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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千六百八十八話

 



 たとえば百人一首でいうと、はじめは飛鳥・奈良時代。平安時代を駆け抜けて、鎌倉時代まで。

 通して集められた歌、百人、一首ずつ。

 競技かるたを通じた青春の話という印象をちはやふるにもっている。主人公の千早ちゃんが大事にしている一首がたしか、在原業平のちはやぶるで始まるやつじゃなかったっけ。

 アニメも素敵なんだけど実写映画も素敵でさ! ほんと、おすすめ!

 で、そのちはやぶる一首は屏風歌のひとつという。お母さんが持ってた百人一首解剖図巻によればね! そんな分け方があるの、初めて知ったよ?

 恋の歌にしても、歌会で詠むまえにお題を決めてさ? 恋歌の、これにしよう! としていたみたい?

 忍ぶ恋。別れ。結ばれた恋。結ばれたけど、離れた恋などなど。

 泣きぬれば、鐘がなるなり法隆寺! だっけ。あれ!? なんかちがう。

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺だ。しかも俳句じゃん! 正岡子規のもの。正岡子規というと、明治に亡くなった俳人であり、歌人。短歌もいろいろ。検索すると、ぱっと出てくる。写生、写実による、見たままを写し取ることを好んだそう。それは彼の詠む俳句にも通じているそうだ。

 逆に修辞技法には否定的だったんだって。直喩、隠喩、換喩。他にも、もろもろ。

 現実が目まぐるしく移りゆく時代を生きて、しかも病にかかった彼の見る世界はどんなものだったろう。見たままを書こうとした彼の心は、ぱっと読んだときと変わらず読んだままのものだろうか。わからない。

 言葉は豊かだ。

 いかようにも捉えられる。

 逆に言えば、その幅が厄介だ。

 解釈の幅が増えるから、だけじゃない。読み取る人によって変わるから、だけでもない。補完と、その手間によって生じる不和はときに悲惨なものになり得るからだ。手間を取っていられないときには、まずもって機微を読み取らなければならない会話が煩わしい。

 その煩わしさをあえて「踏みこむなかれ」と手段に用いる人もいる。排除するための方便にする人さえいる。そう見えて、実のところ、歩みよる術を知らないケースもある。術を知らないだけじゃなく、あるいは知っていたとして、歩みよる利点をどう取るかがまた変わる。

 豊かさが自由度の高さに直結するとは限らない。

 たいへんだ!

 じゃあ、どうする?

 伝わる人だけ伝わればいい?

 わかる人だけわかればいい?

 どうせみんなとはわかりあえない、伝えきれないのだから、合う人と出会えることを祈り、もし出会えたときにはその縁を大事にする?

 そういう手もある。

 だけど、初対面の人を相手に一切、わかりやすく伝える努力をしなかったら? そもそも合う人と出会えるきっかけが減りそうだ。誰もが心の中身をつまびらかにして生きてるわけじゃないからさ?

 わかる人にだけ確実に伝わる言葉よりも、なるべく大勢に伝わりやすい言葉を選ぶ。

 宣伝文句を考えて、とか。広告するなら、どういうキャッチコピーにする? とか。考えるんなら、どうする? やっぱり「ハリウッド、震撼!」とか「全世界が泣いた!」とかのほうが、使いやすそうだよね。

 ジョン・ウィックって映画シリーズがめちゃくちゃ好きなんだ、私。亡き妻から送られた犬を殺された元暗殺者が復帰。マフィアのドンの駄目な息子に仕返しをして、ついでにマフィアもぶっつぶす。一作目がそんなストーリーなんだけどさ。

 マフィアのドンがジョン・ウィックを知らない息子に、彼の恐ろしさを説明するシーンで言うの。「あるとき彼はバーで三人を殺した。鉛筆でだ。どうだ、わかるか? 鉛筆だぞ!」みたいなことを。

 仮にだよ?

 ジョン・ウィック一作目の宣伝で「鉛筆で三人を殺した元凄腕暗殺者! 亡き妻から贈られた犬を殺され、キレる! キレる! キレまくる!」と、マフィアの一員を殺していくシーンを挿入したら、どうかな?

 え、えんぴつ? それって、どうなの? って、きょとんとしない?

 十五秒くらいの宣伝だとしたら、あとセリフで入れられるのはせいぜい「ジョン・ウィック、上映中!」ってとこかなー。三十秒だったら、もうちょっと情報量を入れられるけど。上のラインでいくと? 私なら、シーンを流す時間を増やす。なんなら、三十秒ないし一分の宣伝なら、マフィアのドンが息子に説明するシーンを入れちゃう。

 だけど、限られた時間で映画の内容を語って、どれだけ聴いてくれるのか。

 そこ考えたらさ?

 そうだなあ。

 この男! こわい! こわすぎる! ハリウッド一、敵に回してはいけない暗殺者爆誕! みたいに言ったほうが、映画あんまり見ないか、デートで映画に行く層には受けそうな気がしない? 鉛筆で三人を殺した男よりはさ。

 ジョンを演じた役者さんは映画沼にハマると出会いやすい人気者のひとり。なので、彼を看板にするっていうのも考えられるかな。どうだろ。絵に出ちゃえば「わかる人はわかる!」ので、主演をだれだれがやりますって、あえて看板にはしないかな。

 それって、なんだろ?

 うなぎ屋さんが「うち! うなぎあるんで!」ってどや顔で言うような感じかな? それともお寿司屋さんが「うち! いまマグロフェアやってるんで! 三崎のマグロ大量入荷してるんで!」ってどや顔でいう感じかな――……ああでも、それだとお客さん集まりそうな気がしないでもない。実際、その手の宣伝やってるもんね? マグロフェアなら中トロかねぎまぐろあたりを狙うなあ! おいしいもんなあ!

 じゃなくて。

 うなぎ屋さんの例が近いかな。

 言うまでもなく、うなぎはスター! うな吸いもいい。ひつまぶしもいいけれど! 平賀源内が「土曜は丑の日!」と宣伝を決めてから時が流れて、うなぎはスター。

 だけど絶滅危惧種に区分されていて、世界中で「やべえ……やべえよ……」ってなっているそう。現状では数が多いものの、減少をおさえる管理がなされていないから「やべえぞ」って認定されているという話も聞く。ウナギが増える速度よりも、人が食べる速度が上回れば? 絶対数が減っていく。だけどウナギのメカニズムはまだまだわかっていないことがあって、養殖もやばい費用がかかるそう。なので、育て、増やすことにまだ、人は適切なアプローチができていない。なので、減る速度のほうが早くなっているそう。

 うなぎの話になってきちゃったね?

 ま、いいや。どうせだし、ちょっと続けちゃおう。

 フォアグラが海の向こうで問題視され始めた。ダチョウを強制的に太らせて、脂肪肝状態になった肝臓を取る。ダチョウは死ぬ。食肉産業における動物たちへの人間の振る舞いは、ありかなしか、みたいな論争がこのところ熱を上げ続けていてさ? フォアグラ作りも注目を浴びているそう。

 フォアグラだけじゃない。キャビアもだ。チョウザメの卵は、どれだけの値で売れるのか。フォアグラは? お金になるよ?

 待ってました! ここで、お金が必要な人たちの登場です! チョウザメの密猟を。肥え太らせてでかいフォアグラを。管理? 知ったことか! 金がいる! そして買う奴がいる! なぜか? 食べる奴がいるからだ! 需要が高まれば? 供給に回れば、金が手に入る!

 というわけで、やろうども! 仕事だ!

 となる。

 ウナギもそう。

 違法行為がまかり通り、管理しようとする人たちや、適切に育てていこうとする人たちの手の届かないところで流通が続く。なにせ、お金になる。それは求める人と、経路がなきゃ成立しないもの。だったら? やるでしょ。

 なんて人たちが出てくる。

 地元で働くのの二倍、三倍近いお金が手に入るのなら? その給与を得るのがそもそも不可能に近い場所に過ごしていたら? あるいは、かなりの投資をしないと無理だとして、元手がある家に生まれなかったら? どうする? やるでしょ。

 なんて状況が背景にあるケースも世界じゃけっこうざらにある。すると?

 なくならない。

 理想論じゃ変わらない。

 前提が違いすぎると、話は空回りをするだけ。

 枠組み。環境。あらゆる要素を、そこに読み取る。けれど、私たちは自分の前提からでしか、物事を捉えることができない。自分の偏見を通してしか、まず認識しない。

 なので「わかる」と断言する人を相手には、かなり身構えちゃう。やべえ香りがぷんぷんしてくるからね!

 なにせ、ほら。

 選んでる。わかるに魅力を覚える人、引力を感じる人を、選んでる。

 そこに恣意があるからさ? 身構える。

 言葉は豊かだ。

 けれど私たちは豊かな言葉を、言葉の豊かさほどには自由に扱えない。

 料理に似てる。

 お水を茹でる。白湯にして、飲む。じゃあ、白湯ってなに? 大辞林によれば、こう。


『沸かしただけで何も入れない湯』


 ちなみに新明解国語辞典だと?


『飲用のための、沸かした湯』


 ちなみについでに、ネットで検索すると?

 まあ! なんということでしょう!

 どえらい数の件数がヒットするよ?

 それを参考にするかどうかはさておくとして!

 白湯ひとつとっても「健康になる!」「ガンになる!」「万病にきく!」なんていう意見まで予測検索候補にでてきちゃうんだから、人って半端ない。

 まあ、でもさ。

 要するに、お水じゃん。

 ついでにいうと、お湯じゃん?

 何度がいいとか、水道水がどうとか、ペットボトルがどうとか、いろいろ言うけどさ。

 お水じゃん?

 で、お湯じゃん?

 塩を溶かせば塩水になる。野菜を入れて煮込めば、野菜の煮込み汁に。お肉やお魚を煮込めば、さらに出汁が出る。脂が入るとこってり! 朝や寝る前に飲むには、ちょっとね。重たくなっちゃう。

 日本だとかつお節や煮干しで出汁を取る。フランス料理でいうフォンだと? どうかな。日本でいうなら節にも種類がいろいろあるように、フランス料理にしてもそう。他の文化圏の料理にしたって、出汁を取るなら種類がいろいろある。

 世界にはたくさんの料理があってさ?

 豊かだ! ご飯ひとつとっても!

 あまりに豊かなのに、私たちはそのすべてを自由に作れやしないし、食べられない。それに、いまある料理がすべてじゃないし? すべてを味わわなければならないわけでもない。

 私たちは欲を頼りに先へと進む。立ち止まる。咀嚼し、味わう。

 だから映画の宣伝で「全米が泣いた!」なんて言われても、手元にジュースがあるのに「お水どうぞ!」って言われてるような気分になる。

 答えはノーだ。もっと映画について語ってよ。そんなんじゃ、ぜんぜん感じないの。

 どうせ好きなんだろ? 勝手にくるんだろ? なんて態度を自分勝手に見てとっては、がっかりするの。偏見で決めつけてるだけなんだけどね?

 そもそも前提がちがうかなー。

 あの味がよしとされる場所で、流れとちがう宣伝ができるとしたら? いや、たぶん、そもそも宣伝されないんじゃないかな。よっぽどの大作でもないと、地上波の宣伝にはのらない。あるいは、そこを狙わない。選択しないか、されないか。結果は一緒だ。流れない。

 動画配信サービスで、だよね。

 あとは、SNSかな。

 だけど注目されていない限り、ろくに登録されてもいないアカウントでなにを言っても、だ。映画雑誌に載るとしても、やっぱり大作ほどにはスペース取れないし、情報量に限りがあって、そこで尖った内容を出すと? 目も当てられないことになる、かも?

 本当は豊かであっても、私たちが利用できる枠組みも、あるいは接する枠組みだって、豊かさには追いついていない。易しく済ませてしまう。わかったことにして。そこまでしかないものとして。枠組みの内側でしか、考えず、感じずに済ませてしまう。

 部屋に戻って、寝る。

 ぷちたちと一緒に、寝る。

 そしたら日曜日が来て、宝島に行って、みんなと試すことになる。

 わかっているのに、途方に暮れてる。

 世界って豊かで、広すぎて、なのに私たちはあまりに無防備で、ぜい弱で。

 ここ最近はずっと忙しすぎて、アニメも正直ちっとも追えてないけどさ。今年の九月にアニメになるらしいんだ。メイドインアビスが。ちょこちょこ噂で聞いて調べてみたら、ありえんくらいえぐくてすごいじゃん?

 アビスみたいだ。現実は、ずっと。

 気を抜いたら悲惨な死を遂げる。それを回避するために、ありとあらゆる枠組みや手段が開発されては、人々の生息圏が広がる。けれど、人が集まれば争いが生じる。上下が生まれて、暴力が生じて、過剰さを増していく。利益を前にしたら、それを手に入れるために暴力さえ選ぶ。

 お金だけじゃない。

 自分を認め、許すためにもがくこともある。心に障ることだって。

 穏やかに生活できるなら、どれほど心に障っても、ある程度は慰めになる。だからまず、生活を。お金を。そういう枠組みに生きている人も大勢いる。戦争モノのドキュメンタリーなんか見ちゃうと、もうね。言葉を失うよ。前提があまりに違いすぎてさ。

 前提。

 生きる。その前提。

 前にマズローの欲求の話をしたじゃない? 五段階にあるっていうやつ。

 あれさ。

 私は居るために満たしておきたい前提だと、いまは思う。

 生理的欲求。安全の欲求。社会的欲求。承認欲求。そして自己実現の欲求。

 それらがある程度、満たされていて、安全基地として機能してはじめて、なにをしようかと考え、求め、目指し、歩き出せるんじゃないかな。どこか、先へと。

 ひどい話だよ、それは。

 だけど、なんていうんだろ。

 それらが満たされないとき、穴を見いだすとき、それを埋めないともう傷が、痛みが、気になって仕方なくて、それを痛がらずにはいられないんじゃないかな。

 治すことを。回復を。緩和を。治療を。ケアを。

 促すためのサインとして、痛みが生じてさ。

 やわらげなきゃ、参っちゃう。

 だいじょうぶだと、居るのがつらくない安全基地にいくの。

 そこに、居るんだ。つらくないってわかるまで。

 そうしてはじめて、どこか先へと目指せるんじゃないかな。

 自分を保つための欲求からはじめて解放されて、世界へと繋がる欲求に向かっていけるんじゃないかな?

 自分の安全基地があるからこそ、だれかと世界に居るためのなにかを新しく始められるんじゃないかな?

 たとえば、うーん。なんだろ。

 小林さんちのメイドラゴンのトールちゃんと一緒にアビスにいったらさ? ぶっちゃけある程度は安心して過ごせるじゃん。いきなりコメディになりそうじゃん?

 だけど、なんだろな。

 中二病でも恋がしたいの六花ちゃんとふたりだったら? もうね。「なんとか無事に、ただちにいますぐ地上に戻らなきゃ! この子を守らなきゃ!」ってなるじゃん?

 自分がトールちゃんみたいになるんなら? なんだかんだ気楽に過ごせそうな気がする。だって、ドラゴンだし。言うて、最強生物だし。

 けどさ。六花ちゃんになると? 爆ぜろリアルって詠唱を始める頃にはもう、なにかにやられてそうな気がするじゃん……っ! 弾けろシナプスの段階で弾けてても不思議がなさそうじゃん!? そもそも私の時点で即死しそうだよ! 恐ろしいよ? アビス……っ!

 という話なんですけども。

 ええ。

 前提はちがうよ。

 環境もちがう。

 枠組みだって、ぜんぜん変わってくる。

 学校の同じクラスの子たちとさえ、もうね。まるっきりちがう。

 ずうっと当たり前の話しかしてないんだけどさ?

 その当たり前ってやつの幅が、広がっていくじゃん? 深まっていくじゃん?

 なんか途方に暮れちゃうじゃん。

 悲惨な時代のドキュメンタリーなんか見ると、余計に暮れちゃうじゃん?

 だからなのかなー。

 身の回りのことをやる。まずそこから! っていうのは。

 でもさ?

 昔の歌を眺めると、それも難しそうだぞ? って思うのね。

 だってさー。


『うれしきはいかばかりかは思ふらん憂きは身にしむものにぞありける』


 藤原道信朝臣の歌でさ。詞花和歌集は巻七、恋上に載っているやつなんだけど。

 ふたりが恋をして、道信やぶれ。憂きことは泥水のように身に染みるわあっていう歌なのだそうだけど。

 憂きは実際、しみるよね。

 喜びが雲間から差す日差しのぬくもりなら、泥水のつらさのほうが堪える。印象に残る。

 その泥水のただ中にいる気がする。

 錯覚だ。すくなくとも、うちはずいぶんと救いになる前提がいっぱい溢れてる。整備されているし、維持されている。その中に私はいる。

 けれど日差しにはすぐに慣れてしまうけれど、泥水の耐えがたさに慣れることはない。

 それはいたるところに潜んでいて、気づくだけで気持ちがずんと重たくなる。

 まるで真夜中の東京を歩いていたら、道の端に例のアレがカサカサって動いているのを見つけちゃったときくらい、ずんとくる。

 ちなみについでに大辞林だと憂きは?


『(形容詞「憂し」の連体形から)つらいこと。悲しいこと』


 となるのだそう。

 つらいわあ。真夜中にアレみたら、つらいわあ。悲しくはないけど。

 だとしたら、ニュアンスちがうなあ。ううん。なんだろ。

 雨が降った日に、置き場所に置いたはずの大事な傘がなくなっていたら、かな?

 これだな! これだ。つらいし、悲しいよ。しかも濡れながら帰らなきゃいけない家路がますますつらさと悲しさを増すよ。

 すると失恋の憂きは大事な傘をなくしたのと同じ気持ちってことに?

 ならないってば。えんぴつで三人、ちょうこええぞ!? ほら、こわいでしょ!? って言われるのと大差ないレベルだって。

 ほんとにい!?

 ああもう! わけがわからなくなってきた。

 夜更かし用のあれやこれやを片付けて、お部屋に入り、そっと寝転ぶ。

 ぷちたちの寝息を聞きながら、手足を思いきりぐっと伸ばす。

 金色をいくつか飛ばして、ぷちたちの掛け布団を整えるべく無精をしようとしたんだけど、やめた。ぎゅっと握って消しちゃってから、身体を起こして、ベッドを覗く。

 お腹がぽんぽんと出てる子がいて、おでこを隣の子とくっつけて寝てる子たちもいて、なぜかその下にうつ伏せになって大の字で寝てる子もいて、もうしっちゃかめっちゃか。

 ひとりずつ抱き上げては、パジャマを整えて、タオルケットをかける。

 人によっては、そういうことさえ当たり前じゃないから感謝しなさいと言うらしい。こどもにそういう大人もいるそうだ。親じゃなくね? 養育者でもなくね? や、もちろん養育者が言うパターンもあるだろうけどさ。

 そりゃそうかもしんないけど。ちがうよなあ。

 五段階の欲求について、その先があるんじゃないかって思うのはさ?

 ぷちたちが、ぜんぶ満たされて初めてすくすく元気に育てるのかなあって思うからでさ。

 そんなの、いくつになっても変わらないよなあって思うからだ。

 思いまくりかよ! 思いまくりだよ?

 いくつになっても、安全基地はしっかりしてかなきゃなあ。

 詠まれて残った和歌に、見て取れる。不安も、恐れも。

 食事が取れて、生活ができて、それでもやっぱりまだまだ足りないんだ。だからこそ前提の差は露骨に暴力的になるとしても。それでもやっぱり、足りないものは足りない。

 願うほど。求めるほど。足りなさは望まぬ雨に打たれて眠れない夜のように堪える。

 同じく詞花和歌集から、清少納言の歌を。


『よしさらばつらさは我にならひけり頼めてこぬは誰か教へし』


 男に恨み節を言われて即興で返した歌らしいよ?

 約束しておいてこなかった男が、遅れて会いに来て袖にされて恨み節を言うからさ? 清少納言が「よろしい。恨み節を言いたい気持ちを私に教わったってのは認めるよ。じゃあ、頼んでこなかったのは、誰が教えたの?」って返した、みたいな?

 お母さんの本だと和泉式部さんは恋多き美女! 浮き名の多い人。でもって清少納言はというと、やり手の仕事ができる人。恋もちょこちょこ。ただ、しっかりしてるぶん、華は互いに持って楽しむ派な印象が私にはあってさ? そういうところが、鼻っ柱の強い男性陣にはおっかないところだったのかなあ、なんて思ったりもするところ。

 カナタに言われてお母さんの本をぱらぱらとめくると、和泉式部さんは恋の歌がもー! 多い! すごいよ。なかなかかっけえ歌が多いの。

 あと、あふれるイケてる女感がすごい! イケてる人感じゃなくて、イケてる女感ね。

 もっと味わったら、また見方も変わってきそうだ。なにせ、カナタは未練がましい男性の恋愛ソングみたいだって言ってたんだから! いろんな解釈ができそう。

 ただ、ぱらぱら読むと、たまに見かける清少納言の歌に私はすごく惹かれる。

 こりゃあ一度、本腰を入れて枕草子を読んだほうがいいかも。

 なんてことを思い描きながら、ぷちたちにキスを。

 ひとりひとりの顔を、夜の暗さに慣れてきた目で眺める。全員、ちゃんと、よく寝てる。

 赤ちゃんの時期を、この子たちは過ごせなかった。尻尾のなかに閉じ込めちゃった間に過ごしていたのだとしたら、私は大馬鹿者だ。これからまだ、しっかり過ごせる余地があるのなら? これからを。そうでなくても、これからも。

 でもそれは自分を捨て置いて達成できるようなものじゃない。

 だれにも、いつでも、どんなときでもきっと、安全基地は必要でさ?

 それはしっかりしていけるほどいいんじゃないかなあと欲してしまう。

 結論づけるにはまだ早く。

 雨水に濡れていたことに気づいたり、雨雲が遠く四方八方にあるように思えたりして、これからもしょっちゅう途方に暮れちゃいそうだ。

 安全基地を。まずそこを整えてはじめて、さらなる成長を目指せる。

 環境が伴わなければ限界は訪れる。

 先が見通せない枠組みでは、やはり限界がある。

 白湯に「やがてダイエットにきくようになる! 飲めば十キロ痩せるさ!」だの「万病を治す! ぜったい治るようになる! さあ! さっそく契約して飲むぞ!」だの唱えてちゃあ仕方ない。

 乱獲しすぎて資源が枯渇した海に干上がる漁師町、なんていう話も実際にあるしさ?

 整えていこう。

 不足に学んで、整備していこう。

 下の句を変えたら、カナタ相手にいっっっっっっっくらでも! 問えるぞ? 清少納言パイセンの歌でね! 返す刀で歌を詠まれたら、途端に詰まることだろう!

 さあて。

 歌ってみよう。明日は、めいっぱい。

 ただし、ひとりでじゃなく、みんなでね?

 お祭りをやるんだ。そこで歌会を開くっていうのも、乙なものじゃないかな?




 つづく!

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