Ticket #2「exception」②
手元で上品に輝くブレスレットに、ソーマの瞳もまた宵のうちの星のように瞬いた。
「返せるもの、ない」
「今この時間でいいよ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
はにかむエルスに、ソーマはほんのり頬が熱を持つのを感じながら礼を言った。
こんな体験、現実でだってない。HUDに上がるアラートなんて確認しなくてもわかるくらい、胸の中に温かい高鳴りが滲んでいた。
エルスもまた、同じように手元のブレスレットを光にかざし眺めている。
「誰が作ったか分かるもの、好きなんだよね。上手いとか下手とかじゃなくて。ここをこうしたかったんだな、って残ってるやつ。……最近だとAIに作らせるのが当たり前だけど、こういうトコは一から自分で作ってたりするから、温かみがあるのが嬉しい」
「エルち、なんだか古くさーい」
「イフのネイル、自分で作ったんじゃなかったっけ?」
「ぅ、それはそうですけどお……」
「まあ、気付けてないだけでAI製の出展物も少なくないと思うけど」
服も小物も武器も、往来には誰かが手を動かした跡を残す品が並んでいる。AI補助をどこまで使うかも、作り手次第だった。
昨日見たシュウヨウゲンの人々を想起しつつ、エルスから首に絡みつかれたままソーマは呟いた。
「ごちゃまぜ」
「それが良いのです」
「ところでさぁソーマちゃん、いつもその格好なの?」
「うん」
「……色気がないというか、野暮ったいというか」
「見た目より、多機能」
対してソーマの着る衣装は、アルカ製アルカ生まれ。
上位エネミーを何百何千と狩り尽くし、ようやく手に入るかどうかというのがこのフード。強力なステルス性能と防御力を持ち、一部のプレイヤーは血眼で入手したがる代物のひとつ。
パッと見の印象は闇に溶けるサイバーな衣装。時折表面を走る回路図めいた緑光ライン、そしてフードの裏地を照らす虹色の光。
言うなればゲーミング機能美――曲がりなりにも、可愛らしいアバターが着るには無骨すぎる。
「ソーマちゃん可愛いんだから、オシャレしないといけませんぞ?」
「そーそー。性能そのまま、見た目だけ変えたりもできるんだし」
「必要性、感じない」
「えー? せっかくお手軽に何でもできる世界なのに。重くない、かさばらない、お手入れお化粧一切不要、魔法少女も真っ青の早着替え! こんなハッピーな場所、他に無いって!」
「ふむ、こればかりはイフの言うとおり。じゃあ、まずはファッションからどうにかしていこう」
「……」
展開が早い。有無を言わさない。何もしていないのに何かが勝手に進んでいく。
目を丸くし強張ったままに引きずられていくソーマは、なんとか口を開こうとする。
「どしたの?」
「こ、こういうとき、どんな顔をすればいいか、わからない」
「古ッ。ソーマちゃんレトロ好き?」
「私、エヴァなら無限に語れるよ」
「そ、そうではなく……」
「更衣室あるブース探そ! 一瞬で着替えちゃつまんないし、こーゆーのは雰囲気作りが大事だからね!」
「あー、あー」
抵抗虚しく。
あっという間に百貨店風ブース内の更衣室へ連れ込まれ、上着のフードを引っ剥がされていたのだった。
「うー」
脱がされたソーマは、簡素な初期インナースーツ姿。現実でもこんな目に遭ったことはない。
ますます小さくなった剥き身の彼女を前に、エルスは顎に手をやり目を細めつつ首を傾げる。
「……それ、自分で選んだの?」
「違う。初期設定」
「そっか」
エルスはもう一度、ソーマを見る。
「……それも、ありか」
「何が?」
「んーん。こっちの話」
エルスの視線が、ソーマのデフォルトアバターに数秒留まった。
理由を尋ねるより先に、カーテンの横から顔を出したイフが寸断した。
「へー。でもま、ソーマちゃんのテンションにも合ってるし、違和感ないよ」
「……アルカのデフォルトアバター、やたらかわいいよね」
「そういえばイフってばね、胸とかリアルよりすっげー盛ってて――」
「あー! 聞こえません! 大きいほうが需要がございます!」
「はーん? どーかなあー?」
目の前でわちゃつく二人に、ソーマの頬は普段より随分とゆるんでいるような気がした。
「……」
半年間、分類できなかったものはなかった。テクスチャの歪みも、フレームの脱落も、全部名前をつけて報告に収めてきた――なのに。
今、胸の中央で起きていることに、ラベルが貼れない。未定義の例外。処理系がフリーズしたまま、値だけが膨張していく。
デバッグ中の高揚とも、虫喰い穴を見つけた瞬間の鋭さとも、違う。もっとぼんやりとして、もっと大きくて、もっと――分類不能な、未定義の変数。保留。
嫌では、ない。
自覚なくふくらむその心地よさを明確化するより前に、定義付けするがごとくレテが話しかけてきた。
「先ほどから体温、心拍の恒常的な上昇を確認。ご機嫌ですね、ソーマ」
「ご機嫌。そう、ご機嫌。……そうなのかも。わからない、けど」
「そうですか。記録しておきます」
「……? レテ、そんな指示は――」
『――ぴんぽんぱんぽーん。
ようこそ、プロジェクト・アルカへ。百年祭、特別ナビゲーターの凪空エコーです。
シノミヤ駅前広場にて、百周年記念展の開催を祝した花火の打ち上げが執り行われます。
イベント限定アイテムの配布もございますので、ふるってご参加ください。』
涼やかで通りの良い声が、店の外壁を抜け響いてくる。
百年祭のガイダンス。澄んだ声。名前は知らない。
「げっ、凪空エコー! アイツばっかり良い仕事貰いやがって~」
「こらイフ。ヨソでご同業の文句言わない」
声質そのものに、微かな引っかかりがあるような。
けれど祭典の雑音の中では切り分けられない。
「……知り合い?」
若干の違和感をそっと記録、HUDの付箋へログを残しながら、ソーマは二人に問う。
「うーん、まあ……一応? コラボしたこともあるよ。ストリーマー仲間でね、ヨソの事務所のコなんだけど、もーチョー伸びてて」
「キー! ウチらのが先輩なのにい! アルカなんて大タイトルのアナウンスに抜擢されるなんて許せねえー!」
「なるほど」
ソーマはほとんど関心がないが、今も昔も世の中ではこうしたストリーマー文化は根強い。
お喋りはもちろん、歌って踊り、バトルをしたりゲームをしたり、レポーターめいたことをしたり企画でイベントに出たり。あるいは、今のイフやエルスのように直接と言っていいほどリスナーの近くで活動をする者たちも居る。
ソーマが今ある状況は相当なレアケースだろうけれど。
「んー、せっかくだから花火は見たいよね。ではちょっと失礼しまして」
カーテンの隙間から覗いているだけだったエルスがイフをどかし、イタズラっぽい顔でソーマの前に立った。
エルスはインベントリを開くと、その中から指先サイズの正六面体、透き通った結晶――アルカにおいて「記録結晶」と呼ばれる、アイテムの収まった鉱物を取り出し、ソーマの額にそっと押し当てた。
「解凍」
「!?」
その一声に合わせ内容物が使用され、瞬時にソーマの衣装が切り替わる。
元々着ていたフードのようなデザインをベースに、そのメインカラーは白に変更。髪は後ろで結ぶ形になり、インナーカラーに目立ちすぎない程度の紅が差す。
服全体に走っていたラインは赤と桃の中間色へ転じ、袖の裾はフリルのような形状へ。
元のパーカーの長さでフォローされていた腰周りには、代わりに短めのテールスカートが据えられ、腰からは蝶のようなリボンが鮮やかに尾を下ろす。
全体として暗いイメージだった今までの姿から一転、電子空間の妖精めいた印象へと切り替わるのだった。
「一旦こんなんどうかな。ファッションショーはまた今度ってコトで」
「……おー」
「まあエルスさん、ソーマちゃんの目がシイタケキラキラですわ! 初期アバターにこんな表情があったのね!」
「何キャラだよ。んでも、虫姫様を喜ばせられたなら嬉しいよね」
文字通りにキラキラとした目のまま、鏡の前でくるりと回ってみる。ソーマの頭上にはますます喜色の星が広がった。
アルカのアバターは、モデルにその機能が備わっていれば、着用者の喜怒哀楽に応じたわかりやすい表情の変化や、漫符のような演出を自動で差してくれる。
これが発動したということは、装着者が心から感情を動かされたことの明確な証左でもある。
デフォルト状態のアバターはこの辺りにやたらと気合いが入っているのだが、ソーマ自身はもちろんのこと、使われず終いが多いためあまり知られていない。
「エクステとか髪のカラー変更、気に入らなかったら好きな時に直してね」
「……どうして、ここまで?」
「え? そりゃまあ……相手が虫姫様って打算もあるけど……」
「素直に友だちが増えて舞い上がってるって言いなよエルス〜」
「あーあーうっさーい。アルカプレイヤーっていうのは、初心者に優しくするもんでしょ?」
「……ソーマちゃん、初心者だっけ?」
「こーゆーのに慣れてなきゃ初心者なの!」
――そのうちに、外から響くのは花火の音。
雷鳴に似た轟きは腹に低く、やがて立て続けに伝わってくる。
「やば、始まっちゃったね。ほらソーマちゃん、行こ」
「あー! イフを置いていくな!」
「わ、わ、」
連れだされ揺れるソーマの手首で、ブレスレットもまた同じように揺れていた。




