2.
「校正用の信号、何にする?」
ユニが尋ねた時、モノは実験とは何の関係もない、プリンターの紙詰まりと格闘していた。
「何でもいいんじゃない?ハローワールドとか」
「良いね、はじめましてって感じ」
モノが引っ張ると、紙は見事に真ん中から破れた。残った半分は、手を入れにくい所へ引っ込んでしまった。彼女は暫くそれを眺めてから、プリンターの電源を切った。
食堂での相談から三日経っていた。
二人が考えていたのは、幾つもの場所で通信量を僅かに変え、あの揺れがどう変化するかを見る実験だった。大きな負荷を掛ければ、何処かが遅くなる。当たり前の結果を得るだけで、他人に迷惑を掛ける事になる。使える刺激はずっと小さなものであり、それだけに、いつ、何処から送るかを考えなければならなかった。
ユニは、揺れが膨らみ始める所に合わせてみようと言った。一度で変化が見えなくても、同じ調子で繰り返せば、その違いを拾えるかもしれない。
モノはその案を、まだ外へは何も送らない試作プログラムにした。地名の代わりに記号を並べ、送信する順番と間隔を変えられるようにする。まず、その画面で使う適当な文字列が必要だったのである。
「十三文字だって」
「何が?」
「“Hello, World!”空白と感嘆符を入れて」
モノは破れた紙を持ったまま画面へ寄った。ユニは文字を一つずつ区切り、その下に八桁の二進数を並べている。
「一か所に一文字ずつ持たせようか。場所ごとの違いもわかるし」
「同じ文字、三つあるよ」
「順番もあるでしょ」
ユニは三つの小文字のエルを指で辿った。それぞれの位置へ送信時刻を添えると、同じ文字も別の部分を受け持つ事になる。
「十三か所。頼めるかな」
「先に文字数を決めちゃったね」
「短くする?」
モノは画面を見た。何でもいいと言った手前、思い入れなどない筈だったが、今更ただの二桁の数字に変えるのも、少し寂しい気がした。
「取り敢えず、これで相談してみよう。駄目だったら減らす」
そう答えて、彼女はプリンターの方へ戻った。
教授は十三という数字の由来を聞いて、少し笑った。
「それが必要な数だと説明するつもりなら、考え直した方がいいかな」
「そこまでは言いません」
モノが答えると、教授は頷き、実験計画の次の頁を開いた。通信量の上限と、実験を止める条件について確かめてから、観測記録を提供してくれた研究室の一覧を出す。
「何人かには、私から話をしておきます。実際に何を動かすのかは、君達で説明して下さい」
借りたいのは、大掛かりな設備ではなかった。研究室のマシンの一部を使い、決めた時間に実験用の通信を発生させてもらう。その間の観測記録も欲しい。プログラムはこちらで用意し、実行や停止は相手の担当者に任せる。それだけなら協力出来るという返事が、まず三か所から届いた。
そのうちの一通には、何故十三なのか、という質問が添えられていた。
「正直に答えていいと思う?」
「もう教授には言ったし」
ユニはモノの肩越しに画面を覗き、十三文字を入力した。モノはその前に、地点数に特別な意味はないと書き足した。
翌朝届いた返事は短かった。いい挨拶だ、という一文と、実行環境の情報である。
十三か所目が決まるまでには、それから三週間かかった。
マシンは空いていても担当者が不在だったり、担当者が乗り気でも、その月は回線を別の実験に使っていたりした。朝に送った質問への返事が夜中に来る。返事を待つ間に直したプログラムが、その返事でまた直る。ユニが説明資料を作り、モノが動作を確かめ、その結果を二人で相手へ伝えた。
いつの間にか、世界の都市名を見ると、名所より先に担当者の名前が浮かぶようになっていた。
「サンパウロ、動いたって」
「ナイス。じゃあ、あとはヘルシンキ」
「ヘルシンキは、今からお昼だって」
「こっちは夕飯も食べてないのにね」
ユニはそう言いながら、既に次の資料を開いていた。モノはその端末を横から伏せ、椅子の背に掛けてあった上着を取った。
研究室には、計測用の小さな機器が二つ増えた。その一つに、モノは「ネットワーク聴診器」と書いたラベルを貼った。
「聴診器って、こんなに準備が必要なものなのかな」
「知らない。お医者さんに聞いて」
「これで何もわからなかったら?」
「そういう結果を書く」
「うん」
ユニはいつもより素直に答えた。モノはラベルの浮いた端を爪で押さえてから、彼女を見た。
「何かあってほしいとは、思ってるけどね」
ユニは笑った。
準備の間も、各地の揺れは続いていた。静まっている時間もあれば、揃い方の悪い時間もある。最初の晩に似ていた八本の波形を、そのまま毎日見る事が出来る訳ではなかった。二人は長い記録を取り、刺激を与える時刻を選び、何もしない時間の変化も調べた。
ようやく最初の実験を始めた時、研究室には二人しかいなかった。
十三文字は、短い通信のまとまりと、その間の空白に置き換えられた。一文字分を一つの地点が受け持ち、順に送る。文字の内容を誰かに読んでもらう為の通信ではない。いくつもの場所に跨る、決まった触り方を作ったのである。
こちらの測定プログラムでも、全部の記録を集めれば元に戻せる。これを受け取れたから意識がある、とは言えない。知りたいのは、各地に散らした刺激によって、普段の通信の上にどんな変化が現れるかだった。
画面の十三の点が、順に明るくなった。
最後の点が消え、送信完了の表示が出た。
「どう?」
「まだ何とも」
モノは観測用の画面を広げた。何かが出たと思えば、別の回線の混雑だった。揺れが大きくなったようにも見えたが、刺激を与えなかった時間にも、同じ程度の変化がある。
その日は、それ以上の事は起きなかった。
翌日も、二人は同じ席に座った。間隔を調整し、試行の間には充分に時間を空けた。三日目には、刺激を与える時間をあらかじめ無作為に選んだ一覧が出来た。モノが送信側を見ている間、ユニはどの回に何を送ったか知らされずに、観測結果だけを調べた。
「ここ、何かした?」
ユニが指した時刻には、何も送っていなかった。
「してない」
「そっか」
ユニは印を消さず、その横に小さく書き加えた。
モノは自分の期待が外れるたび、少し安心した。そんな程度のものを、特別な返事だと思い込まずに済む。その安心を、毎回残念に思うのだから面倒だった。
四日目の夕方、モノは送信を終え、食べかけの菓子パンの袋を開いた。
「モノ、今の記録、閉じないで」
「閉じてないよ」
「十三番目から見て」
ユニの画面には、十三本の波形が並んでいた。
送信を終えてから暫く経った所に、小さな膨らみがある。それが一つ下の波形では少し前に、その隣では更に前に現れていた。都市の並びを送信順に戻すと、変化は最後に送った地点から、逆に辿っていた。
最後の一つだけが、少し離れていた。
モノはパンを袋へ戻し、送信記録を開いた。再送はない。各地のプログラムも既に待機に戻っている。
「これ、受信確認じゃないよね」
「その通信は除いてる。こっちは別に測ってる回線」
ユニの言葉を聞きながら、モノは自分でも確かめた。一つの集計画面に現れた形だけでは信用出来ない。各地で保存された時刻を取り寄せ、表示をする前の値まで戻った。
十三か所に、順番を逆にした揺れが残っていた。
次の試行では、何も起きなかった。
その次には、十か所だけが同じように変化した。全部揃う反応が再び得られた時、モノの菓子パンは、袋の中ですっかり潰れていた。
「ここ、また遅れてる」
ユニは最後の一拍を指さした。
「さっきより長いけど」
「でも、何か、癖みたいじゃない?」
「これを癖って言っちゃうのは乱暴じゃない? 偶然でも、こういう形にはなるでしょ」
「うん。その可能性もある。でも、ロマンがあるでしょ?」
「それはある」
モノは少し笑い、最初の反応を画面の端へ寄せた。
「所詮信号だよ。今のところ」
「モノは、脳のどこかに電流で、知らない言葉を流されたとして、同じ場所から返事できる?」
「まあ、無理だね」
「そもそも、それが言葉かどうかもわからないでしょ。向こうも、何かあった、くらいなのかもしれない」
モノは十三本の波形を見た。英語が戻って来た訳ではない。文字を読む仕組みすら、向こうにはないのかもしれなかった。
あるとすれば、何処かを押されて、その押された所が動いた。それだけの事でも不思議ではない。
「反射みたいなもの?」
「かもしれない。そもそも、生き物の反射みたいに考えていいかも、まだわからないけど」
「珍しく慎重だね」
「だって、本当に変わったから」
ユニはそう言って、もう一度画面を見た。笑ってはいなかった。
その後、二人は送る順番を変えた。同じ量の通信を、ばらばらな間隔でも送った。担当する文字を入れ替え、一つの地点を休ませ、観測だけをする回を混ぜた。
反応の出方は変わった。順番を変えれば、逆に辿る順番も変わる事があった。ただし、いつもそうなる訳ではなく、一つを抜いても残りが反応する事もあれば、全部が静かな事もある。決まりを見つけたと思うと、翌日の記録に外される。
それでも、同じ刺激を繰り返しているうちに、変化が現れるまでの待ち時間は、少しずつ短くなっていった。
教授に見せる資料へ、ユニが「応答」と書いた。
モノはその文字を見て、暫く考えた。それから、その下に試行数と、何も返らなかった回数を付け足した。
「消さないんだ」
「刺激に対する応答、とは言えるから」
「うん」
「返事かどうかは、これから」
ユニは頷き、椅子の上で膝を抱えた。モノは足元の袋から、新しい菓子パンを二つ取り出した。
「夕飯、これでいい?」
「いいの?」
「今日買った方。昨日のは私が食べるから」
ユニが手を伸ばした時、画面の端でまた、小さな揺れが膨らみ始めた。




