第11話 実家の三日間
全70話完結予定です。毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に投稿します。
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ヴェルヴェント侯爵邸に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
門をくぐると、使用人が二人、玄関前で待っていた。連絡を受けていたのだろう。馬車の扉が開くと、一人がすぐに荷物を受け取りに来た。シエルが先に降りて、アシュリーが続いた。
久しぶりの石畳だった。王宮の廊下とは違う感触が、靴底を通して伝わってきた。幼い頃から歩いてきた道だった。変わっていなかった。石の目地も、玄関脇の植え込みの形も、鉄の門扉の錆びた蝶番も、記憶の中と同じだった。この場所は自分を待っていたわけではない。ただここにあった。それでも、変わっていないということが、今日は少し心強く感じられた。
玄関の扉が開き、母が出てきた。
「アシュリー」
母の声が少し高くなった。アシュリーは歩みを止めなかった。母の前に立ち、頭を下げた。挨拶をする前に、母の手が肩に触れた。それから母の顔が崩れた。声を出さずに泣いていた。口元を押さえて、何度か瞬きをした。
「お母様、ただいま戻りました」
「……なんでもないわ。なんでもない。疲れたでしょう、すぐに中へ」
母は自分でそう言いながら、手をアシュリーの背に添えた。こういう人だった。感情が顔に出る。隠そうとして、隠せていない。でも動き続ける。アシュリーは何も言わなかった。母の肩に手を置いて、一緒に玄関へ入った。
父は居間にいた。窓際の椅子に座り、書類を手に持っていた。アシュリーが入ると書類を机に置いた。立ち上がりはしなかった。ただ、こちらをまっすぐ見た。
「座れ」
アシュリーは促された椅子に腰を下ろした。シエルは部屋の外で待った。母も気を利かせて席を外した。居間には二人だけになった。
父が黙っていた。急かさない人だった。時間をかけていい、という沈黙の持ち方だった。アシュリーは少しの間を置いてから、話し始めた。四年間のことを、できるだけ短く話した。行事の代替回数。台帳の構造。書記局規程第七条。記名権者についての条文。自分がそれを最後にどう使ったか。最後の三日間にしたことを、順番に話した。感情は言葉にしなかった。事実だけを並べた。
父は一度も遮らなかった。何も質問しなかった。アシュリーが話し終えるまで、同じ姿勢でいた。書記局の規程の話をした時も、台帳に線を引いた話をした時も、表情が変わらなかった。驚いた顔ではなかった。知っていたような顔でもなかった。ただ聞いていた。聞くということを、この人はそれだけのことで完結させることができた。
話し終えると、父がまた少し黙った。窓の外で風が鳴った。庭の木の葉が揺れた。冬の終わりに近い風だった。
「よくやった」
それだけだった。
アシュリーは息を吐いた。体の奥の何かが、ゆっくりと緩んだ。称賛でも慰めでもなかった。ただ、事実の確認だった。この人はそう判断した時にしかそう言わない。感情で言葉を選ばない人だった。だからこそ、この言葉には重さがあった。アシュリーは子供の頃から、父のこの言い方を知っていた。最も多くのことを含んだ一言だということを、長年かけて理解していた。それ以上を求めたことがなかった。それ以上を求める必要がなかった。
夕食は三人でとった。
食卓に並んだのは、アシュリーが子供の頃から好きだったスープと、家の料理人が作る鶏の焼き物だった。飾り気のない盛り付けだった。宮廷の晩餐会のような銀器も、外国の客を迎える時の七種の前菜も、なかった。ただの家族の食事だった。
義務のない食卓は、こんなにも軽いのだとアシュリーは思った。次の行事の段取りを考えなくていい。隣席の相手の出身国を確認しなくていい。話題の選び方に外交的な配慮がいらない。フォークを持つ手に、何の計算もなかった。食べ物の味が、王宮の食卓の時よりもはっきりわかった。スープの塩加減が、幼い頃と同じだった。
母がよく喋った。近所の話、庭の話、使用人の話。アシュリーは聞いていた。時々相槌を打った。父は黙って食事をしていた。三人の間に流れる空気が穏やかだった。間が空いても気まずくならなかった。王宮の食卓では間が空くと何かを言わなければならなかった。話題を選び、相手の出身と関心を確かめ、角の立たない言い方を探した。ここではそれをしなかった。ただ食べた。母が話した。父が食べた。アシュリーが聞いた。それだけの食事だった。
食後、アシュリーは自室に戻った。荷物はシエルがすでに整理していた。窓のそばに椅子を置いて座った。王都の方角を見た。夜になった空は曇っていて、星が見えなかった。王宮の灯りも、この距離では見えない。石造りの塔も、廊下の蝋燭の列も、ここからは何もわからなかった。それでいいと思った。
廊下のほうから、使用人の話し声がした。低い声で話していた。聞き取るつもりはなかったが、声の断片が部屋に入ってきた。
「……王宮のほうが、なんかおかしいらしいですよ」
「何かあったんですかね」
それだけだった。足音が遠ざかった。部屋がまた静かになった。アシュリーは窓の外を見ていた。
何かが動き始めているとすれば、自分がしたことの結果だった。書記局規程第七条は平等に機能する。記名権者がいない台帳は法的に無効になる。それは誰かを罰するためではなく、制度がそういう仕組みだということだった。アシュリーが弁護するものでも、急かすものでも、止めるものでもない。ただそうなる。でも今夜は考えなかった。今夜は窓の外の暗さを見ていた。どこまでも曇った空があった。
翌朝、父と二人になる機会があった。朝食の後、廊下で少し立ち話をした。父が静かに言いかけた。
「そういえば、ロドリク・ノルディア殿が先月、王都に来ていたが——」
父は途中で止まった。何かを考えるように目を細めて、言葉を引いた。続きを言わなかった。
アシュリーは「そうですか」とだけ言って、そのまま歩いた。父も追わなかった。その名前が意味することを、アシュリーはまだ確認したくなかった。一度に多くのことを考えない。それが今日の自分に必要なことだった。
翌朝、使用人が外から戻ってきて、「王宮の書記局から緊急通達が出たようです」と言った。




