Ticket #4「emergence」①
――朝の情報番組は、いつも通りに始まった。
『続いては、週末の行楽情報です。各地のイベントが――』
テーブルの上では、焼かれたばかりのトーストに卵が淡く湯気を上げていた。
画面の向こうでは晴れやかな笑顔のキャスターが、行楽地のVTRへと手を伸ばす。
その下で、細長いテロップだけが場違いに流れている。
『フルダイブ利用者の一部で覚醒遅延か。ArkTec社発表「健康被害の報告はなし」』
「……覚醒遅延だあ? なんじゃそら」
シャツのボタンを留めながら、青年がテレビに目をやる。
母親は皿を並べる手を止めかけて、しかし「大丈夫でしょ」と笑みを貼り付けた。
「よくあるんでしょ? なんか、寝ぼけてるのが長いみたいなやつ」
『今回の事例について、ArkTec社は「一時的なログアウト遅延であり、ユーザーの安全性に問題はない」とコメントしています』
「……よくは無えだろ」
スタジオに切り替わり、専門家と肩書きのついた男が、落ち着いた声で言葉を重ねる。
『BMI装置の普及期には、こうした“覚醒までのラグ”はよく起きる現象でして……』
『そうなんですね〜。あまり心配しすぎずに……』
番組の空気は、あくまで「ちょっとしたトラブル」として流そうとしている。
コマーシャルへ切り替わった画面の中では、相変わらずアルカのCMが、楽しげに理想郷を謳っていた。
画面の隅には、Graceの社会実装実績を並べる短い帯が流れる。医療、交通、電力、物流――アルカを作った超知能は、ゲームの外でも物理現実を人間には追い切れない速度で更新し続けている、と。
「ふーん……」
『ようこそ、プロジェクト・アルカへ。あなたのもうひとつの現実が――』
青年は思いついたように口元に笑みを浮かべると、自室に向かって踵を返す。
「忘れモンした」
「ちょっと、遅刻するよ」
「はいはい」
遅刻上等——こんな面白そうな機会、逃す手はない。
——
▼シノミヤ駅・構内ホテル
駅舎の中はホテルに直結していて、先の騒乱からの避難所としてロビーを流用していた。
プライベートなホテルブースも存在するのだが、誰しもが使えるわけでもなく、互いに身元を引き受けられるわけでもない。意識不明者たちは有志に運搬され、ひとところに集められていた。
そんな中、ソーマはいち早く上階の一室を取っていた。
まとわりつくような静寂の中。イフと二人、エルスの様子を見ていた。
「……」
彼女は柔らかいベッドの上で変わらず――閉じられた瞼を動かさないままだ。
その手をかたわらで握り、イフはずっと涙を目に浮かべている。
「……目を覚まさないなんてこと、無いよね……」
「わか、らない……そうだと、思いたい」
「…………」
「わた……あーしはさ、エルスに、無理言って続けてもらってるんだよね、実のところ」
「……」
「これじゃあ、私が巻き込んだようなもので……あっ、あはは……出会ったばっかりの子になーに言ってんだろ私……」
ぐしゃぐしゃと頭を掻いて、彼女は俯く。
やがて少しばかり顔を上げ、目線はエルスに向けたまま、イフはソーマへ問いかけた。
「ねえ、ソーマちゃんはBBのすごい人なんでしょ? こういうのだって、バグ探しの一環で治療法を見つけられたりとか……」
「できない。その話だって、知らない人たちが勝手に言ってる、だけ」
「……そんな都合の良いこと、あるわけないか」
「――でも、調べることは、私にも、できる」
自分を通したアルカの様子は何度となくモニタリングしてきたが、他人を通したアルカ――あるいは、己以外のパラメータを計測したことはなかった。
イフと場所を代わり、エルスの手をそっと握る。伝わってくる温度や柔らかさ、そこから読み取れる数値的意味合いは、現実で知るものと変わらない。――恐ろしい精密さだと、思う。
「イフも、手を出して。基準が、ほしい」
「? こ、こう……?」
「……体温差異、一度。心拍数40から45、ノイズ許容内。睡眠時とするなら――平常の範囲」
まったくの正常そのもの。彼女がただ眠っているだけなのだとすれば、問題ないラインに落ち着いている。
「読み取れる、バイタルサインからして、エルス、寝てる時と変わらない。安定してる。たぶん、死んだりすることは、ないと思う」
「そっか……ひとまずは安心なのかな」
「断言は、できない、けど。おそらく、今は平気。アルカで眠り続けることが、どんな影響を及ぼすかまでは、わからない」
「……前にあーしが配信でやらかして、一晩中へこんでた時さ。あいつ、慰めるでもなく朝飯だけ置いてったんだ」
「……」
「立場、逆んなっちゃったな」
浮かないイフの横顔に、これ以上送れる希望はなかった。
クイックアクションでメニューを呼び出し、最下段のシステムからログアウト押下。
『技術的な不具合が発生しております。サポートにお問い合わせください』
かといってそのサポート窓口へ繋げるはずの自動応答AIは、読み込み中のローディングバーを提示し続けるばかり。
「やっぱり、ログアウトは、できない。返答にも、双方向性はない。システム方面、手詰まり」
「あ、はは……まるで昔のラノベだね……」
「ここは、現実。――それに、アレと違って、明確なクリア条件すら、提示がない」
フィクションと違い、死亡した場合にどうなるかさえ、まだ誰も確かめていなかった。
ソーマは、口元に手を当て考える。
プロジェクト・アルカ。ようやく技術的特異点へ到達したとされる超知能が作った、フルダイブゲーム。
その裏にあるのは、大規模AI企業――ArkTec。
誰が企図して、こんなことをしでかす理由は何か。少なくとも、現実では大騒ぎになっているはずだ。
……もし、それすら封殺できるのだとしたら。
しかし、あいにくと――ソーマは、糸引くであろう者たちの知見をまるで持たない。
眼の前のバグへかじりつくことばかりに夢中だった。確とした情報が足りない。
「もっと、興味を持つべきだった。外側にも、内側にも」
ため息をつき、腕を組んで天井を見上げる。古風なファンは、近場の水力発電所から注がれる電気でくるくると回っている。
籠の中の鳥。箱庭。上位次元から見張られる下位次元の存在。プレイヤーたちの羽ばたきなど、きっと超知能にかかれば掌の上。意味など生み出せるのか――。
――気に入らない。




