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砂漠の図書館  作者: 梗崎凛
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03



 段々とはっきりしてくる焦点。ぼんやりと見えていたのが女性の顔だと認識できる位には視界が回復する。咄嗟に身を起こせば、驚いたように身を引く女性。


「あ……」

「大、丈夫?魘されていたみたいに見えたから」


 心配そうに顔を覗き込んでくる女性に、何でもないと首を振って見せれば、ほっと息を吐く様子に、心配をかけてしまったと表情が曇った。


「お嬢様にご心配をおかけしてしまって、申し訳ありません」


 自然と下がる頭。そんな男性を見る女性の表情が曇るが、顔を伏せていた男性がそれに気付く事はなかった。

 男性が顔を上げた時には、女性は表情を取り繕い、笑う。


「疲れているだろうから、貴方はもう少し休んでいた方が良いわ」


 私はちょっと。そう言って、男性の返事も待たずに部屋を後にする。

 男性は、そんな女性の姿が扉の向こうに消えるまでその後姿を見送っていた。その表情からは、後悔の二文字が見て取れた。


 背後で閉まった扉。女性はそのまま扉に背を預けると、深々と溜息を吐いた。


「……どうして」


 悲しみに満ちた呟き。女性の瞳から一滴、零れるものがあった。

 男性は、夢から醒めたばかりで、ぼんやりとしていただろうし、魘されていたようだったから、恐らく無意識だったのだろう。でも、たとえ無意識のものだったのだとしても、女性は見えない境界線を引かれた気がして、悲しかった。


「呼ばないって、言ったのに」


 私はもう『お嬢様』じゃないのに。女性の呟きが、静まり返った廊下に吸い込まれ、消えた。



 まだ夜が明けきる前、棚の間をゆっくりと歩く館長の姿があった。屋内と言う事もあってか、辺りはまだ薄暗く視界は然程きかない。歩くのには少々難儀しそうだ。しかし館長はこれといった光源も持たず、薄暗い中しっかりとした足取りで棚に整然と並べられた本を一つ一つ確かめるように眺めながら歩いていた。と、前方から響いてくる猫の鳴き声。

 慌てる事なく歩いていると、やがて一冊の本が落ちているのが目に留まる。そんな事態に驚く様子も見せず、ただほんの少し呆れを滲ませた様子で、館長は『彼』を拾い上げると頭上を振り仰いだ。

 そこにいたのは、蒼眼の黒猫。まるで監視するかのような眼差しを『彼』に向けていたが、館長が現れた事によりその視線は逸らされた。

 館長は、そんな黒猫の様子に苦笑を洩らし、再び本へと視線を向ける。


「貴方はせっかちですね」


 柔らかな笑みはそのまま、声音に咎める響きはなく。それもその筈、館長に『彼等』を抑止する意思はない。

 事実、館長自身『彼等』の行動を妨げられるとは思っていない。


「まあ、貴方のお陰で大事に至る事も無かったようですが」


 見れば、棚の上にいる黒猫は、気のない様子であくびをしている。

 だが、『彼』が彼等に反応していたのを薄々感じ取っていた館長は、先走った『彼』を黒猫が察知し咎め、何かが起こるのを防いだのは事実と思っていたし、先程黒猫が止めたからこそ、男性が目を醒ます事が出来たのは紛れもない事実。

 あの男女に対し、珍しく手を貸すような行為をした黒猫が庇ったのは、果たしてどちらだったのか。


「貴方が重い腰を上げたのですから、あの方達には是非頑張って頂きたいですね」


 館長が仰ぎ見たその方向には、あの男女が休んでいる部屋があるのだろう。

 黒猫の働きで、恐らく『彼』のせいで悪夢を見てしまっていただろう男性は、もう目を醒ますことは出来ただろうか。

 館長自身、あの二人が図書館にやってきた時点で、何となくその事情には察しがついていた。というより、あれだけあからさまであるのに、気が付かない方がどうかしている。

 まあ何はともあれ、来館出来た以上はお客様であり、ならば『一冊』を見つけるまで見守るのが館長としての仕事だ。

 だが流石と言うべきか、今回も見出したのは『彼』の方が早かったようで。館長は相も変わらず素早い行動に、感心とも呆れともつかぬ息を吐く。

 昔からせっかちではあったが、最近頓に『彼』を望む来館者の数が減ってきている事もあり、その張り切り様も随分だったらしい。だが、そんな『彼』に見出された者達が幸せなのかと言うと、明言を避ける外に何とも言いようがない。

 何故なら『彼』は事の外人の中にある闇を好むのか、人を追い詰めようとする傾向が暫し見られるのだ。そしてそれと同時に、闇に打ち勝とうとする魂の輝きもまた、彼が求めて止まないものなのである。

 『彼』を手に取る資格を有する者は、闇に染まり堕ちて行くか、闇に打ち勝ち光を失わずに居られるかが分岐点なのだ。無論、どちらを選択するかは本人次第なので、館長はそれに関して口を出す気はまったくない。だが―――


「もう少し、穏やかにしていただかないと、他の方達にまで影響が出て来てしまいます」


 館長の懸念は、図書館内に漂う空気の流れを感じる事が出来る者ならはっきりと気が付いていただろう。

 まあだからこそ、それを誰よりも如実に感じている黒猫が止めに入ったのだろうが。


「貴方達に、人間とはどのように映っているのでしょうね」


 館長は手元の『彼』を見、次いで顔を上げて視界を埋める『彼等』を見る。その眼差しはどこまでも空虚であり、館長自身、それが『彼等』に向けられたものなのか、それとも自身に対する問いかけなのか区別が付いていないかのようだ。

 不意に、黒猫が棚から棚へと飛び移った。

 館長の視界を丁度横切る形となったそれは、館長の意識を引き戻す呼び水となったらしく、館長の視線が虚空から黒猫へと向けられる。


「ああ、すみません」


 黒猫に対し、いつもの穏やかな笑みを浮かべた館長に、先程までの空虚な気配は感じられなかった。黒猫は、そんな館長に探る様な眼差しを向け、すぐに興味をなくしたように視線を逸らすと館長に背を向け、どこかへと歩き去ってしまう。

 館長はそんな黒猫の後姿を眺めながら、僅かにその笑みを苦笑へと変える。そして、『彼』を棚に戻すと、カウンターへ向かう為、踵を返した。




続きます。

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