Ticket #3「isolation」③
サポートAIは、あくまでBB作業を補助するための存在であり、プレイヤー自身に利益の出るような行動はほとんど取ることができない。
できうる限りで身を起こし、心拍と呼吸を落ちつけながらなんとか指示を出す。
「イフと、エルスの、様子……」
言葉に遅れてカメラが何度か切り替わり、駅舎の軒先に避難している二人の様子が映し出された。
エルスが固まっている——横でイフが必死に身体を揺すっている。
軒の外へ出ていたイフの右腕にだけ、暗いノイズが薄くまとわりついていた。
映像の乱れにも見える程度のものだった。
「…………!!」
動か、なければ。ならない。
痛覚緩和は動かない——クラッシュして、フェイルセーフで止まっているのか。
感覚フィルターが異常入力を検知してハング、運動系を遮断した。仕様として正しく、完全な判断。このまま動かなければ安全。
――BBの診断ツールなら、ハングしたプロセスの強制終了はできる。
バグ調査中に何度もやった。ただし、対象が自分の痛覚緩和だったことは——一度もない。
終了させれば動ける。でも、再起動するまで感覚フィルタはゼロになる。
でも。
エルスが倒れて、イフは、泣いて、いる。
「推、奨しませ、ん」
歪なレテの声が微かに響く。だが、決めた。
――痛覚緩和、強制終了。
「――っ、あッ……!?」
世界が、ぜんぶ敵に回った。そう思うほどの鮮烈な『痛み』が、全身を刺し貫いた。
一瞬で後悔した。バカな真似をしたんだと突きつけられた。
うずくまって悲鳴を上げたい。全身が震える。奥歯が勝手に動いてカチカチうるさい。その音さえ、響きさえ、頬を勝手に伝う涙の軌跡さえ、すべてが痛みに変換されていく。
皮膚が焼け焦げ泡立つ感覚。頭の中の全部が熱を持ってる。体の中身があるのなら外も内も血みどろなんじゃないか。
たぶん、現実だったら吐いていた。そのまま気絶できていた。でも、アルカの中に「内臓」なんて概念はないし、血まみれになることだってない。
私の心拍数は、血圧は、呼吸は、今、リアルでどうなっていることだろう。
でも、動ける。
指も、手も、腕も、肩も、首も、顔も。
「――ホンモノじゃ、ないのに、ぜんぶ、ニセモノの、はずなのに、痛い――」
でも、立ち上がれる。
つま先も、膝も、足も、腿も、腰も、体も。
ここはアルカだから。
解除の衝撃に縮こまった体を瞬間的に伸ばし、今までいた場所が崩壊せんほどの勢いで飛び起きた。
この世界が与えてくれるフィジカルの強さに感謝しながら、ソーマは光の線となって崩れたビルの縁まで走った。
雨――のようなものは未だに続いていて、文字化けを伴いながら時折なにかしらの数列らしい表示が目には映っている。
「レテ、視界を録画……!」
「了、解しました」
ひとまず数列を記録に残し、意味の解析は後に回す。まだレテは調子が悪そうだ。
というより――自分のほうが、よっぽどまずいかもしれない。しぶとく深い痛みの残響が、あらゆるUIや情報へざらついたノイズとなって喰らいついている。
「っ、ふ、う」
現実では見たこともない視界の歪み。ふらつき膝をつきそうになりながら、下を覗く。
飛び出して、良いものなのか。
「雨」を浴びた者は、軒並み意思を奪われたように茫然自失。
運良くソーマは屋根のある場にいたから免れたが――あるいは、誰かの意思によって誘導されたのか。
どちらかなんて今はわからない。いずれにせよ、不用意に触れてしまえばあの人たちの二の舞になりかねない。
「……足場で、雨を、遮る。――解凍」
暴れ回る感覚野に支配された脳髄を絞って、なんとか対応策を捻り出す。いつもならコンマ秒もかからないのに、三秒も掛けて。
先ほどは雲へと近づくために使った足場を頭上と足元へ同時に放る。
上下に形成された浮き石の通路を伝う。着地のたびに足の裏から頭の天辺まで一瞬で駆け抜ける痛み。
なんとか二人の所へ駆け抜け、咳き込みながら転がり込む。
「――イフ! エルス!」
「あ、あ、ソーマちゃ……」
返事をしたのは、ボロボロに泣き腫らしたイフ。
エルスは目を見開いたまま固まっていて、そこから感情や苦悶の類は読み取れない。
「……一体、何が」
「わ、わかんない。わかんないの。この雨を浴びたら、え、エルスだけが固まっちゃって……身動きどころか返事もしてくれないし、こんななのにログアウトもされないの……」
「ログアウト――」
配信ではきっと見せたことのない、弱りきったイフの表情――だが。
目の前の状況はいったん保留、己のUIを開く。
ようやく痛みの波が落ち着いてきた。ブランケットの再起動を試行する。
〈PAIN BLANKET:再起動試行〉
〈再起動に失敗しました〉
〈再起動に失敗しました〉
〈PAIN BLANKET:プロセス破損。修復にはメンテナンスが必要です。〉
——直らない。
キルした時に、壊れてしまったのか。
今は、とりあえず無視。それに、入り直しさえすれば――。
終了画面まで一気に進め、タップ――しても、ログアウト処理は起こらない。
『技術的な不具合が発生しております。サポートにお問い合わせください』
何度叩いても、出てくるのは事務的なダイアログだけ。
「強制ログアウト、方法、知らない……死んだってリスポーンするだけ……現実の体の不具合……? そんなの、こっちからはどうしようも……何か方法は……」
未だ数列を降らす曇天を仰ぎ、八方塞がりに自然と口から言葉が漏れる。
「閉じ込め、られた?」
――あるいは、「外」を遮断されたのか? 誰かの、意思で。
合わせたように続くアナウンスの冷たい宣言が、その場に意識を有する全員の耳朶を打つ。
『当時刻をもちまして、本ゲーム正式サービスインの運びとさせていただきます。
これからもプロジェクト・アルカを、どうぞ末長く、よろしくお願い致します』
エコーのものではない――なんなら、ロレライのものとすらも思えない、今までに一度も聴いたことのなかった、無機質な声色のアナウンス。
そのメッセージが流れ終わるなり、まるで部屋の電気でも消すかのような何気なさで、巨大な雨雲は一瞬にして消え去った。
惨劇など無かったかのような、降雨のカケラも残さない、圧倒的静けさの晴れがましい青が覆っている。
今は、アルカ時間で深夜のはずだった。
白夜がごとき蒼白の天蓋は、小揺るぎもせずにプレイヤーたちを見下ろしている。
視界がぶれる。立ち上がれない。
周囲で人が叫んでいる。エルスは動かない。イフが泣いている。
――わからない。
何が起きているのか、わからない。
初めて、ソーマの処理系に「わからない」が発生した。
〈SYSTEM:外部接続を確認できません〉
〈SYSTEM:ログアウト機能は現在ご利用いただけません〉
〈SYSTEM:ご安心ください。安全です〉
安全?
エルスが動かない、のに?




