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『また従妹に譲ってくれ』が四十八回目だったので、儀礼台帳を白紙に戻しました  作者: ヲワ・おわり


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22/70

第22話 母との夜

全70話完結予定です。毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に投稿します。

少しでも続きが気になりましたら、評価・ブックマークで応援していただけると励みになります。

 出発の前夜、母が部屋を訪ねてきた。


 ノックは二回だった。返事をする前に扉が開いた。母のやり方だった。遠慮があるようで、実際にはない。入っていいかと聞かず、聞く前に開けた。それを子供の頃から当たり前のこととして受け取ってきた。怒ったことはなかった。母に対して、そういう感情を持ったことがなかった。


「服を見せてもらえる? 北は今の時期、まだ冷えるから」


 母は小さなランプを持っていた。部屋の明かりは落としていたから、二つの光が揺れていた。アシュリーは荷物を開けた。衣類を並べた。母が一枚ずつ手で触れながら確認した。


「これは薄い。夜着はもう一枚要る」


 言いながら自分で棚に向かった。勝手に引き出しを開けた。目的のものを取り出した。厚めの夜着を荷物の中に入れた。アシュリーは黙って見ていた。止める理由がなかった。


「靴は?」


「持っています」


「防水のもの?」


「一足は」


「一足では足りない。予備がいる」


 また棚を開けた。革底の靴を見つけ出した。荷物の隙間に押し込んだ。アシュリーは荷物が重くなっていくのを見ていた。文句は言わなかった。母が正しかった。北方の気候を、アシュリーは実際には知らなかった。


 一通り確認が終わると、母はベッドの端に腰をおろした。


 アシュリーも椅子に座った。


 しばらく何も言わなかった。部屋の外では風が吹いていた。木の葉が揺れる音がした。春の夜の音だった。家の中は静かだった。荷物はほぼ整えてあった。着替え、書類、ロドリクへの返信に使った便箋の予備、インク。台帳の仕事ではないから、持っていく道具はいつもより少なかった。少ないことが、初めのうちは落ち着かなかった。しかし今は、それほど気にならなかった。


「ちゃんと眠れていた?」


 母が聞いた。


「はい」


「婚約が続いていた頃」


 アシュリーは少し黙った。


「眠れていました」


「そう」


 母は肯定も否定もしなかった。「そう」とだけ言った。それから部屋の隅を見た。何があるわけでもない場所だった。ただ視線を向けていた。アシュリーも同じ場所を見た。何もない壁だった。ランプの光が、壁に薄く伸びていた。影が揺れた。風のたびに、ランプの炎が細くなった。


「四年間、頑張りすぎた」


 静かに言った。責めるような声ではなかった。ただ事実を述べるような、落ち着いた声だった。


 アシュリーは少し間を置いた。


「いいえ、仕事でしたから」


 そう答えた。自分でも気づいていた。うまい答えではなかった。しかし他に言葉が出なかった。


 母は少し首を傾けた。


「頑張ることと、頑張りすぎることは違う。あなたはずっと後者だった」


 アシュリーは返す言葉を探した。


 見つからなかった。


 仕事だった、というのは本当だった。しかしそれ以外の言葉を積み重ねても、母の言葉の重さには届かなかった。否定しようとすれば嘘になった。認めようとすれば、何かが崩れる気がした。だから黙っていた。


 母は待っていた。急かさなかった。アシュリーが返事をしなくても、困った様子を見せなかった。ただランプの光の中に座っていた。息を整えているようでも、何かを考えているようでもなかった。ただそこにいた。存在することだけで、何かを伝えているような座り方だった。


「あの四年間を、あなた以外の誰かがやれたと思っていない」と母は言った。「あなたにしかできなかったことだったと思ってる。でもだからこそ、あなたが摩耗していくのを見ていた。気づいていた。何も言えなかったけど」


 アシュリーは目を伏せた。


 母は続けた。


「行って、ちゃんと休みなさい。それだけでいい」


 それだけでいい。


 その言葉が、胸の奥で静かに落ちた。何かを求められるのではなかった。何かを証明しなくてもよかった。休むだけでよかった。休むことが目的でいい、と言われた。それがこれほど聞きにくい言葉だとは思っていなかった。


 目の奥が、少し熱くなった。


 涙ではなかった。泣くには及ばなかった。ただ何かが、ほんの少しだけ動いた。胸の深い場所で、長いこと固まっていたものが、かすかにほぐれるような感触があった。


 休むだけでいい、という言葉を、もう一度頭の中で繰り返した。それだけでいい。結果を出さなくていい。北方で何かを成し遂げなくていい。ただ休めばいい。そういうことを、誰かに言われたことがなかった。宮廷では常に何かを期待されていた。婚約者の側では常に完璧であることを求められていた。親族の前でも、ヴェルヴェント家の娘として振る舞うことが当然だった。休むことが許されると言われた記憶が、どこにあるかを探した。見つからなかった。


 言葉が出てこなかった。


 何を言えばよいか分からなかった。ありがとうございます、では軽すぎた。でも他の言葉が、出てこなかった。


 そのとき、廊下から声がした。


「アシュリー様、明日の準備が整いました」


 シエルの声だった。扉越しに、控えめに告げる声だった。


 母が立ち上がった。ランプを手に持った。


「早く休みなさい」と言った。「明日は早い」


 そして扉へ向かった。振り返らなかった。振り返らなくてよかった。言うべきことは言ったという顔つきだった。扉を開けた。廊下のシエルに小さく頷いた。そして出ていった。


 扉が閉まった。


 部屋が暗くなった。


 アシュリーはしばらく、その暗さの中に座っていた。目の奥の熱は、ゆっくりと引いていった。


 翌朝、アシュリーは北方への旅を始めた。

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