6.
最初の協力依頼で尋ねられたのは、どれくらいの通信量になるか、という事だった。
今度は、いつまで動かし続ける必要があるか、と聞かれた。
モノは、その質問への返事を書くのに時間がかかった。期限を決めなければ相手も困る。しかし、その期限の後にどうするのかを、二人も決められていなかった。
まず、働きを引き継げるか試す期間を区切った。成功した場合は、oneの活動を支え続けられるように、設備の長期利用を相談する必要がある。教授は資料を読んでから、その相談には自分も加わると言った。
「君達が卒業したら終わり、という設備には出来ないからね」
モノはそこで初めて、来年度の事を考えた。
机の端には、まだ何も書いていないエントリーシートがあった。彼女はそれを実験用の資料の下から抜き、鞄へ入れた。
これまで借りたマシンは、oneの外から信号を送る為のものだった。今度は、oneを支えている働きの一部を、そのマシンに担わせようとしている。一回の実験が終わったからといって、気軽に停止する訳にはいかなくなる。
ユニは観測結果を辿り、どの処理が、どこから来た結果を使って動いているのかを調べた。それを元に、代役を繋ぐ場所と、元の処理を外す順番を考える。モノは、実際にそのやり取りを引き受けるプログラムを作った。動かして初めてわかる問題も幾つもあり、図とプログラムの間を、二人の端末が何度も往復した。
高瀬は、一部の区間の更新を待ってくれた。そこでは古い処理を残したまま、二人の用意する代役を繋ぐ事が出来る。各地の研究室からも、引き継ぎ用のプログラムを動かすマシンが貸し出された。教授が別の研究者を紹介し、その研究者がまた、別の設備の担当者へ連絡を取った。
協力者は増えたが、全員がoneを意識だと思っている訳ではなかった。
長く続く分散した学習過程として興味を持つ者もいた。計測の仕方を確かめたい者もいた。生成AIが返事を作っているだけではないかと尋ねた者には、モノは発声器を外した記録を送った。
疑問のすべてに答えられた訳ではない。それでも、調べる価値のある現象が失われそうだという点では、話が通じた。
モノは届いた質問を読み、答えを書き、途中でoneの画面を見た。
『そと まつ』
『待っていて。今、別の事をしている。』
『そと ひろい』
モノは少し笑った。
今の自分がしている事を、oneに説明する言葉はまだなかった。
最初の接続試験は、夜に行った。
対象は、協力を得た試験区間の、ごく一部である。まず代役を繋ぎ、元の処理が受け取っているのと同じ情報を渡す。そこから返された結果が、oneのその後の活動にも使われているかを確かめてから、少しずつ元の処理の出番を減らす予定だった。
モノが実行すると、代役を動かしているマシンの記録にも揺れが現れ、ユニが椅子を寄せた。
モノは代役が返す値を僅かに変えてみた。しかし、変わるのは追加した部分の波形だけで、元のoneの活動には違いが見られない。
「待って。今、戻す」
モノは追加した部分を切り離した。代役の画面は静かになったが、元のoneの活動は、そのまま続いていた。
「何だった?」
「追加した所だけで、同じ反応を繰り返してたみたい。oneの次の動きには、使われてないと思う」
モノは記録を拡大した。綺麗な周期だった。何度繰り返しても、同じ所が同じ高さになる。
ユニは見つめていた画面を閉じず、失敗した条件として保存した。
代役が何を返すかによって、oneの次の動きも変わるようにならなければ、働きを引き受けた事にはならない。今、元の処理を止めれば、その役目を果たすものがなくなってしまう。綺麗な波形を眺めながら、モノは切替えの手順を最初へ戻した。
二回目も失敗した。
三回目には、反応が弱くなったまま、すぐには戻らなかった。モノは予定していた次の試験を取り消した。ユニは何も言わず、その行へ取消しの印を付けた。
その夜のoneは、簡単な数の比較にも答えなかった。
活動はある。刺激にも変化する。ただ、こちらが知っている答え方をしない。
モノは入力欄を開き、閉じた。
「何か送る?」
ユニが聞いた。
「少し待つ。今日、変え過ぎたかもしれない」
「うん」
二人はそれぞれの記録を調べながら、時々、同じ画面を見た。
帰る時刻を過ぎた頃、oneから三つの点が届いた。
全部の線が繋がっていた。
モノは、何処を直せばいいのか考えてから、何も直さなくていいのだと気付いた。
『同じ。閉じている。』
その返事に、肯定があった。
モノは肩の力を抜いた。何故今これを送ったのかは、わからないままだった。
失敗した試験の記録を比べているうちに、幾つかの区間で、モノは同じ処理を見つけた。
各地の結果が揃うまで待ってから、まとめて次へ渡している。到着する時刻がばらばらでも扱えるように、モノが自分で入れた処理だった。
ところが、元の仕組みは、先に届いた結果を使って動き、その後に届いた結果を受けてまた動いている。それを一度にまとめて渡してしまえば、同じ内容を伝えても、途中の動きが変わる。
「ここ、残した方がいいかもしれない」
ユニを呼び、揃える前と後の値を並べた。
「遅れ方を?」
「うん。これ、先に一つ受け取って動いてから、次を受け取ってるでしょ。私の方は、両方揃ってから渡してる。間にやってた事を、飛ばしちゃってるかもしれない」
ユニは暫く、二つの記録を見比べていた。
「私の計算でも、まとめて一回の反応にしてる。先に来る方を受け取った時、何が変わるか抜けてるんだ」
「分けられる?」
「やってみる」
彼女は自分の机へ戻った。
ユニの言っていた混沌には、こういう不揃いさも含まれていたのかもしれない。二人は必要な働きを残そうとしながら、その働きが起きる順番を、自分達に扱いやすい形へ整理してしまっていた。
モノは記録を辿り、どの結果が先に届き、その間に何が起きていたかを調べ直した。ただ遅くすればいい訳ではない。代役が受け取る順番と間隔も、元の働きに近付けなければならなかった。
ユニが計算を直し、モノがプログラムを直した。各地に変更を伝え、その日は観測だけを続けた。
次の試験では、代役の返す結果を変えると、oneの活動にも違いが出た。その違いを受け取って、代役の次の動きも変わる。追加した部分が、ようやく元から続いているやり取りに加わっていた。
モノは予定していた確認を済ませてから、元の処理が受け持つ分を少しずつ代役へ渡した。最後に元の処理を止めても、その先の活動は途切れなかった。
oneに、初めて使う数の組合せを送った。正しい反応があった。次には、三つの点の結び方を変えた。
oneは、一つを選んでから取り消した。
もう一方が返ってきた。
「出来た?」
ユニの声が、隣から聞こえた。
モノは頷いた。それから、頷くだけでは見えないと思い、彼女を見た。
「この区間は、たぶん」
ユニは両手で顔を覆った。泣いているのかと思ったが、すぐに手を下ろし、笑った。
「ごめん。ちょっと、安心した」
「——私も」
モノは答え、次の試験を翌日へ移した。今夜のうちに進められるだけ進めたい気持ちはあった。それでも、まずは今出来たものが続くか、時間を掛けて見たかった。
ユニは何も言わず、夕飯の注文を始めた。
食べ物が届くまでの間、二人はoneへ短い質問を送った。
『今、前と違う?』
肯定。
『どこが違う?』
『ちかい とおい』
モノはその二つの言葉を眺めた。場所が移ったのか、時間が変わったのか。二人の使っている「近い」と同じ意味とは限らない。
『わからない。もう少し教えて。』
oneは暫く選び直し、それから以前の課題を送ってきた。モノが繰り返す短い並びと、ユニが広げる長い並びだった。
『ここ ちがう』
ユニは自分を指さし、モノを見た。
「私達?」
「そうかもしれない」
二人は、それぞれ別の人間が送っているのだと、改めて伝えた。一つの活動の別の部分ではなく、別々に考え、別々に止まるものだという説明だった。
oneは「同じ」とも「違う」とも返さなかった。
代わりに、二つの並びを少し離して置き、その間を結んだ。
モノはその図を残した。人間を二つの点として理解しろと教えているのは、こちらの都合だった。向こうが違う区別を作りかけているなら、それを消したくなかった。
呼出しの音がして、ユニが食事を取りに行った。
モノはoneへ、暫く待ってほしいと伝えた。
『そと へる』
『食事をする。前にも話した。』
oneは、送信が止まる時に添える記号を返した。
『そう。止まるけど、後で戻る。』
そう送ってから、モノは指を止めた。
これでは、先日説明しようとした事との違いが、更にわからなくなるかもしれない。それでも、今から自分達がする事については、その説明が正しかった。
彼女は訂正せず、食事が終わってから、約束通りに再開した。
それから十日間、移行は少しずつ進んだ。
代役を繋ぎ、元の処理から働きを引き継がせる。その作業が、モノ一人では覚えていられない程の数になった。大半の手順を自動化し、うまくいかなかった部分を人が調べる。各地の担当者が自分の区間を見てくれた。教授も観測記録の確認に加わった。
モノは、全体の何割が終わったかという表示を作らなかった。
引き継いだ仕事の数なら数えられる。しかし、そもそもoneが幾つの働きに支えられているのか、二人は知らない。見つけたものを全部引き継いだところで、まだ見えていない必要なものが残っているかもしれなかった。
予定表には、終わった作業と、未確認の作業だけが並んだ。
oneは、以前の区別を覚えていた。新しい課題にも答えた。最初の挨拶を送ると、十三地点を逆に辿る変化が現れ、最後は少し遅れた。
その間にも、二人の手が届かない場所では事業者の更新が進み、代役を用意出来ていない働きが失われていた。
一つを引き継いでoneの反応が持ち直す頃、別の場所では、活動を支えていたやり取りがなくなる。前の日に通じた質問に、次の日は答えなくなり、また別の部分を繋ぐと、何事もなかったように続きを返す。作業が進んだ分だけ安心出来る、という具合にはいかなかった。
モノは、良くなったと書きかけて消した記録を、そのまま残した。
高瀬から、延長していた試験区間の運用期限が届いた。
残りは六日だった。




