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砂漠の図書館  作者: 梗崎凛
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04



「おや、どうなさったのですか」


 館長の問いかけに、びくりと肩を揺らした女性は恐る恐るといったように振り返り、そこに館長の姿を認めると一気に肩の力を抜いて、詰めていた息を吐き出した。


「あ、いえ目が覚めてしまったものですから」


 女性は、強張った表情を何とか笑顔へと変え、無意識に胸の前で組んでいた手を離して館長を見る。

 室内ということもあり外の様子が明確に判る訳ではなかったが、まだ外は暗く、夜明けには程遠い。ましてや女性は明らかに疲労困憊していて、下手をすると一日は目を覚まさなくてもおかしくないと思われる程であった。

 現に今だって薄暗い廊下の中にいながらその顔色の悪さははっきりと分かった。


「夜が明けるにはまだ時間があります。もう少し休まれたらいかがですか?」

「あ、いえ、その…」


 女性は部屋の方へと視線を投げながら言葉を濁した。今戻ったら、きっと自分は男性の前で泣いてしまう。それが嫌だから部屋には戻りたくない。それが女性の正直な気持ちではあったが、それをどう上手く誤魔化して言ったら良いのか、うまい言葉が見つからないようだ。世間慣れしていない女性ではそうなるのも無理からぬことだった。

 館長は視線を彷徨わせる女性にそれ以上の追求をする事もなく、


「疲れていると逆に眠れない時もありますからね」


 さてどうしましょうか。というように顎に手を当て女性を見る。女性としてもどう答えるのが良いのか判断がつかないようで、困ったように館長を見ていた。

 このまま男性がやってくるまで沈黙しているわけにもいかないので、どうすべきか考えている館長の耳に、僅かに聞こえてくる音がある。

 館長にしか聞こえていないだろうそれが何であるのか、館長は嫌と言うほど知っていた。


「紅茶をお出ししてはますます眠れなくなってしまいそうですから。もし宜しければ、館内を案内いたしましょうか」


 だからこそ、館長は別の提案をする。それを望む『彼』の為にも。

 女性が館長の言葉に小首を傾げる。だがすぐに、納得したように頷いた。


「そういえば、図書館でしたね」


 恥ずかしそうに視線を下げる女性に、館長は揶揄するでもなく只頷くに止める。


「広さは然程もありませんが、色々な本がございますので、何か貴女が気になる本もあるかもしれません。それに、本は程好い睡眠導入剤になるかもしれませんよ」


 冗談だろうか、笑顔でそんな事を言う館長に、女性はやっと自然な笑顔になり頷いた。


「それでは、お願いしてもいいですか?勿論、館長さんがお忙しくなければ、ですが」


 対する館長は、相変わらずの笑顔を浮かべ、


「来館された方が快く本を選んでいただけるようにするのも、私の大事な仕事ですから」


 そう言うと、女性を促し歩き出す。

 そんな館長の後に続きながら、女性はもう一度部屋の方へと視線を向けた。硬く閉ざされたドアの向こう、そこにいるであろう男性の姿を見るかのように。



 館長は女性を連れ館内を一巡した。途中、女性は背表紙を眺めながら時々本に手を伸ばそうとするも、結局本を選び取るという事はしなかった。だが、本を眺めながら館長と話す姿は楽しそうで。古い本が好きなのだと笑う女性から、昨日の疲れ果てた様子は感じられない。どうやら、良い気分転換になっているようだ。

 どの本に対しても、どこか柔らかい眼差しを向ける女性を伴い向かったのは、『彼』のいる場所。館長は歩きながらちらりと棚の上へ視線を向け、そこに黒猫の姿を見つけると僅かに顎を引いた。黒猫は、そんな館長にちらりと一瞥をよこし、音もなく立ち上がると棚の上を悠然と歩きどこかへ、館長達が向かっている方向へと向かう。その先には『彼』が、女性の到着を今か今かと待っている事だろう。

 『彼等』が何をなそうが、それは館長が口出しすべき事ではないし、またそれを妨げようとも思わない。自身の役割は、ずっと昔に決められているのだから……




「この本は?」


 やはりというか、棚の傍を通りかかった女性が迷いもなく手に取ったのは正しく『彼』であった。

 女性が膨大な書籍の中から迷いもなく選び取った瞬間、『彼』が僅かに反応するのを感じた。それは正しく先程の『音』であり、館長は思わずそっと息を吐いてしまう。貪欲なまでに求める姿は、何も『彼』だけに限ったことではないのだが、それが今は休んでいる者達にまで伝播しないとも限らないので、そうなってくると館長の気苦労は計り知れないものになるのだ。

 いくらそれが『仕事』であるとは言っても、進んで苦労はしたくないと思うのは『人』の常というもので。

 まあ、館長自身がその『人』の分類に入るのかと問われれば、それは微妙なところではあるのだが。

 館長にとっての存在意義が図書館と、そこにいる『彼等』、そこに集約されている時点で、彼が『来館者』の機微に気を配る必要はないのだ。

 女性が手に取ったのは、何の変哲もない本。これといった特徴の見られないその本は、本棚の中に納まってしまえば、他の本に紛れてしまい、人の目を引く事もないと思われる。


「その本は、ある男女の物語です」


 女性の手はすでにその本のページを捲っていて、館長の声に辛うじて頷いてはいるものの、その視線はすでに文字を追っている。

 館長は、そんな様子も見慣れているのか、女性がこちらに意識を向けるまでただ黙って見守っていた。本来は、女性が本を選んだ時点で立ち去っても良さそうなものなのだが、棚の上にいる黒猫の視線が女性をじっと観察しているようで、それが何を示唆しているのか、気付いていたからかもしれない。

 館長と黒猫のことなど意識の端にも上っていないのだろう。女性の意識は完全に本へと向いている。女性の様子を窺い見るに、彼女が普段から本を読んでいる事が分かった。

 ただページを捲っているように見えて、ページ毎にある要所をきちんと把握しながら読み進めているようだ。じっくり全てを見ているのではないそんな読み方が出来るのも、相当数の本を読んできたのだからと推測される。

 すると、軽快にページを捲っていた女性の手が突然止まった。瞠目し、食い入るように見つめているのはあるページ。そこに書かれていたのは、『ある男女』その人生の分岐点ともいえる場面。

 まったく動かなくなってしまった女性。その表情には深い哀が浮かんでいる。


「ああ、捕らわれてしまいましたか」


 女性の存在がどこかおぼろげになったのを感じた館長の口から、溜息のような声が漏れる。その決して大きくもない声は、すぐ隣にいた女性の耳に届いていないようで。館長もそれを気にしている様子はない。

 女性を見つめるその表情は一瞬前のものとはまるで違っていて、浮かべていた笑顔は消え何の感情も浮かんではいなかった。

 館長は暫く女性の様子を観察するようにその場に立っていたが、不意に踵を返すと来た通路を戻り始める。まるで、自分の役目は終わりだとでも言うように。


 館長が立ち去ったその場には、固まる女性と、それを見つめる黒猫が、音もなく存在していた……




続きます。

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