Ticket #1「baseline」②
▼アラヤド・鉄塔墓場
――シュウヨウゲンから、徒歩で一時間半と少し。
文明の屍が横たわる鉄塔群の一角で、ソーマは先ほどの配信ログを一度だけ開いた。
『あらゆる技術の発展著しい現代、ついに完成した人類最後の大発明、超知能Grace!』
『その超知能が、誕生とほぼ同タイミングで唐突にリリースした、超大規模フルダイブMMORPG――プロジェクト・アルカ!』
青く苔むした都市を背景に、戦闘、クラフト、研究、商売、料理――まとまりのない遊びが手描き風の映像で目まぐるしく切り替わる。
『要するに、できないことを探すほうが難しいゲームってこと!』
その途中、先ほどソーマが出現させた扉へ誰かが触れた。姿がブロックノイズめいて二重になり、光の粒子へ還元されていく。
『あーいつものインスタンス転送』
『普通に怖いんだけどコレ毎回』
『ホントにちゃんと転送されてる?』
コメントだけを残して、録画はProject Arcaのロゴへ切り替わった。
「……虫姫と呼ばれるのは、実のところ、あんまりうれしくない」
配信のログを切ると、光球に一人ぼやくソーマ。
「広く伝達が必要です。先程はちょうど良い機会でした。——それに」
光球が、わずかに揺れた。発光パターンに、一瞬だけ乱れが混じる。
すぐに元に戻った。ソーマでなければ見落とす程度の、ゼロコンマ数秒の逸脱。
「それに?」
「いえ。特にありません」
ソーマは、その「特にありません」を五秒ほど見つめる。
サポートAIが、言いかけてやめる。
仕様の範疇なのかどうか、判断しかねて保留した。二度目があれば精査すればいい。
一万件以上。この半年間、それだけのレポートを上げた。
運営からのフィードバックはゼロ。修正報告もゼロ。
届くのは受理通知だけ。最初の頃は気になったけれど、今は気にならない。
――私の仕事は、見つけて報告すること。そこより向こうは、私の管轄じゃない。
そう決めてから、楽になった。
時々見逃すくらいでなければ「趣味」は続かないと、お父さんも言っていたし。
「ふぅ」
割れたガラス壁を飛び越えて、風を受けながらビルの向こう側に沈む廃墟の群れを眺める。
着地と同時にくるりと猫のように身を翻し、衝撃を綺麗に流すとソーマは軽く息をつき、空を見上げた。
そこにあるのは星々だけではない。――栄華を極めたという「この世界」の残滓、人工衛星の輝きが、夜空の狭間に未だ明滅を続けている。
アルカは、一度滅びた世界を再興して百年目――という設定らしい。
ソーマはその辺りを詳しく追ったことがない。
見下ろせば、アラヤドの駅へと繋がるメインストリートの形跡。
散歩がてら、この廃れた道を行くのがソーマの楽しみのひとつ。
ログインのたび、較正の雨が、どこまでを「身体」として許すかを決めてくれる。だからこそ、緻密に世界を拾える。
気温の変化、音声振幅、目に映るフレームや色差、肌から伝わる感覚、舌から流れ込む僅かな味わい。
環境はいつもそのズレを教えてくれる――正確無比で精緻な、電子世界であるからこそ。
「――ソーマ。動画の転送、完了致しました」
「うん、ありがとう、レテ」
座り込んだ頭のすぐ横に浮かぶ淡い光球――サポートAI「レテ」が報告する。
正式名称〈Log/Linkage Extraction & Transfer Entity〉。BB向けに支給される記録補助AIで、半年近くソーマの虫狩りに付き合っている。
斜めになったビル、周りよりは小高いそこに座り込む。
すっかり土と草に覆われた歪な丘陵から、人々の営みを示すわずかな文明の火を眺めるのが、ログアウト前の気軽なナイトルーティン。
少し離れたアラヤド中心街からは、PCともNPCともつかない人々の声が残響し、隔たりなく空気を伝わってくる。
頬を撫でる風は、鼻先にやや湿った青い芳香と、快い涼しさを運ぶ。
視線を下ろした先、降り積った土から芽を出す草花や、葉切れの合間を行く小さな昆虫。
あるいは遠くからこちらを伺う見慣れぬ小動物たち、木々の狭間から鳴く奇妙な鳥、暗い水辺で跳ねる大きな魚。
造られた滅びの世界は、なんなら「本物」よりもよっぽどホンモノらしい生命に満ち満ちていた。
それらを眺めながら――ざり、と足元の湿った土を指先に取った。
しばらく見つめたあと、口に運んですぐ吐き出した。苦い。土の味。じゃりじゃり。
現実との誤差は、舌の上できっと百分の一もあるかないか……たぶん。
土に含まれる水分、粒径の分布や、きっと混じる微生物のモデルまで――なぜこれほどの精度で作りこまれているのか、意図はわからない。
この味すら、降雨や干ばつの後では変化が見られる。よく出来ているの一言で済ませられないほど。
ある種の異様さすら覚えるそれだったが、この時間を楽しむためのエッセンスとしては、十分どころか十二分すぎる。
「ぺっぺ」
吐き出す湿った土くれは、やがてキラキラ空気に溶け込むようにデスポーンしていく。
今より子どもの頃にやったことはあるけれど、現実ではそう味わえないしやれないシチュエーション。風邪で済むならいい方だ。
「現実じゃないとは、思えない。嘘みたいな、本当みたいな、嘘」
「統計的に同意できません」
「今は、感情の話をしてるの」
そんなことはわかっている――とばかりにレテへ返答して、ごろん。
冷たい廃ビルの芝生へ寝て、汚れることもいとわずに転がっては、砂利と小石が肌に食い込み貼りつく感覚を味わう。
見上げた夜空は、現実からの眺めよりもずっと澄みわたる星々の海として描画され煌めいている。
「ここにだって必ず、絶対的なバグがある。はず。作られた場所なら。物理現実よりも、ずっと見つけやすいところに。今までみたいな、ちっぽけなものだけじゃなく」
口の中で、土の名残が金平糖のようにシャリシャリと失われていく。
かざした手は星空と月明かり、その淡いフレアとリフレクションに照らされて青く透け閃く。アバターの鼓動すら見えそうなくらいに。
きっと、何かある。そう信じたいだけと言われたら、否定はできないけれど。
超知能が真に完璧なら、現実に匹敵するくらい、バグなんてものは無いに等しいはず。今まで見つかったものだって仕様の範疇のはずだ。
現実でも、アルカでも。ソーマは己の感情に従うだけ。探したいから探している。確かめられるから、確かめている。
視界の端、どの星よりも近くで輝く光球が、控えめに明滅した。
「ソーマ。そろそろお時間です」
「そうだね。門限、間に合わなく、なっちゃう」
――ぴこん。
己が呼び出す前に、先駆けて通知がUIを召喚した。
『明日の百年祭、私たちと回ろ。20時、シノミヤの駅舎前で待ってるね――添之音エルス』
かなり長い間メッセージを見つめ、
「……アルカで予定できたの、初めて」
――自分のスケジュールに、他人の都合が入り込む。それだけのことが、少しだけ、バグみたいに感じる。
「提案。友人を作りましょう」
「余計なお世話」
振るった手に、レテの感触はないままで。
――りん、と。ログアウトを告げるSEが、頭の中で小さく鳴り響いた。




