第28話 ノルディア城館
全70話完結予定です。毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に投稿します。
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城館は石造りだった。
夕暮れの中でも、その輪郭はしっかりしていた。
外壁が厚かった。窓が深く掘られていた。北の気候に合わせた作りだということは、見ただけで分かった。塔が二本あった。左の塔のほうが右より少し高かった。どちらかが後から建て直されたのかもしれなかった。玄関の扉は大きかったが、装飾は少なかった。彫刻はあった。ただし精巧というより実直な感じがした。飾るために作られたものではなく、意味があって彫られたものだという気がした。城館の手前に石畳が広がっていた。馬車が止まった。
石畳の上に人が立っていた。
年配の男だった。五十代ほどに見えた。背筋が伸びていた。白髪交じりの頭だった。服は質素だったが、手入れが行き届いていた。馬車の扉が開くと、その男は一歩進み出て、深く頭を下げた。
「ヴェルヴェント様、ご到着をお待ちしておりました」
声が落ち着いていた。大きくも小さくもなかった。ただそこにある声だった。
オルバーという名の家令だと、馬車の中でロドリクから聞いていた。城館を長年仕切っている人物だと。それ以上の説明はなかった。
アシュリーは石畳に降りた。「到着が遅くなりました」と言った。
「いえ。こちらはいつでも整っております」
オルバーは顔を上げた。表情に卑屈さがなかった。かといって馴れ馴れしくもなかった。ただ静かに、そこに立っていた。アシュリーは少しの間、その顔を見た。四年間、宮廷で人の顔を見続けてきた。誰が何を望んでいるか、誰が何を隠しているかを読み続けてきた。オルバーの顔には、隠すものが見当たらなかった。珍しかった。
案内されて城館の中に入った。
廊下が広かった。天井が高かった。暖炉のそばに椅子が置いてあった。装飾は控えめだったが、床に敷かれた絨毯はしっかりしていた。壁の燭台に火が入っていた。光が柔らかかった。廊下の突き当たりに窓があって、そこから暗くなりかけた空が見えた。廊下を歩きながら、アシュリーは周囲を見ていた。使用人の姿がいくつか見えた。誰もが仕事をしていた。アシュリーたちを見ても、余計な動きをしなかった。必要以上に頭を下げることもしなかった。ただ仕事を続けていた。それが自然だった。
手入れが行き届いていた。
それだけではなかった。使われている場所だということが分かった。飾るための部屋ではなく、暮らしのある空間だった。宮廷の回廊とは違った。あちらは見せるためにあった。客を圧倒するための廊下だった。ここは違った。ただの廊下だった。歩くためにあって、光があって、寒くなかった。それだけのことが、妙に落ち着く感じをもたらした。
客室に通された。
王宮に比べると質素だった。しかし清潔だった。窓から庭が見えた。夕暮れの光の中に木々があった。暗くなる前の、静かな庭だった。ベッドに白いリネンが掛けられていた。脇の台に水差しが置いてあった。飾りではなかった。使うものが、使う場所に置いてあった。
居心地がいい、とアシュリーは思った。
珍しい感覚だった。どこかに泊まって、その言葉が自然に浮かぶことは、あまりなかった。宮廷での居室は立派だったが、居心地という言葉は似合わなかった。実家の自室は馴染んでいたが、居心地がいいとはまた違う感覚だった。ここは初めて来る場所なのに、自分が自分でいられる気がした。力を使わなくていい気がした。
窓の外を見た。庭が夕暮れの中にあった。木が数本立っていた。低い生け垣があった。手入れされていた。しかし完璧ではなかった。どこか自然のままにしている部分があった。それが宮廷の庭との違いだった。宮廷の庭は見せるために整えられていた。ここの庭は、そこにある場所として整えられていた。
夕食まで時間があるとオルバーに言われた。
シエルが荷物を整えている。アシュリーは部屋を見回した。窓際に立った。庭を見た。木の影が長くなっていた。やがて踵を返した。
「何かお手伝いできることはありますか」
廊下に出たところで、オルバーに向かって言った。言ってから、気づいた。
シエルの動きが一瞬止まった。
オルバーは少し間を置いた。咎める様子ではなかった。ただ、静かに考えてから言った。
「お客様ですので、何もしていただかなくて結構です」
穏やかな言い方だった。拒絶ではなかった。しかし断りだった。
アシュリーは頷いた。「そうですね」と言った。言葉が少し浮いた感じがした。自分でもそれが分かった。
お客様、という言葉を受け取りながら、その意味を咀嚼しようとした。お客様とはつまり、何もしなくていい人間だということだった。招かれた存在だということだった。役割を持たない立場だということだった。分かってはいた。しかし体がついていかなかった。宮廷での四年間、立っているだけで仕事があった。黙っていても読まれるものがあった。何かをしなければ、そこにいる理由がないという感覚が染み付いていた。
オルバーが下がった後、シエルが何も言わなかった。言わなかったが、その顔に確かに何かが出ていた。お嬢様また言った、という顔だった。
アシュリーは窓の外を見た。
庭が暗くなっていた。星が出始めていた。夕食の準備をする音が、階下から聞こえてきた。居心地がいいと思ったのは本当だった。しかしここでどう過ごすのかが、まだ分かっていなかった。何をすればいいのかを考えることが、長い間の癖になっていた。
翌日、ロドリクが言った。
「好きに過ごしてください」
アシュリーは初めて困った。




