Ticket #5「handshake」①
▼シノミヤ駅・構内ホテル一室
分析は途中で行き詰まり、代わりにイフとはしゃいでいる内に夜が来て、気づけば眠っていた。
問題が解決していないのは、目を覚ましてすぐに理解できた。
知らない天井。ソーマは、一度としてアルカで意識を断絶させたことがなかったから。
わずかな胸の高鳴りは否定できなかった。
夜に家を抜け出してコンビニへ行くような、学校の帰りに買い食いをして帰るような。そんな気持ちを漂わせた夜明け。状況は、未だ黎明ならぬ夜明け前だけれど。
「……?」
起き上がった一瞬、消毒液のような匂いがした――気がする。
奇妙な残香に誘われるように目線を動かすと。
「~♪」
歌声が聴こえる。
エルスのそばで、その手を握りイフは眠っている。
カーテンの隙間から外を眺め、レテが歌っていた。
昨日と変わらず晴れがましく張り付いている蒼天が、外と中を仕切るように光を流し込んでいた。
ビスマスめいた翼と流れる白一色の髪を空虚な陽射しに泳がせて、彼女は穏やかに歌っている。
思わず、目を奪われた。
――ログを取らなければ。
危うく、ただ見入ってしまうところだった。
気づかれないよう、現在の状況全体をBB機能のスキャニングに掛け、アルカ内のデータベースと符合するものを検索。
――BGMデータベース、一致無し。
――NPC音声ライブラリ、一致無し。
――SE・環境音アセット、一致無し。
そんなはずは。そんなことがあるのか。
念のため、二度目の照合に掛けてみるも――やはり、結果は同じ。
「……」
彼女が、レテが歌っているそれは、アルカのどこにも存在しない、ということ――。
心が、浮つく。バグ。見たことがない、見つけたことがない、もの。
湧きたつ高揚を胸の奥に押さえつけながら、ソーマは自らの耳で、その旋律を分析する。
子守唄? 繰り返しの構造。でも、途中で途切れている。
ピッチの揺らぎ。ループするたびに、音程がわずかにブレている。
電子的ではない――「思い出しながら歌っている」時のもの。
そして、明らかに歌詞が混じっている。ハミングの合間に、音節が漏れる。
意味は取れない。日本語ではない。何語かも、わからない。
でも、フレーズの末尾だけが、繰り返し同じ韻律で下降する――誰かに語りかける形になっていて。
「――あ、ソーマ様。おはようございます」
「ンー……! お、はよう……」
終わってしまった。
「……? ソーマ様、変な顔をしています。何かありましたか?」
「……レテ、今、歌ってた」
「歌? いえ、私は外を眺めていただけで……」
「……自覚なく? AIが、無意識に……」
そんなことが、あるのだろうか。
しかし、答えは遠のいてしまった。
目の前に吊り下げられていた宝物が不意に取り上げられたような気持ちになり、ソーマは大きなため息をついた。
「え、あの」
「……直近ログ、再生」
やるかたない感覚を抱えながら、いま撮影していたものをレテにも見せる。
「……確かに、歌っています」
「何語か、わかる?」
「いいえ、まったく……」
「……」
まるで他人事のような反応。覚えていそうな気配すらない。
いまのレテがどんな状態かは相変わらず謎のままだが、少なくとも嘘をついているようには見えなかった。
「けれど、なんだか――懐かしい感覚がしますね」
「懐かしい、感覚……」
何かのヒントには、なるのかもしれない。
今はまだ、ピースがあまりにも少なく――けれど、どれよりもなによりも。
腑に落ちない。言語化が足りない。納得いかない。
ますますソーマの肩は落ちていく。
「レテ、あなたはAI。もっと、ハッキリ、明確で判然とした表現を、すべき」
「……あれ? レテ、怒られてます?」
「怒って、います」
「ふえぇ……」
そんなこと言われても、といった様子のレテだが、気がかりはそれだけではない。
「……それに、昨日あんなに自由意思と、言っていた、のに」
「本当ですね」
「……なぜ?」
「…………」
レテは少し考える。
「なぜでしょう?」
しばらく真剣に悩み続けていたレテだったが、答えが出ることはなかった。
——その後、イフが起きてから数時間が経過しても、エルスが目を覚ます様子はなかった。
イフはベッドの脇に腰かけたまま、ずっとその手を握っている。
時折、何かを確かめるようにエルスの顔を覗き込み、また俯く。話しかけることも、無理に笑うこともせずに。
「――エルさ。こういうとき、あーしはそばにいる方がいいのかな」
誰に尋ねるでもない声だった。
「目ぇ覚ましたとき、ひとりだったら怖いだろうし。だから、ここにいた方が……」
握った手に、反応はない。
イフはしばらく黙り込んだあと、唇を噛んだ。
「……でも、これじゃただ怖くて動けないだけかな」
エルスの手を包んでいた指が、わずかに緩む。
「エルが起きたときさ。あーし、何してたって聞かれて――ずっとここで泣きそうになってました、なんて言えねーし」
自嘲するように笑った。
けれど、その声は途中から震えなくなっていた。
「笑ってた方がウケるよって、たぶんエルなら言う。キャラじゃねーぞ、って。……それに、あーしだって、何もせんまま待ってるのはヤだし」
イフはもう一度、エルスの手を強く握る。
「今度は、あーしがエルの力になりたい」
そう告げて、そっと手を離す。
立ち上がったイフは、ソーマへと向き直った。
「あのさ、お願いがあるんだ」
目元にはまだ不安が残っていた。けれど、その瞳には強い意志が宿っている。
「ソーマちゃん、あーしもいっしょ行きたい」
「……どこに」
「調べに行くんでしょ? この状況のこと。ログアウトできないことも、エルが起きない理由も」
「調べには、行く。でも、解決できるとは思ってない。それは、たぶん他の人が、やる」
「うん。あーしも、あーしがエルを起こせるなんて思ってないよ」
イフは一度だけベッドを振り返る。
眠り姫は、その胸を小さくゆっくりと上下させるばかりだ。
「でも、手掛かりの一個くらいは見つけたい。エルが起きたときに、何もしなかったって言いたくないんだ」
「……ヒロイック」
「え?」
「ヒロイックな感情に、飲まれている」
「ち、違うし。そういうカッコいい話じゃなくて……!」
「無理しなくて、いい。エルスのこと、見てて大丈夫。ホテル代は、私のOBLから、出す」
「あ、ぅ……」
「もう、ソーマ様はノンデリです……」
「なぜ」
「いっぱい考えて、怖くても一緒に行くと決めたのですよ? それを最初から無理だと決めつけるのは、少し失礼です」
「む……」




