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砂漠の図書館  作者: 梗崎凛
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06



 もうダメなのだろうか。女性がそう考えたその時、唐突に感じた気配に、女性は思わず振り向いた。


「お、母さ、ま」


 そこに居たのは紛れも無く、彼女の母親その人だった。父親と同じように無表情でこちらを見る眼差しに、無言の責めに、女性は息を呑んで無意識の内に母親から距離を取る。が、その先には父親が。いつの間にか、父親は女性へと視線を移していた。


「っ」


 ひくり、と女性の喉が鳴る。何かを言わなければと思うのに、衝撃の連続でカラカラに乾いた喉からは声ではなく耳障りな呼吸音が聞こえるのみで。


「とんだ親不孝をしたものね」


 あの穏やかだった母親とは思えないほどの冷ややかな声。父親と同じように温もりのない眼差し。両親がこんなにも冷たい部分を持っている事に驚くよりも、そうさせてしまったのが辛い。


 気が付くと、女性は男性の傍らで同じように頭を下げていた。そして、胸の中に渦巻く罪悪感を謝罪の言葉に乗せようと口を開いた。


「一時の気の迷いだったと、もう二度と会わないと誓うのならば、今回だけは許してやる」


 だが言葉を発する前に、父親の声が聞こえ「大人しく帰って来い」と言われた途端、きつく唇を噛んだ。

 その言葉に頷くべきなのは分かっている。所詮自分は世間を知らない小娘でしかないのだから。誰かに守られないと生きていけないような惰弱な人間で、男性に縋って漸く歩いているような情けない人間なのだ。己の感情だけで男性に苦労を強いているような自分が、これ以上男性に苦労をかけては申し訳ない。

 でも、どんなに失望されても、この先両親の望むように結婚する事は出来ないとも思う。両親がどんなに認めていても、たとえこの先何不自由なく暮らせるとしても、己の心だけは偽れないと。心の中にはもう既にたった一人がいるのだ。どうしてその想いに蓋をして、心のない相手に向き合えるというのか。

 だがそれも、相手に拒絶されては元も子も何のだが。男性はきっと両親の提案を受け入れる。彼は自分の想いを受け止めてくれたが、ここまで足手纏いな自分を前にきっと後悔しているから。それならば、男性がこれ以上責め苦を受ける前に、自らその提案を受け入れるべきなのかも知れない。そんな考えが頭を擡げる。その時、


「例え大恩ある旦那様の言いつけとはいえ、それだけは出来ません」


 弾かれたように顔を上げれば、隣で同じように頭を下げていた男性が顔を上げ、真っ直ぐ父親を見ていた。その様子は数瞬前の弱々しさを欠片も見せず、その瞳には強い光が宿っている。

 女性が思わず息を呑んで沈黙する中、男性は更に口を開いた、


「確かに、私の我が儘でこれ以上お嬢様に負担をかけるべきではないと、暖かいご両親の元で守られて暮らすのが一番であるというのは分かっています。私も実際そうすべきだと思いました。お優しいお嬢様も、生活のままならないこの状況に、きっと帰りたいと思われていると知っています」


 どうしようもなく震える声、きっとその心は痛いくらいに荒れ狂っている事だろう。そんな事はないと言いたいのに、どんな困難に見舞われようとも傍にいたいと伝えたいと思うのに、男性が女性の存在に気付いていないのが歯痒くて、せめてもとその背を支えるように手を添える。少しでもその温もりが伝われば良いと思いながら。


「ですが、私はお嬢様の、彼女の手だけは何があっても離せないのです。どんなにお返しするべきと思っても、それだけは出来ないのです。彼女が傍にいないだけで、息をする事さえままならないのです。いつの日か、彼女を支えられる男になります。その努力を惜しむつもりはありません。ですからどうか、今はこの我が儘をお許し下さい」


 地に額を擦り付けんばかりに深々と頭を下げる男性に、女性は思わず縋りついた。本来なら自分が言わなければいけないことを言わせてしまって申し訳ないと思うのに、男性が自分に向ける強い思いが嬉しかった。

 だからこそ自分も目を逸らすべきではないと、女性は顔を上げて二人の姿を交互に視界に入れる。その眼差しに先程までの弱々しさは欠片も無い。改めて男性の横に膝を着くと、しっかりと顔を上げる。


「お父様、お母様、私は彼以外の方と共にあることは出来ません。例えそれが今まで守り、慈しんでくださったお二人の意思に背くことだとしても。私が私である限り、この気持ちは変わりません。裏切り者の娘をさぞや憎いと思っているでしょう。それ程のことをしたのだと痛いほど分かっています。ですが、それでも自分の気持ちに嘘をつくことは出来ません。ですから何があろうと、私は彼の手を離すつもりはありません」


 男性の想いに答える為にも、決してこの気持ちを諦めない。そんな決意を込めて言い切るも、目の前の両親の表情が変わることはなく。僅かに浮かぶ落胆を振り切るように、女性は強く首を振る。そう簡単に分かって貰える筈がないのは重々承知の上で己の意思を押し通すのだ、これくらいでへこたれてどうする、と。

 だが、大切な両親からの拒絶に自然と視線は下を向いてしまう。そんな自分はまだまだ覚悟が足りないとつくづく感じながら。

 と、きつく握りしめた己の拳に、ふわりと重なる手が。反射的に顔を上げれば、男性がはっきりとした意思を持ってこちらを見ていた。女性の顔が、泣きそうに歪む。

 先程まで二人の間を隔てていた見えない壁が消え去り、漸く想いが届いたのだと気付いた。

 暫しの沈黙の後どちらともなく頷くと、二人は固く手を繋いだまま、改めて姿勢を正す。目の前には、並んでこちらを見る女性の両親の姿が。

 女性の両親に向け、二人はゆっりと頭を下げた。言うべき言葉はもうない、ただ溢れる想いをこめて深く。


 今はこれだけで―――




続きます。

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