第15話 ロザリーの申し出
全70話完結予定です。毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に投稿します。
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ロザリー・ベルジュは、エドワルドの説明を静かに聞いていた。
いつもの部屋だった。ソファに腰をかけ、両手を膝の上に揃えていた。白いドレスが夕方の光の中できれいに見えた。顔色は青白く、唇が少し乾いていた。体の弱い令嬢の様子だった。エドワルドが書記局からの通達について話す間、ロザリーは一度も口を挟まなかった。目を伏せて、黙って聞いていた。
台帳の記名権者という言葉を初めて聞いた。婚約者でなければ記名できないという規程も、今日初めて知った。これが外交儀礼の根幹に関わる仕組みだということも、今この瞬間に理解した。アシュリーの名前は直接出なかったが、そこに何があったのかは十分に伝わった。
「……そういうことなんだ。台帳の記名権者がいない限り、式典が成立しない」
エドワルドが話し終えると、ロザリーが顔を上げた。
「では私が記名権者になればいいんでしょう?」
すらりと言った。声に曇りがなかった。エドワルドは少し黙った。
「それが……書記局の話では難しいらしくて」
「どうして」
「担当者を呼んだんだが、記名権者になれるのは正式な婚約者に限られるって言われた。今の君の立場では、規程上は認められないらしい」
「では婚約すれば……」
扉のそばに控えていた書記局の担当者が、静かに口を開いた。昨日の騒ぎの後、書記局長が直接よこした人間だった。殿下の執務室に詰めるよう命じられていた。
「正式な婚約の成立には、二週間から三週間の公示期間が必要となります。来週の使節歓迎式典には、残念ながら間に合いません」
ロザリーがその担当者を見た。
「公示を短縮することは」
「国王陛下の特例許可が必要となります。現在の状況でその申請が通るかどうかは、私の立場では申し上げられません」
ロザリーは少しの間、何も言わなかった。窓の外の光が動いた。夕方が近かった。エドワルドが「すまない、ロザリー。こんなことになってしまって」と言った。ロザリーは首を振った。
「謝らないでください。エドワルド様のせいじゃありません」
立ち上がった。
「では私が手伝えることをします」
エドワルドが「でも体が……」と言いかけた。ロザリーはすでに扉に向かって歩いていた。足取りが軽かった。さきほどまでソファにもたれていた人間の足取りではなかった。
「式典の準備は、書記局以外のどこが担当していますか」
書記局の担当者に聞いた。
「儀礼管理局と、宮廷宴会部と、外交侍従局が連携しています」
「わかりました。それぞれ、今どの段階ですか」
「儀礼管理局は席次の確定待ち、宴会部は食材の最終発注が今週中、外交侍従局は来賓の到着時刻を調整中です」
「では儀礼管理局に行きます。席次の確定は、記名権者がいなくても準備だけ進められますか」
「……準備自体は、できます。ただし発効は記名後になります」
「それでいいです」
ロザリーが廊下に出た。足音が石の床を鳴らした。エドワルドが後を追おうとした。ロザリーは振り返らずに「エドワルド様はご自分のお仕事をしてください」と言った。それだけ言って曲がり角を消えた。
廊下を行くロザリーの姿を、通りがかりの使用人が見た。白いドレスの裾を少し持ち上げて、早足で歩いていた。先週、「体の具合が悪い」と寝台にいると聞いていた令嬢だった。今日は足取りに淀みがなかった。病弱な令嬢とは、こういう歩き方をしない、と使用人は思った。
儀礼管理局、宴会部、外交侍従局。ロザリーは三か所を回った。どこでも丁寧に話を聞き、手元に覚書を取り、担当者に確認を取った。席次の調整については細かく質問した。来賓の国名と座席の優先順位を正確に把握しようとしていた。担当者たちはその都度答えたが、戸惑いを隠せなかった。手際がよかった。飲み込みが早かった。何より、疲れる様子がなかった。
「ベルジュ嬢は体が弱いのでは」
宴会部の担当者の一人が、廊下でそっと隣の同僚に言った。
「そのはずなんですが……」
宴会部を出たロザリーが、次に向かったのは外交侍従局だった。長い廊下を渡る。階段を上る。侍従局の扉をノックする。中へ入る。担当者と話す。覚書を取る。礼を言う。出る。その繰り返しを、夕暮れになるまで続けた。
外に出た時の顔が赤かった。歩き回った後だから当然だった。しかし先週の「病弱な様子」と、今日の「宮廷中を歩き回る様子」は、同じ人間のものとは見えなかった。
夕方になる頃、ロザリーは宮廷の廊下を三往復していた。
宴会部の近くを通った掃除係が、その様子を見た。つい先週、具合が悪くて横になっていたと聞いていた令嬢が、台帳を脇に抱えて廊下を歩いていた。足が痛そうな様子もなかった。咳き込む様子もなかった。息を切らして壁に手をつくような様子もなかった。
その夕方のうちに、宮廷の使用人の間で小さな話が動き始めた。誰が最初に言い出したか、定かではなかった。ただ「病弱な令嬢」が今日は一日中、廊下を足早に歩いていたという話が、台所にも、洗濯場にも、少しずつ広まっていった。
話はそれだけだった。誰もはっきりとしたことを言わなかった。「気のせいではないか」と言う者もいた。「よほど心配だったのではないか」と言う者もいた。それ以上には踏み込まなかった。宮廷の使用人は、踏み込まないことを心得ている。
ただ覚えた。見たことを、聞いたことを、記憶の中に置いた。
その翌日、アシュリーの耳に奇妙な報告が届いた。




