第33話 役立たなくていい
全70話完結予定です。毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に投稿します。
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会議室に二人が残った。
窓から光が差していた。会議の間と変わらない光だった。しかし人が減って、部屋が静かになっていた。担当者たちの足音が遠ざかっていた。残ったのはロドリクとアシュリーだった。
アシュリーは壁際の椅子から立ち上がり、テーブルの傍に移った。書類を広げる場所がある方が話しやすかった。ロドリクは自分の席の書類を手に持ったまま、こちらを見ていた。待っていた。急かす様子がなかった。こちらが話し始めるまで、静かに待つ人間だった。
「収穫祭の準備日程と、隣村への支援の手配が、八月に重なっています」
アシュリーは言った。言葉は短くまとめた。宮廷では説明が長い方が信頼された。しかしここでは短い方がいいと思った。必要な情報だけを言う。それがこの場に合っていると感じた。
「どちらも隣村との連絡役が必要な仕事です。同じ人間が、同じ時期に二つの窓口を抱えることになります。一方が遅れれば、もう一方にも影響が出るかもしれません」
ロドリクはその言葉を聞きながら、手元の書類を確かめるように目を走らせた。数字を照合しているようだった。それから顔を上げた。
「なるほど」
短い言葉だった。しかし軽くはなかった。実際に確かめた、という重さがあった。受け流していなかった。
ロドリクは少し考えた。書類を一枚めくった。それからこう言った。
「担当者に話します。準備の開始時期を前倒しにするか、連絡役をもう一人立てるか、どちらかで対応できるはずです」
決めるのが早かった。迷わなかった。必要な情報が入れば判断できる人間だった。アシュリーは宮廷でそういう人間を何人か見てきた。しかしそういう人間は大抵、自分の判断を誇示した。今どう対応するかを声に出すことで、自分の有能さを示した。ロドリクはそうではなかった。ただ次の手を言った。自分のためではなく、仕事のために言っていた。
短い沈黙があった。
ロドリクが担当者に話すと言った。それで話は終わりのはずだった。アシュリーが言ったことは受け取られた。動かされた。それで十分だった。
しかしアシュリーはその沈黙の中で、別のことを考えていた。今言ったことは、余計だったか。求められていない話をした。担当者が気づいていない問題を、外から指摘した。それは出過ぎた行為だったか。会議に呼ばれたのは聴講者としてだった。気づいたことを言うのは、聴講者の役割を超えていたかもしれなかった。
「……言わなければよかったですか」
口から出た。
また出た、と思った。確認の言葉。余計だったかを問う癖。宮廷でも何度も言った言葉だった。誰かの反応を見てから、言ったことを問い直す。それが自分の動き方だった。言った後に不安が来る。その不安を消すために確認する。その繰り返しだった。
ロドリクは少し考えてから言った。
「そんなことはない。ただ、言わなくてもいい場合もある」
アシュリーは顔を上げた。
「言わなくていい、というのは、いい意味でですか」
「ええ。気づいたことが全て問題とは限らない。今回は問題だったから、聞いてよかった。ただ、言わないことを選んでもよかった、ということでもある」
ロドリクは続けた。
「役立たなければならないから言うのと、気づいたから言うのは、あなたにとって違いますか」
アシュリーは黙った。
問いの意味を確かめていた。役立たなければならないから言う。気づいたから言う。言葉は似ている。しかし違う。何が違うのか。結果は同じかもしれない。同じことを言っていても、理由が違う。その理由の違いを、ロドリクは聞いていた。
役立たなければ、という気持ちで言ったのか。それとも、気づいたから伝えたいという気持ちで言ったのか。今回はどちらだったか。正直に考えた。会議を聴いていた間、重なりに気づいた瞬間があった。その瞬間の感覚を思い出した。言わなければという焦りだったか。それとも、誰かに教えたいという感覚だったか。両方混じっていた。しかしどちらが先だったか。気づいたことを誰かに知らせたい、という感覚が最初にあった気がした。役立つかどうかは、その後に来た気がした。
「……違うかもしれません」
ゆっくり言った。
考えた末の言葉だった。すぐには出なかった。しかし出た。
ロドリクは頷いた。それだけだった。正解だとも、よかったとも言わなかった。ただ聞いた、という頷きだった。それでよかった。評価されたくて言った言葉ではなかった。ただ考えた結果を言った。考える時間があった。問われたから考えた。答えが出た。それを言っただけだった。それが今回の自分の言い方だった、と思った。
ロドリクは書類を持ち、会議室を出た。去り際に一言だけ言った。
「今日はありがとうございました」
それだけだった。礼を言う必要があるとロドリクが判断したから言った。そういう言葉だった。余分なものがなかった。アシュリーは頷いた。
その日の午後、アシュリーは図書室にいた。
本を手に取った。植物の本だった。ノルディアの土地に育つ草木の記録だった。昨日も見かけた本だった。今日はただ読みたいと思って手に取った。役立てようと思ったわけではなかった。この土地のことを知りたいという気持ちがあった。知ることそのものが目的だった。椅子に座った。窓の光が傾いていた。本のページをめくった。草の名前が並んでいた。知らない名前ばかりだった。それでも読み続けた。
それから少しずつ、アシュリーは城館の日常に馴染んでいった。




