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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千六百八十五話

 



 人の性格には差がある。

 特性にもちがいがある。

 自分が身を置く環境や、自分が受ける刺激によっても変化する。

 自分がなににどう自覚的か、あるいは無自覚的かでも変わっていく。

 なので、前にさ?

 親になるための学びがって話をしたと思うけどね?

 私が必要だと感じているのは「親として具体的にこうしろ」じゃない。

 言ってしまうと「コミュニケーションをとる術」だし「科学に学ぶ人間の特性」だし「人間の心理」だし「人間のあらゆる特性と、その可能性」だったりする。

 なるべく最新で、信頼性の高い学説に更新しつづける形がいいし? 学説の検証と分析には、あらゆる健全な投資がなされている形が望ましい。おまけに、そこへアクセスする人を選ばず、仮に困難になる人がいたら取りこぼさないようにサポートする術だって、いくらでもほしい。

 みんなそれぞれに、いろいろ考えるのだ。それにあれこれ試行錯誤するのだ。現状でもすでにそうなってる。

 なら? いまの取り組みを支えるあらゆる仕組みがもっと楽に、もっと快い刺激に溢れたものになればなー。いいのになーって思うわけ。精度もあげたい。

 ただし、と続く。

 もちろん、悲しいかな、続いちゃう。

 まず当事者ほど、余裕がないほど「それどころじゃねっす」となる。

 おまけに、いまから新しく情報を、なんていっても、そもそも前提となる情報収集の経路や経験をいまから作るとなると? 信頼性の担保を取るのがむずかしい。

 個人があれこれやるのも、個人が集団になっても、詐欺やマルチの呼びかけとどれほど違いがあるのか、その証明になにを担保とするのかが、まずもって謎。むずかしい。たいへん。困難!

 ちなみにいってしまうと、最新の学説がっていうのも、科学雑誌や専門誌に載ったっていうのも、どちらもすでに詐欺やマルチの人たちが利用している。

 これに対して、たとえば医療なら「公的な資金が投与されることの信頼性」や「論文の信頼性の確認の仕方」や「雑誌に載るイコール信頼性がある、ではない。なぜなら、査読は常に完璧ではないし、発表されてもこれから確認して信頼性の強度を確かめる段階にあるから」なんかを説明している印象がある。

 悲しいかな、サプリのそれとなぁい勧誘の噂をキラリから聞いた。仕事で一緒になった、他の子にそれとなぁく、説明されて断ったそうだ。

 きょうび、その手の怪しい業者だってホームページを作る。自社研究所で調べただの、こういう成分を配合していて、どういう効果があるだの、喧伝している。

 ちなみに消費者庁のホームページで行政処分を受けている企業がどれだけいるのか、見ることができる。掲載されていなくても、これは? と思うときには要確認。まだ載っていないだけってこともあるからね? そもそも、どの手の商売が怪しいのかの注意喚起もされている。

 若い人向けに、こういうのは詐欺だよ、こういうのはマルチだよって知らせてもいる。

 国民生活センターのホームページへの誘導も行なっていて、そちらもいろいろ書いてあるよ? たとえば若者向け注意喚起シリーズなんていうのもある。定期購入やっべえぞ? 情報商材や仮想通貨、こっわいぞ? 美容医療サービストラブル、えっぐいぞ!? ってね。

 でも、必要を感じると?

 あるいは思考能力がマヒすると?

 それっぽいっていうだけで、信じちゃう。

 そもそも自分で学んだり、探ったりっていうのが習慣になっている人ばかりじゃない。

 そういう習慣がついていたとしても、ねえ?

 いつだって余裕いっぱい、考える時間もたっぷり! って人ばかりじゃない。

 加えていえばさ?

 自宅でパートナーが無視、放置、自分に合わせた報告でなければ聞かないし、聞くことができないと? もうさ。日常が地獄だよね。そうしたとき、話し相手を切実に欲して、とうとう……なんていうケースもあるだろうからさ?

 地獄っていうのは、思ったよりずっと身近にあるのかも。

 日常の負荷として数えられるものほど、それがどんなにささやかに思えても、軽視はできない。日常のことだからこそ、快さを求めたい。パンだけではダメだ。花を飾る遊びがいるのだ。

 けど、自己評価が低いと? 自責や他責で手いっぱいだと? 遊びどころじゃない。

 そういう状況を狙い撃ちにしようというのなら? そういう状況でも、あるいはそういう状況だからこそ快く、心地よく感じる刺激を用意して、誘う。姑息で卑劣で愚かだけど、でももし私がだまそうとするのなら、そうする。

 判断能力がないことを求める。判断材料がないことを求める。二項対立に誘いやすいことを求めるし、不快からの脱却をエサにして食いつきやすいことを求める。

 今日のパンがほしい。今日の安らぎがほしい。惨たらしい環境に、せめて飾れる花がほしい。それらの求めは場合によっては、切実さを増す。過剰にさえなり得る。

 だから、早くなんとかしないとっていう危機感は潤滑油として利用しやすい。疾く解決を。疾く決着を。苦しみを和らげるため、いますぐ助けを。

 自分に知識はないから専門家を。遠くの専門家より、身近な情報源の口コミを。

 それを揶揄する人もいるけど、でもそうなるよなー。

 身近だったり、日頃の延長線上でしかできないじゃんね?

 だからこそ、そこが弱点にもなっちゃうだけでさ。

 繰り返すけどね?

 私は「コミュニケーションをとる術」や「科学に学ぶ人間の特性」、「人間の心理」や「人間のあらゆる特性と、その可能性」を学びたい。

 それで万全とも思わないけどね?

 そこが問題だ。

 たとえばひとつめ。コミュニケーションをとる術。

 これさ。自分が会話が成立してると思い込んでるだけってパターン、ありません?

 お父さんがぼやいてた。

 自分の中のテンプレに添って話してくれなきゃ、ろくに応答できないおじさんが取引先にいるんだって。でもって、テンプレに添えない相手を漏れなくばかにするの。おじさんは社内だとしゃんとしてるけど、社外の人相手にはもう悲惨。なんだけど、ある程度の地位があって、直さないみたい。同じ内容を話しても、テンプレ通りじゃないと理解できないのだそう。いちおう、ある程度いそがしいのもよくないんだろうけどって言ってたけど――……いるぞ? 私も仕事で似たようなおじさんと会ったぞ?

 意外とたくさんいるのかな?

 おうちでは「おい」って人を呼んでるのかな。奥さんの話を退屈だの、なにを言っても怒って面倒だのって思ってるのかな? こどもにはなにを言ってもうまく応答しないし、会社の若手はとにかく忍耐がなかったり、受け取り方に時代のちがいが出ていて、だめだなーって思ってるのかな? 自分の中で「こいつにはちゃんとしよ」と「こいつ自分より下だ、雑でいっすわ」とが分かれていて、露骨に手を抜き、暴力を選ぶの。殴る蹴るだけじゃないからね、暴力はさ。

 ステレオタイプのテンプレおじさんとして語ったけど、年齢性別問わず、一定数いるのかなーって思うとね? 闇が深いね!

 だけど、同時にそれってけっこうこわいね?

 自分にはそういうの、ないかな? 気づいていないこと、あるとしたら、どうしたらいいかな? どんな危険性が予測されるかな?

 いつだって「わからない」領域があるんだよね。だれにでも、どんなときでもさ。

 もちろん、あくまで私はこう考えるっていうだけの話だよ?

 だけど、そういう認識でいる限り、だれかが人にとる雑な態度には、そのだれか自身への雑さや思慮の浅さがセットで想定する。となると? そのだれかの背景には、学びや思考の不足が容易に見て取れちゃうし、そういう経緯や経験を見て、想像して身構えるからね?

 お仕事できないし、したくないなあってお父さんがぼやいていた。個人的には同意見だし、お父さんが愚痴っちゃうくらい、回避するまでがまず大変。窓口を変えたり、提案したり、回避する術を探ったりするという。相手を雑に設計されたポンコツロボットに置き換えて、テンプレ要求にテンプレ応答を返しながら、心の感度をぐっと下げる、なんていうのも聞いた。高城さんからも、ナチュさんからも、似た話を聞かせてもらったことがある。

 お父さんも高城さんもナチュさんも、敬意をお互いに持てない関係で仕事してもろくなことにならないって意味の言葉を私に話してくれた。

 おとなたち、遭遇してるんだね。苦労してるんだなあ、みんな。

 たとえばお父さんの出くわしたテンプレおじさんも、若手の頃はそういう上司しか見なかったりしたのかな? それか、偉くなったらぜったいそうする、そのほうが楽! って思えるような体験を続けてしたとか?

 いずれにせよ、だれも得してない気がするけど。

 そんなものだって、易しく済ませたいのかもね?

 手間を省けるというだけ、自分に合わせろと求めるだけで、目立つレベルの損をしないで済むのなら? そりゃあ、それを選んじゃう人もいるよなあ。

 あなたが損をしないと感じているだけで、あなたの回りにいる人はそうじゃないんだぜ事案だよなあ。これって。でも耳が痛いよ? 中学時代の私なんか、もろにそれだもの。

 迷惑って、かけてる自覚のあるものとないものがある。迷惑の内訳に暴力が含まれることもある。自覚があるなら言うまでもなくアウトだけど、ないものは本人が気づかないうちに、いろんな火種を作りがち。ここまでの話にしたって、私が自覚してない攻撃的な内容が皆無とはいえず。いつだって危うい余地がある。それはゼロにならない。なくならない。

 たまに「そこまで気にしてたらなにも言えない!」っていう類いの発言をする人がいるけど、そもそもあなたが気にせず地雷原を歩いていただけで、そういう危険性なら、前からずっとあるだけなのだぜって返す人もいる。私は後者に大賛成。

 そこまでの前提を踏まえてさ?

 コミュニケーションでの安心や安全って、どんなものだろうね?

 立場のちがいによって生じるパワーバランスで、下になった人は耐えなきゃいけないことを前提とする人も、悲しいけどいるだろう。けっこうな数がいそうだ。

 その理屈の信奉者は、自分のこどもにどう接するだろう。ペットを飼ったら、どう接するのかな? 学校の後輩たちには? 会社の部下には? 将来有望な若手と、自分より年上の冴えない部下がいたとき、どう接するのかな?

 属性で分ける人もいそうだ。それは性自認かもしれないし、性別かもしれない。年齢かもしれないし? あるいは特徴かもしれない。病気のケースもあるだろうし? 家庭環境かもしれない。その人が下にみる属性の持ち主に、その人はどう接するのかな?

 繰り返すよ。

 立場のちがいによって生じるパワーバランスで、下になった人は耐えなきゃいけないことを前提とする人も、悲しいけどいるだろう。

 どう接するだろう。相手が自分より下だとみたとき、相手は耐えなきゃいけない。それを前提にしたら、人はどこまでおごり高ぶることになるだろう。

 コミュニケーションでの安心や安全。

 それは転じて、コミュニケーションによって生じる危険なトラブルや、不安や恐れについての話でもある。だよね?

 じゃあ、そこでどれだけのことができるだろう。

 そこでの労力って、みんな同じなのかな?

 得手不得手は? あるとしたら、どれくらいの違いが想定されるの?

 そこで冒頭の言葉を繰り返すとさ。

 人の性格には差がある。

 特性にもちがいがある。

 自分が身を置く環境や、自分が受ける刺激によっても変化する。

 自分がなににどう自覚的か、あるいは無自覚的かでも変わっていく。

 なのに同じ手段が満遍なく通用するのかな? 通用するとしたら、そこに懸念されることはない? 前提にもし、暴力的ななにかが潜んでいたら、それは取り返しのつかない事態になり得るけれど、どれだけ気づけるのかな?

 わからないよなー。

 わからないんだ。

 とてもじゃないけど、わかるなんて言えない。

 あまりにも壮大に捉えすぎていてさ。自分にはちっともわからない。

 わかることがあるとしたら、身近なところから探っていくので精いっぱいってことだけ。

 最初のテーマで、いきなりどん詰まりだ!

 たいへん。

 うちに帰るまでの車中でも、いろんな場所へ行ったときでも、うちに帰ってからご飯を用意したり、お風呂を準備したりする間さえも、意識してみる。

 お母さんとお父さんがどんなか。

 もっとも身近な家族から学ぶ。この場合は、よく見て真似をする意味だ。

 だけど、これがなかなかむずかしい。私に対してのふたりの過ごし方は、あまりに自然で、身近すぎて。見慣れすぎていて。

 お寿司屋さんの修行も、うなぎや焼き鳥の串打ちも、その学びは「見て盗む」し、何年、十何年、へたしたら何十年とかかるという。

 ビジネスやり手で本を出してる実業家のおじさんが「いやいや。その手前に段階があるでしょ」みたいなノリで専門学校を褒めてたーなんて話を見聞きしたけど、学びの段階の話かなーって考える。

 山本五十六の言葉にあるじゃない?


『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』

『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず』

『やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず』


 だっけ。出典が見つからないぞ? 探しても、なんかよくわからんぞ?

 一行目で止まっている例もあるし、二行目と三行目という続きがあるという説もある。

 山本五十六が上杉鷹山の「してみせて、言って聞かせて、させてみる」から影響を受けていて、という話をいろんなところでみる。

 やっぱり、その出所がどこにあるのかはわからない! なぞ!

 おまけに正直ううんって思う時代を生きた人で、近年の人すぎるとどう判断すればいいのか繊細な部分があるのだそう。たしかに学校であれこれ説明してもらった~なんて記憶はないもんなあ。

 まあそういうことなので、言った人がどうかはさておいて、内容を読んでみる。

 実例を見せる。

 それがどのように行えるものなのかを説明する。

 次に、実際にやってみてもらう。

 そして、やってくれたことに感謝する。褒めて、意欲を育てる。行いと結果は、続けていけば、ある程度はついてくる。だけど意欲はむずかしい。行いと結果よりも育てにくい。

 たとえば行動については、それが安全基地のレシピかな。

 だとしたら、お寿司屋さんの修行ができる専門学校は、言うなれば寿司職人になる勉強をできるようになるための安全基地。これまでの、お寿司屋さんで修行した人たちは? 修行先のお寿司屋さんが安全基地。じゃあ、どれくらい安全で安心な基地だった?

 で。

 寿司の技術を学ぶぞっていう段階は、また別にあるんじゃない?

 働きながら、ずっと修行っていう人たちが一定数、いるじゃない?

 商売として、しっかり勤める道も、それはそれでやっぱり修行っていう人もいるじゃない?

 もちろん、そうじゃなくても、だからどうって話じゃないんだ。

 ただ、自分のお寿司の技術を高める道も。それが焼き鳥の串打ちでも、うなぎでも、自分で技術を高めにいく段階までの間に、自分では補いようのない安全基地を欲する段階があってさ?

 雇い先との相性次第で天国と地獄が分かれるのと、お金を払って学べれば天国と地獄の差と見極める難易度が緩和される学校が増えていくのと、どっちがいいのかなーって。

 自習の教え方って、なんだろね?

 トイレトレーニングや、お風呂で自分の髪の毛や身体の洗い方は?

 もやもやして眠れない夜の過ごし方は、どうだろう。

 だれかとケンカしちゃったときの過ごし方は? ひどいことを言っちゃったときのケアは?

 やってみせ、というけれど。

 どこまで徹底できるだろう。

 自分がわからないこと、できないことはどうするんだろうね?

 折り合いがつかないことは?

 こどもは親を見ている。養育者をよく見てる。おとなをつぶさに見ているよね。

 ぷちたちも、それは一緒だ。私をよく見てる。私だけじゃない、カナタやお母さんたちのことも、トモやノンちゃん、キラリやマドカたちのことも。ほんとによく見てる。

 ぷちたちの振る舞いを見ながら、何度でも気づかされる。

 私たちがどう過ごしているのか、その答え合わせの場面に心に強く障る瞬間もある。

 そのとき、どうするか。

 なにを、どこまでできるのか。

 自分が気づかないでしていた暴力の兆しにさえ、出くわす場面もある。

 何度だって、繰り返そう。

 繰り返すよ。

 立場のちがいによって生じるパワーバランスで、下になった人は耐えなきゃいけないことを前提とする人も、悲しいけどいるだろう。

 どう接する? きっと、ひどいことになる。哀しみも怒りも増えていくんだ。それじゃあ、だめだ。

 けれど「やってみせ」の段階で、もう悲惨な体験ばかりして、つまずいたら? やりたくないことだったら? やりたいけど、そのようにはやれなかったら?

 まず「やってみせ」の段階で、前提がありそうだぞ?

 やれないんですけど! っていう場合はどうする?

 やれる、たぶんやれてる。だけど、それがどの程度やれているのか、さっぱりわからん! っていう場合は?

 どうするの?

 問いを持つ。

 わかる、で済ませないで。

 わかろうとする。まだ知らないことがあることを、忘れないようにする。

 すると?

 待ったなしなのに「ど、どないしよ!?」とテンパる。

 それがいまの私なのである。

 なっが!

 前置き、なっが! 死ぬほどなっが!

 だけど、実際そんな感じなんだ。ぷちたちを前にすると、どれだけ備えなくきちゃったのか痛感する。最初に葉っぱを化かして出したときから備えていたら、なんてたらればには意味がない。

 もう、いま、こうなった! 現在進行形だからね!

 べったりだけが安全基地の意味じゃない、とは思うのだけど。外で学ぶ、離れて学ぶこともいっぱいあるのだと思うのだけど。

 分けられない。

 それでも時間は過ぎていくからさ?


「お風呂はいってきなさい」

「もうちょっとでご飯できるからねー」

「「「 きゃっほう! 」」」


 お母さんとお父さんがキッチンから呼びかけてくれて、ぷちたちが慣れたもので、わーっとお風呂に駆けていく。ただし、漏れなく水族館で買ったお土産を持っていた。

 お風呂で遊べるおもちゃを買った子もいれば、ぬいぐるみを買った子もいるし、お菓子を買った子もいる。他にも、いろいろだ。なのに、みんなして宝物を大事に抱えて、一緒にお風呂に入る気まんまんで走っていく。

 ずうっと昔へと、記憶の旅をする。そんな機会がめちゃめちゃ増えた。

 私もやったなあ。なんか。似たようなこと、いっぱいやった。

 あのとき、自分はどうしたっけ。なにをされたっけ。

 ぴんとくるときはいいんだ。

 問題なのは、すぐに思い出せない場合。

 繰り返すけどね?

 待ったなし!


「ちょ、みんな!」


 走って追いかけながら、必死に考える。

 このままだと、ぬいぐるみは濡れるし、オモチャも濡れるし、お風呂場で遊べるやつに注目が集まると、それで喜ぶ子もいれば泣く子も出てくる。食べもの系は悲惨なことになって、さらに泣く子が増える。

 常に万策尽きてるのに、それでもなんとかしなきゃいけない瞬間の連続だ。

 まず私が安全基地ほしいんですが! それはどうなりますかね!?

 やっぱ、ないですよね!?

 なので、もっかい繰り返すね?

 人の性格には差がある。

 特性にもちがいがある。

 自分が身を置く環境や、自分が受ける刺激によっても変化する。

 自分がなににどう自覚的か、あるいは無自覚的かでも変わっていく。

 ぷちたちみんな、ひとりひとりちがうんだ。

 そんなみんなの、安全基地になるんだって?

 まじぃ!? こいつぁ生半可なままじゃあつとまらないぜ!?

 しかも、せこせこした手段をせっせと、こまごまと作っていたんじゃあ、間に合わないのだぜ!?

 平安時代にさ? 内側に絵を描いた二枚貝を分けて、重ねて正しい組み合わせを探す遊びがあったんだって。かなり大昔に。二枚貝はなにせ、貝殻の組み合わせが唯一無二なのだとか。なので、言ってしまえば貝殻でやる神経衰弱みたいなものらしいよ?

 そもそも貝は昔、通貨にもなっていたそうだ。貝貨っていうんだって。

 縄文時代から、よく食べられていたともいうよね?

 そんな貝の遊び。貝合わせ。

 ぷちたちの感情と、ぷちたちが私に求める安全って、常にぐにゃぐにゃと変わる。

 好き勝手に形を変えて、しかも中身も見た目もよくわからない貝合わせを常にしている気分になる。

 逆に言えば、それができるように慣れても、心配することをやめることに慣れていけなかったら? 常に心配しちゃいそう。子離れできない理由の中には、こどもが自分で安全基地を作れることに気づけないっていうのもあるのかな?

 古今和歌集に、紀貫之の歌が残ってるじゃない?


『人はいさ、心も知らず、ふるさとは、花ぞ昔の、香ににほひける』


 昔なじみの宿に行ったら、主人に心変わりをとがめられて返した和歌なんだって。これ。

 恋だの愛だの、さておいて。ぷちたちからとがめられる日が遠からずきそうで。

 枕草子の清少納言は、機転の利いた返しが冴え渡っているのだそう。

 互いに顔を知るのは、男が寝床に来たとき。それまでは歌のやりとり、なんだっけ。

 すごい時代だ。こどもはどう育っていたのかな。知らないや。

 私はぷちたちに、どう歌を伝えられるだろう。

 それも、わからないぞ?

 やっべ!




 つづく!

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