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ONE  作者: 林 刺青
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1.

 深夜の研究室に空調の音だけが響いている。窓際の照明は人がいないと判断して勝手に消え、ホワイトボードの前だけが不必要な明るさを保っている。その下でユニは膝を抱えて椅子に座り、先程モノが完成させた観測記録を眺めていた。


「時計は?」


「調べた」


「共通の時刻サーバーを参照してるとか」


「調べた。測定用の機器も、集計してるプログラムも。この問答、三回目」


 モノはそう言って、マグカップを持ち上げた。軽さで空だとわかった筈なのに、何となく口元まで運んでしまう。コーヒーの香りだけが鼻を抜けた。その後ユニの方に目をやると、彼女はニヤニヤしながら持っていた飲みかけの缶を差し出している。


「私がエナドリ苦手なの知ってるでしょ」


「エナドリの美味しさが分からないとは、モノちゃんもまだまだだね。仕方ない、私がコーヒーを淹れてあげよう」


「ありがと」


 ユニはモノが机に置いたマグカップを手に取ると、十数分ぶりに足を下ろしてポットの置いてある机に向かった。

 モノは椅子の背に身体を預け、少しして聞こえてきたガチャガチャとした音を聞きながら机の上に並ぶ画面へ視線を戻した。


 通信品質の観測というのは、大部分が退屈な作業である。測定結果が悪ければ機器を疑い、良かったら良かったで、測定方法への疑念が頭を過る。とは言え、予定していた期間に何も起きなければ、記録を取るだけの単調な作業をこなせば良いだけ。面倒で時間はかかるが、やる事自体は簡単な研究の筈だった。


 その予定にない“何か”が起きたのは、今日の、いや、昨日の昼過ぎである。


 東京とヘルシンキの観測記録に、よく似た遅延の揺れが現れた。人間が通信の不具合として感じるには小さ過ぎる、数十マイクロ秒程度の揺れである。午前中の記録には見当たらず、昼過ぎから、どちらの地点でも現れ始めていた。


 その程度の揺れ自体は珍しくない。しかし、時刻を確かめながら二つの記録を辿ってみると、大きくなる所と小さくなる所が、どうも似通っている。


 測定上の不備だろうと思って別の観測点を調べると、ケープタウンにも同じものがあった。サンパウロにもあった。経路も機器も事業者も異なる通信に、少しずつ時刻をずらしながら、よく似た変化が現れていた。


 そうなれば、モノもユニも並べてみなければ気が済まない。各地から生の記録を取り寄せた段階で、日付が変わっていた。


 取り寄せたデータも曲者だった。時刻の表し方も数値の単位もばらばら。普段使っている集計処理を通せばすぐに揃うが、その際に行われる丸めや平均化で、見たい揺れまで消えてしまう。


 モノはまず、比較する時間を短く区切った。それから必要な数値を拾い、一つずつ表に打ち込み、同じ目盛りのグラフにしていった。東京とヘルシンキだけを比べるつもりだった表には、都市が次々に増えた。その間、ユニは測定機器の仕様と時計の合わせ方を調べ、モノが入力した数値を元の記録と照らし合わせていた。


 明日まで待てば、取り込み用のプログラムを作り直す時間もある。わざわざ手打ちでやる事はない。そう言ったのはモノの方だったが、最後の都市の入力を終えるまで席を立たなかったのも、やはりモノだった。


 八つの都市のグラフが完成した頃には、終電を調べる必要もなくなっていた。


「世界規模の同期処理とか? まだ公開されてないやつ」


 モノが口にすると、丁度戻って来てマグカップを机に置いたユニが画面を見たまま首を傾げた。


「それなら、もっと正確でもよくない?なんて言うか、有機的なんだよね」


「そうなんだよ。まあ、だから困ってるんだけど」


 モノの言葉に、ユニは素直に頷いた。その素直さを、モノはあまり信用していなかった。彼女がそうするのは大抵、納得した時ではなく、別の事を考え始めた時だ。


 モノはコーヒーを一口飲み、全てのグラフを一つの画面へ並べた。数値の表と設定の窓を閉じると、都市の名前を脇に添えた八本の波形だけが残った。


 細かな揺れが幾つも重なって膨らみ、やがて静まる。暫くして、別の場所からまた膨らみ始める。

 時には短く、時には長く。大きな揺れの中に現れる細かな山の数も、そのたびに少しずつ異なっていた。それでも八つの都市を見比べると、揺れのまとまりが現れては静まる、その調子がよく似ていた。


 ユニの手が、持ち上げかけていた缶と一緒に止まった。


「——脳波?」


「え?」


 モノはユニを見た。彼女は既に自分の端末を引き寄せ、何かを探し始めていた。


「前に、神経情報の演習で使ったデータがあって。ちょっと待って」


 暫くして、ユニは一枚の図を画面へ出した。何本もの細かな波が上下に並び、ところどころで大きく揺れている。大きな波のまとまりの間には、比較的静かな区間が挟まっていた。


「赤ん坊の。生まれて間もない子が、静かに眠ってる時の脳波」


「赤ん坊?」


「ここ。揺れがまとまって出て、その後で小さくなる。またまとまって出る。これを見て思い出したんだよね」


 ユニは図の一部を指で囲み、それからモノの作ったグラフを指さした。


 言われてみると、似ていた。


 無論、片方はニューロンの活動による電位差で、もう片方は通信の揺れである。目盛りも違う。細部まで一致する訳ではなかったが、波が密に集まってはほどける、その並び方には確かに通じるものがあった。


「見てるうちに、そういう風に見えてきた」


「でしょ?」


「でも、似たグラフなら探せば他にもありそうじゃない?」


「うん。これは、ただ似てるだけかもしれない」


 ユニはそこで一度言葉を切り、二つの画面を見比べた。


「もし八つの場所で別々に起きてるんじゃなくて、一つの現象を別々の場所から測ってるんだとしたら——」


「ネットワーク全体が一つの活動をしてるって事?」


「そう」


「随分と大きく出たね」


 ユニは缶を置き、ホワイトボードの前に立った。誰かが消し忘れた式を避けて幾つかの点を描き、その間を線で結んでいく。


「経路を選ぶとか、混雑を予測するとか、データの複製とか。与えられた結果によって動作が変わる仕組みなんて無数にあるでしょ?そんな相互作用の繰り返しが複雑化しながら広まっていった結果、個々の処理を作った人の誰にも想定出来ない混沌になってる」


 ユニはペンを止め、モノの方を向く。ホワイトボードには、滅茶苦茶な模様が浮かび上がっていた。


「意識って、そういうところから生まれるのかな」


 モノはマグカップを口元で止めた。


「インターネット自体が意識を持ったって言いたいの?」


「そこまではわからない。でも——」


「少し寝た方が良いんじゃない?殆どオカルトじゃん、それ」


 それを聞いたユニはばつが悪そうに笑った。


 モノはそれを見て、諦めた様に笑う。こうなると、ユニは止まらない。多分、論文の主題はこの話題に変わるのだろう。まあ“インターネット通信と脳波の類似性”くらいが落とし所だろうが、通信品質の観測よりは幾らかロマンがある。


 八本のグラフは、つい数分前まで、帰れなくなった理由でしかなかった。ところが今は、その小さな揺れが収まる場所を、何となく目で追ってしまう。


 モノはコーヒーを飲み、カップを置いた。


「まずは、私の手打ちが間違ってないか確かめないと」


「全部、見直したよ」


「二人で同じところを見落としてるかもしれないでしょ。明日は別のプログラムで取り直す。それでも残ったら、機器も替えてみよう。でもごめん、流石に夕方からでお願い」


「うん。私も寝たい」


 ユニはボードの端に、明日確かめる事を書き始めた。




 翌週の研究会には、自動で取り直した記録と、別の機器で測った結果を持って行くことになった。つまり、あの揺れは残っていて、論文のテーマが取り敢えず“離れた通信網に現れた、原因不明の共通変動”に変わってしまったという事だ。


 モノの作ったグラフと、ユニが考えた結び付きの図が、一緒にスクリーンへ映された。


 教授は観測手順について二つ質問し、それからユニの仮説について三十分話した。止まらなくなっているユニの機嫌をとる様な態度ではあったが、別の原因になり得る事柄を次々と挙げていく。それらについて既に行った検証結果を、ユニはまるでカードゲームをしているかの様に差し出した。


 教授は何処か嬉しそうだった。


 無理もない。測り方が間違っていないという話より、インターネットに意識が生まれたかもしれないという話の方が、余程面白いに決まっている。


 モノ自身もそう思っていた訳で、余計に始末が悪かった。


 研究会を終えたユニは、廊下に出るなりモノを振り返った。


「あの二つ目の質問、よくすぐに答えられたね」


「二日前に同じ事を考えて、半日無駄にしたから」


「無駄じゃなかったって事だね」


 そう言ってユニは笑った。


 モノは手にした端末を鞄へ押し込み、ユニの隣に並んだ。ユニは満面の笑みでモノの顔を覗き込む。


「次は外から触ってみたいんだけど」


「何に?」


「今、話してたものに」


「どうやって? さすがに、あのグラフをつつく訳にもいかないでしょ」


「そこを相談したいんだ」


 どういう訳か彼女は、思いつきの行き先に困ると、いつも当然のようにモノを見る。

 モノは少し考えてから、鞄へしまった端末をもう一度取り出した。


「昼ご飯食べてからでいい?お腹空いた」


 “奢れ”という意味である。


「いいよ。何食べる?」


 モノは「一番高いの」と答えながら、食堂への廊下を歩き始めた。ユニは隣で、まだ形にならない実験の話をする。料理を注文する頃には、端末の画面は新しいメモで埋まっていた。

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