものへと向く。
だけど、好奇心より先に怖いがくることも多くて、そういうときのぷちたちの安全基地は自分の仲間たちであり、私なのだ。ここが個人的に自分を情けなく思うところ。本当なら、私が最初に来るところなんだろうけどなーって。言ってても変わらない。頼れる安全基地になるのだ。
じゃあ、私は私の安全基地を作れているだろうか。
どうかな~! って、その話は昨日もしたっけ!
大事なので、いくらでも考えるってだけの話なんだけどさ?
それを意識するほど、なんだろな。
いまがやばい、だからこうしなきゃ! っていう発想に始まる、みんなにこれまで「私こうやる!」って言ってきたことのネガティブな側面が見えてくる。
それはどちらかというと、執着への道だ。
こうしなきゃ、こうならなきゃという気持ちは、そりゃあ現状を変えようとするときの原動力になりそうだけどさ。同時に否定を抱えている。安全基地を損ねる要素を腕にいっぱい抱き上げている。
安全基地を作る、というものと。安全基地をさらによくする、というものと。
その外へと飛び出して冒険をする、というものと。冒険での経験をよりよいものにする、というものと。
たぶん、どれも必要な手段や、挑戦すべき方向性って、違うものになるんじゃないかな? 具体性を増すほどさ。
仕事がない、雇ってもらえない、うまくいって雇ってもらえて低賃金で高負荷。奥さんがいて出稼ぎをしていて、こどもがいるけど学校に通うのに稼ぎに見合わない支出を求められる。なので、より危険でより高い賃金のお仕事をして、命を賭ける。けれど安全は保障されていなくて、死ぬ危険もある。おまけに負荷が高すぎるから、強すぎるアルコールか、現地でありだけど身体には強い害のある薬物を摂取する。すると、家族と一緒に過ごせないばかりか、明日も知れぬ命になるし、だけどそうでもしなきゃあ、こどもを学校に通わせられず、奥さんも生活が苦しい。
そんな場所も地球にはあってさ。そこでひとりひとりにあるといいなと思える安全基地の概念って、なんだろう。
ファクトフルネスでいう生活の段階って、いろいろとあって、社会的に問題となっている貧困と、その階層と、下にいくほど上がりにくい構造みたいなのはもちろんまずい。そこに読み取る衣食住の必要性は欠かせないに違いなく。加えて、学習の機会も、意欲の獲得も、大事な要素になるんだろうなって感じる。
意欲を育てられること。守れること。それも安全基地の要件だ。
だけど、環境があれば、その機能が自動的に備わるっていうものじゃない。
自分で育てていかないと備わらない、運動や心構え、あるいは知識や技術な気がする。
ついでにいえば学習の機会も義務教育がありますっていうんじゃあ、足りないんだよね。まだまだちっとも、なんだ。それはなにを意味するのか。
安全基地の概念って、きっとひたすら底上げを目指していく性質のものなんじゃないかな。
個人が、なんて話じゃないよ? 社会的な機能としてもさ? 安全基地としての能力が求められるって話だ。けれど、その内訳はゆめゆめ、権力勾配に帰する決定方法によるものじゃあいけない。それは話が変わってくる。
それって、別におっきなおっきな主語の話に限らない。
私にとってのお父さんとお母さんみたいにさ? ぷちたちにとっての私、みたいな話でもある。とすると、たくさんの種類がありそうだ。安全基地って。
それぞれにあったほうがいいね?
そして、遊びは安全基地の内と外、それぞれにありそうだ。
キラリたちと話している変身は? 外にある遊びとしてやりたい。安全基地として作るんじゃあなくって。私はいま、そう考えている。
ときにそれは、周囲からみて歪に変化する。
ピカソ展を見にいったときに調べて気づいた。彼はめちゃめちゃ恋多き人だ。奥さんがいても、年下の女性にアタック! 最初の奥さんとの間にひとりの息子を。愛人との間にひとりの娘を。さらにふたりめの愛人との間にむすことむすめを授かる。さらにさらに! 最初の奥さんが亡くなって、ふたりめの奥さんを迎える。これまでに出てきた人ではなく、新たな女性とだ。
彼の芸術は、彼の恋愛と深く結びついているといえば聞こえはいいかもしれないけど、ドロドロだったり、嫌がらせをしたりと、トラブル絶えず。そりゃそうだよね。
芸術においての安全基地。あるいは、仕事における安全基地。
それがもし、恋愛に焦点を置かれたとき?
人はパートナーを増やすのかもしれない。
あ、是非論は語らないよ?
婚姻が自由恋愛によるものに限らないから、結婚したふたりの安全基地はどうなのか。それぞれのこどもにとっての安全基地はどうなるのか。社会通念上、婚姻が必要な状態だという社会的な抑圧があった場合の安全基地と、安心が得られない場合の選択はどうなるのか。そして、いよいよ不安な前提が排除され、自分自身の安全基地として純粋に求める要素を、新たなだれかとの出会いに見てしまったら、どうなってしまうのか。
いろいろと考えるテーマがあるのに、手つかずなままで語らない。いや、語れないよ。
安全だろうという前提を無意識に持っていると?
たとえばこういう通りじゃあ、思いもよらない高値のお店に入っちゃうことになりかねない。
逆になにもかもが危ないって恐れてばかりいると?
どの店も怪しく見えて、歓楽街のかの字も味わえない。
この二項対立じゃあ、どちらも過剰すぎてやばい。
欠けたものを見つけては意識しまくり、執着して、穴をなんとかしなきゃと焦る。
なんとかしたほうがいいにしても、心が安全基地から追い出されて怯えた状態になると? なんともしようがなくなっちゃう。余裕が損なわれるからね?
認めるとか、受け入れるとか。あるいは欠けた状態を許す、とか。
そういう段階がある。
この私で、いいのだ。この私のまま、いまがあるのだ。みたいな、そんな感覚が。
自分が接するどんな人の、どんないやなところや、自分が身を置く社会の、どんなにもむごい部分さえも、いまはこうなのだと認識する。感情に紐づかず、欲求や願望に紐づかない、まず前提となる認識が。
心穏やかに「ま、こうだよなあ」って思えて始めて、いまの状態にある安全基地の欠損に「あばばばばばば!」とあわてる心をなだめられるんじゃない?
あれが必要、これがなきゃだめ、と焦るうちは間に合わなくってさ。
ここに矛盾があるんだよね。
たぶん、ひとりでは、心穏やかに「ま、こうだよなあ」って思える境地には、なかなかなれないんじゃないかな。生活が安定していて、精神的に脅かされてもおらず、いまの自分をふらっとらふに大丈夫だと抱き締められる、そんな境地っていうのは、たぶんひとりでは至れない。
それができるとしたら、それはもうすごいことで。とてつもないことでさ?
あとは、下地があるんじゃないかな。それができるようになるための、下地が。
だから獲得するのは非常にむずかしくって、だれでも備えられているってものでもなくってさ。
なので、みんなで安全基地をメンテしながら、その先に目指すなにかしらの変革を果たそうという冒険をするのも、かなりの難問になっちゃうんじゃないかな。
前提として、もっともっとあるといいものがあるんじゃない?
そこでの乖離が、私をどんどん夢から覚ましていくようで、実はそれもつらくてさ?
そのつらさは、これまで会ったいろんな人たちの弱さに触れて、否応なしに世界が広がった成長痛みたいなところがあって。
だからって、遊びの大事さが曇ることはない。
その輝きは、色褪せない。
とびきり大事なものなんだ。
確信がある。
だけど、それをキラリたちにどう伝えよう。
答えが見つからないまま、みんなの待つ場所へと近づいていく。
大通りが拡張されていて、木々が生えていた。花びらが舞う。中には毛虫もいるかもしれない。モンシロチョウやモンキチョウがたくさん飛んでいた。セミの声も遠くに聞こえる。
整備されて道にある水路から、水の流れる心地のいい音がする。
草原や田園地帯に行けば、カエルの鳴く声がいっぱい聞こえることだろう。
ぷちたちと過ごすのなら、こういう場所がいい。
音が賑やかなのも個人的には好きだ。
耳は性器の隠喩だという。そういうムードのときには性的な刺激を感じるってさ。メタファーとして利用した作品もたくさんあるのだとか。
そこまで過激な話題じゃないけれど、獣耳から入ってくる音の刺激は刺激的。
ぷちたちにとっても、そう。
こうして歩くようになったのは本当にごくごく最近のことだから、ますます刺激に敏感なのかもしれない。
チャレンジ精神旺盛な子さえ、いまは冒険どころじゃないみたい。
ならばと意気込んで、
「左に見えますのはぁ~」
ガイドとしゃれこむ。
みんなにいろいろ説明したり、タマちゃんや金長ちゃんがそれぞれに経営しているチェーンならご挨拶したりして、緊張を和らげる。
お母さんとお父さんが急かしてくるかと思いきや、一緒にガイド役に回ってくれた。
ほんと感謝。超感謝!
たぶん、最初は根拠のない安心が必要で。
それがどんどん、中身が見えてくるとよくって。
つぎに、どうにかできるように学んでいけたらよくって。
一足飛びにはいかない。
実が伴わないと、なくなったときに途方に暮れちゃうからさ?
そういうものを、ぷちたちと共有しながら私も学んでいくのだ。
身体のいたるところに、ひっしとしがみつくぷちたちの体温を感じる。柔らかい熱は、私ひとりじゃ感じ取れないもの。触れて感じる穏やかな気持ちと愛しさを手がかりに、私たちはゆっくりと進むのだ。
つづく!




