第26話 王都とは違う空
全70話完結予定です。毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に投稿します。
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二日目の朝から、景色が変わった。
平野が続いていた。昨日まではその平野の中を走っていた。緩やかな起伏があって、所々に農地が広がっていた。見慣れた景色だった。王都から少し離れれば、だいたいこういう土地が続く。麦畑があった。牧草地があった。遠くに農家の建物が見えた。煙が細く上がっていた。朝の作業が始まっている時間だった。
しかし正午を過ぎた頃から、前方の線に変化が出た。
山だった。
低い山が最初に現れた。やがてそれが重なり、奥に高い稜線が見えてきた。森の色が濃くなっていた。木の種類が変わっていた。針葉の木が増えていた。空気の匂いが変わっていた。窓を少し開けると、冷たさが違った。草の匂いではなかった。木の、もっと硬い匂いがした。
「ノルディア領に入ると、さらに緑が濃くなります」
ロドリクが窓の外を見ながら言った。書類の手を止めていた。
「夏でも気温が低いので、王都南部の作物は育ちません。代わりに、根菜と豆が豊富に取れます。それと羊です。北の羊は毛が厚い。王都に出荷している毛織物の半分は、ノルディア領産です」
昨日より言葉が多かった。
アシュリーはそれに気づいた。馬車の中の沈黙が自然に埋まっていた。昨日の夜、屋台の前で何かが少し解けた気がした。それが今日の会話の量に出ていた。強く意識してそうしているわけではなかった。ただ、話しやすくなっていた。話題が来たときに、そのまま返せるようになっていた。
「農家の人たちは、冬の間は何をするんですか」
アシュリーが尋ねた。自分から話題を出したことに、少し後で気づいた。自然に出た言葉だった。用意した質問ではなかった。ただ気になった。それを口にした。それだけだったが、それだけのことが、少し前のアシュリーにはなかった。
「毛の刈り取りと加工は秋から冬にかけてです。雪が積もる前に畑を整えて、冬の間は室内仕事になります。機織りをする家が多い。それと木工です。ノルディアは森が多いので、木工の職人が王都より多い。家具職人が集まっている村が北部にあります」
「王都ではそういう話は聞きません」
「来ないですからね」とロドリクは言った。「王都に来る人間は、概ね用事がある人間です。北方の職人が王都に来ることは少ない。来るのは品物だけです」
アシュリーは窓の外を見た。森が近くなっていた。木の間から光が差し込んでいた。光の角度が王都と違った。緯度のせいだと思った。
「春になると川の水量が増えます」とロドリクは続けた。「雪解け水で、どの川も増水します。北の農家はその水をうまく使う。溜め池に引き込んで、初夏の乾いた時期に使う仕組みを作っている家が多い。代々の知恵です」
「そういうことは、王都には記録が残っていないですね」
「残っていません」
短い答えだった。ロドリクはそれ以上言わなかった。しかし何かを責めているわけではなかった。ただ事実として言った。記録がない、それだけだった。
アシュリーは小さく息を吐いた。
「王都では見えない景色がたくさんあるんですね」
自分でもそう思っていた。思っていたが、声に出したのは初めてだった。儀礼台帳を四年間管理してきた。記録された式典の数、その参列者の名前、贈答品の一覧、婚約の通知、称号の変更。書類の中に世界があった。しかしその書類に書かれていないことが、ここには無数にあった。
「儀礼台帳には書かれない話です」
ロドリクが言った。
アシュリーはその言葉を聞いて、少し笑った。
四年間、台帳を管理し続けた。記録することが仕事だった。記録の精度を上げることが仕事だった。しかし今、台帳に書かれない話の中を自分が走っている。北方の羊の毛と、雪解けの溜め池と、木工の職人の村。どれも台帳の外にあるものだった。それがどこか可笑しかった。可笑しいというよりは、そういうものがあったのか、という感触に近かった。
書かれた世界の中だけにいた。
アシュリーは窓の外を見ながら、そのことをはっきりと感じた。四年間、書類の中にいた。台帳が世界だった。しかし世界は台帳より大きかった。当然のことだったが、体でそれを感じたのは今日が初めてかもしれなかった。羊の毛の話を、誰かから直接聞いたのも、初めてだった。数字として知っていた。輸出量として知っていた。しかし羊が毛の厚い種類だということは、書かれていなかった。書く必要がなかったからだ。書かれないことが、実際にはずっと多かった。
別の窓から声がした。
「広い!」
シエルだった。もう一台の馬車から顔を出していた。顔半分が窓から出ていた。風に髪が揺れていた。遠くに見える山を指さしていた。御者に何か言って笑っていた。
アシュリーはその声を聞いた。窓から外を見た。シエルが乗っている馬車が少し後ろを走っていた。シエルはまだ窓から顔を出していた。何かを見つけるたびに声を上げていた。あれは何の鳥ですかと御者に聞いていた。御者が笑いながら答えていた。
ロドリクも一度そちらを見た。何も言わなかったが、口元が少し変わった気がした。シエルの声が遠くなった。馬車がカーブを曲がったのだ。
馬車は北へ進んでいた。山が大きくなった。森の色が濃くなった。空の青が深くなった。王都の空は白みがかっていた。建物が多く、石畳の照り返しと炊煙が混じって、空の色をくすませていた。ここは違った。透き通っていた。雲が高く、遠かった。その下に山があった。その手前に森があった。その中を一本の道が続いていた。馬車はそこを走っていた。
アシュリーはしばらく外を見ていた。
見ているだけでよかった。何も考えなくてよかった。台帳を思い出さなくてよかった。ただ景色が流れていくのを見ていた。それが今日一日でできたことだった。
3日目の夜、ノルディア領の北の門が見えてきた。




