Ticket #3「isolation」①
▼シノミヤ駅・駅舎屋上
イフとエルスに手を引かれた先、駅舎の屋根の上。
同じことを考える者も少なくなかったが、その広さは登ってきた人数よりずっと頼もしい。
和と洋の間のような風合の駅舎上は風がよく通り、思った以上に過ごしやすかった。
「いやー、屋上ってのも中々オツなモンですな!」
「……登るのシンドイ。高いとこ怖い」
「ハハ、エルスのざぁこ」
「あんだイフてめえ」
現実では決してできない、無法ながら夢あふれる鑑賞体験。
しかしそれを咎めるような者は居ない。この街並はすべてアルカプレイヤーのものなのだから。
「!」
「お、上がったねえ」
どん。
花火が駅舎の上空で炸裂し、電子的閃光と電子的音響が満ち――火薬の臭いだけがやがて生々しさを伴って嗅覚へたどりつく。
現実にない、シミュレーションの先から届けられたモノ。だからこそ、安定している。そのブレを認知できる者もいる。
炸裂したのちに七色へ転じ、照らされた夜空へ消えていく残光に三人の目が煌めく。
――温度、湿度、リフレクション、ガンマ値等々、虫喰い近傍特有のブレもなし。
「……綺麗だね」
「何か、言った?」
「ん? ううん」
小さく、満足げなつぶやき。花火の大輪が最大を咲き誇ったとき、エルスから零れたその一言は、届かなかった。
変わらず、目に映るパーティクルを、ソーマは計算にばかり落とし込む。
「……ソーマちゃんって、綺麗なものも数字で見てる?」
「うん。数字も、綺麗」
「そっか。それもいいね」
考えたことがある。
この数値の桁がひとつふたつ飛んだらどんな匂いになるのか、どんな受容が為されるのか――嗅覚に限った話ではない。
温冷感をはじめ、触覚や痛覚の入力は、生命にかかわるレベルに到達しないようボーダー、衝撃緩和が設けられている。
あるいは、それ以外の五感にもきっと天井があるのだろう。
そんな致死的パラメータが入力されることはありえないだろうが、それでもバグの向こうになら。
この花火よりもずっと鮮烈な値が、どこかに潜んでいるのでは――などという物騒な思考をするソーマをよそに。
「たーまやー」
呑気なイフのリアクションに、ソーマの中の計算機が少し止まった。
「ゲームの中だから近付いたって熱くもないし、無茶な演出も余裕でできるのがいいとこだね」
穏やかに楽しむ二人。ソーマとは違う、けれどきっと普遍的な、他愛もない言葉。
「……」
データにできないたくさんの、シンプルな意味合い。
ソーマの計算能ではまだ、分解できていないような気がする。
「――いや。てか、上げすぎじゃね?」
現実を凌駕する数、形状、色彩で射出された花火は、アルカのマスコットキャラやデフォルメされたNPCの点描アートも交え、美しさを誇示しながらもリアルな煙をまとっている。
「煙すご。花火見えなくなっちゃうよ」
「……?」
――何か、混ざっている。
火薬臭さの向こうに、違和感のある匂い。
「パラメータが、おかしい」
「ソーマちゃん? なしたん?」
「…………」
自然と立ち上がったソーマに、二人は首を傾げる。
続けて弾けた光に、その横顔と、膨れ上がっていく煙が照らされ浮かび上がる。
「レテ、この後の天候」
「はい。以後、晴れが続きます」
「違う。だったらアレは何」
「――――」
大きな煙塊――否、積乱雲。
花火の祭典に照らされ、さらには時折稲光をその身に走らせ不気味に浮かび上がっている。
まるで、残煙をエサとして急速に膨れ上がっているかのようだ。
レテの返答を待たず、ソーマはUIを開いて天候を確認する。晴れ。天候マップ上から見ても雨雲は断片すら存在せず、降雨の兆候は――目の前で広がる暗雲だけ。
「んん? 雨降るん? 言うてイベント前よ?」
「……変だね。アルカの天気って、基本的には予報通りなのに」
「レテ、返答」
「――――」
己の体を不規則に点滅させ、まるでレテ自身も困惑の最中にあるように沈黙を守っている。
「行く」
「え、ちょっソーマちゃ――」
イフが反射的に伸ばしたであろう手を、一瞬だけ握り返す。
逡巡。二人を置いていって良いのか。ゼロコンマ――五秒。彼女にとり、それは長い時間だった。
「……ごめん、すぐ、戻る」
――けれど、二人にとってはわずか。彼女は決断する。
矮躯からは想像できないほどの瞬発力を発揮し、弾丸がごとくソーマは飛び出した。
『アルカなら、雲を直接観察もできる。イフとエルスは、待ってて』
飛び上がった空中で猫のように体を捻り、意図は二人の脳内へ響かせながら。
「コイツ……頭の中に直接……!」
「いや、待ってよ。ソーマちゃん――虫姫が反応したってことは、そういうことなんじゃないの?」
「そういうこと……」
三秒ほど頭上にローディングバーで間を置いたのち、切り替わった電球に光が灯るイフ。
「……こうしちゃいらんねえ! こんな面白クエスト目の当たりにさせられちゃ血も騒ぐって話よぉ! あーしらも配信スタートだぜぇ!」
「ふふ。こんな謎事態、実況中継流さにゃ損ってね。――よし。やりましょうか、イフ」
「おうよ相棒!」
イフは一回転クルリ、エルスはこめかみを叩いてニヤリ――からの、衣装チェンジ。
ストリーマーモードへシフトした二人を遠く見つめ、ソーマは思考を巡らせながら目的地に疾駆。
「天候エンジンの仕様からして、こんな急激な積乱雲の成長、不自然を通り越して、違反の域」
――ここまでの「兆候」を逃すと、その先ではさらなる面倒が起こってきた。それは、現実でも変わらない。
放っておいてはいけない。たとえ自分にその責が無くても、手を足を動かさないでいたこと、それはいつも後悔につながってきた。
誰に伝えるでもなくそんな想起をしながら、ソーマは己を加速させていく。
辺りの建造物を足掛かりに、花火を見ている観衆を驚かせつつもやがて、残った遺構の中でもっとも大きなビルへと登り詰める。
華奢な足で苦もなくブレーキを掛けると、ワンテンポ遅れて追従してきた光球へ指示を出す。
「――レテ。カメラ。望遠」
「――――」
「レテ?」
反応がない。光球はソーマに付いてきているのに、読み込み中が続いている。
あまり時間を置きたくはない――AIを介さずとも、起動できる。UIからカメラを呼び出して、望遠モードで暗雲を拡大した。
「っ!」
『NO SIGNAL』
起動した瞬間、バチンという聴いたことのない効果音と共に信号が途絶した。
おかしい。この表示が出力されるのは、外部配信が禁止されているコンテンツに対してだけ――アレが丸ごと、そうだということ?
「だとしても」
拒絶するように無理やり止められたような――などと思案しているうちにも、雲は花火で照らされる駅舎を呑まんと広がっていく。時折フレームを省き、視覚情報を残さず早回しに。
「雨の、匂い」
決まっていつも、バグの向こうから感じるもの。
今は、それが空間全体に満ちている。
これが正式なもので、問題のない現象だとは思えない。
ソーマの指がHUDを払い——白い裾が光の粒へほどける。
紅の差し色も、蝶のリボンも消え、使い慣れた黒い外套が戻った。
祭りのための服から、いつもの服へ。
「うん」
インベントリを開き、アイテム一覧を表示。
どこにでも足場を形成できる記録結晶――アーカイトを取り出し、順に放り投げ「解凍」。
中空に展開された結晶様の足場が甲高い音を立て、雲へ向かう道筋を飛び石状に形成した。
「まずは、単純な接触――」




