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『また従妹に譲ってくれ』が四十八回目だったので、儀礼台帳を白紙に戻しました  作者: ヲワ・おわり


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第65話 あなたの名前を、私のそばで

 応接間は小さかった。


 城館の奥の方にある部屋だった。ロドリクが案内した。使用人が使う通路の近くで、暖炉がひとつあった。卓と椅子が向かい合っていた。夜の城館は静かで、暖炉の炎の音だけがしていた。窓の外は暗かった。月が出ていなかった。


 ロドリクが対面の椅子に座った。アシュリーも座った。膝の上に手を置いた。手が少し冷えていた。暖炉が部屋を暖めていたが、まだ完全には届いていなかった。炎の揺れが壁に映っていた。


「婚約解消が正式に完了しました」


 ロドリクが言った。


「……はい」


 アシュリーは答えた。


「一つ、聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「あなたはここにいることを、今どう思っていますか」


 アシュリーは少しの間、考えた。聞かれたことの意味を確かめていた。ここにいることをどう思っているか。四ヶ月前に初めてこの城館に着いた時は、「悪くない」と思っていた。それは本当のことだった。疲れていて、怖かった場所から離れて、静かな場所に来た。悪くなかった。


 三ヶ月前には、「ここにいることが怖くない」と思った。二ヶ月前には、シエルが「やっと戻ってきた」という顔をするようになった。一ヶ月前には、カリアスとの交渉に自分から動いた。それから、疲れたのに怖くないということがわかった。受け取っていいのだとわかった。


 でも今は。


「……悪くない、では足りなくなりました」


 言いながら、自分でもその言葉に少し驚いた。以前は「悪くない」と言っていた。それが正直なところだった。でも今は「悪くない」では足りなかった。それ以上の何かがあった。


「足りなくなった」


 ロドリクが繰り返した。確認するような言い方だった。


「……良い、と思っています」


 アシュリーは言った。自分の声が少し安定していることに気づいた。


 良い、という言葉を使ったのは初めてだった気がした。ここにいることが「良い」と言えるようになったのはいつ頃からだったか。カリアスとの交渉の後からだったかもしれない。あるいはもっと前から、ただ言葉にしていなかっただけかもしれない。良い、と思っていることを誰かに伝えるのが、少し怖かっただけかもしれなかった。


 暖炉の炎が揺れた。遠くで何かが小さく鳴いた。夜の虫の音だった。春が近いのかもしれなかった。


「あなたにここにいてほしい」


 ロドリクが言った。


「妻として」


 アシュリーは息を飲んだ。


 言葉を予想していた。でも実際に聞くと、息が少し止まった。予想と実際は違った。聞いた瞬間に何かが重くなった。良い重さだった。受け取っていいものを受け取った時の重さだった。


「あなたの名前を、今度は私のそばで生かしてほしい」


 ロドリクが続けた。


「台帳の補記を書いた人間が、席次の問題を解いた人間が、あなたです。その知識を、あなたが望んで使える場所で使ってほしい。義務としてではなく、あなたが望んでいる形で」


 アシュリーはロドリクの言葉を聞いた。


 四年間の台帳のことを考えた。誰にも気づかれないまま書き続けた補記のことを、この人は知っていた。価値として見ていた。使い捨ての道具としてではなく、その知識そのものを見ていた。そういう人が、四年間ずっとそこにいた。アシュリーは気づいていなかった。でもいた。


「台帳の補記を書いた人間が、席次の問題を解いた人間が、あなたです」という言葉を、もう一度頭の中で聞いた。名前を消した夜にペンを持って横線を引いていた自分と、今日ここにいる自分を、そういう形で繋いで見てくれている人がいた。その繋がりを、ただそこにあるものとして見てくれていた。


「三日であなたを追ったのは」


 ロドリクが続けた。


「それが正しいと思ったからではなく、後悔したくなかったからです。あなたが離れた知らせを受けて、このまま何もしなければ後悔すると思った。だから動きました。それだけです」


「後悔したくなかったから」という言葉を聞いた時、何かが腑に落ちた。義務でも打算でもなかった。ただそうしたかったから動いた。そういう理由で動く人だった。そういう理由でしか動かない人だった。それがこの人の一貫したところだった。宮廷の儀礼の場でアシュリーを見ていたのも、三日で動いたのも、全部同じ理由から来ていた。


 アシュリーは少しの間、何も言わなかった。


 暖炉の炎が揺れた。木が一本、小さく爆ぜた。パチ、という音がした。部屋の外は静かだった。城館が眠りに入った時間だった。


「……少し、考えさせてください」


 アシュリーは言った。


 即答しなかった。それは拒絶ではなかった。ただ、今夜の言葉の重みをちゃんと受け取ってから答えたかった。重みを軽く扱いたくなかった。受け取る、ということを、急いでやることではないと思った。


 以前なら「少し考えさせてください」とは言えなかった気がした。即答するか、あるいは言葉が出てこないかのどちらかだった。「考えさせてください」という、自分の時間を求める言葉を、相手に告げることができなかった。今は言えた。


「はい」


 ロドリクは言った。一言だった。その一言の中に、待てる、という意思が入っていた。急かさない。プレッシャーをかけない。ただ待てる。それがこの人だった。


 暖炉の炎が揺れていた。二人は少しの間そのまま座っていた。何も言わなかった。この沈黙が、アシュリーには苦ではなかった。


 翌朝、アシュリーが答えを出した。

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