第52話:原初の聖獣と、究極の「全自動・極上ブラッシング・サロン」
恩師エルフレードとの別れを終え、再び未開の大地へと戻ってきたゼノスとミーシャ。次元を渡る『悠久の旅路号』が着陸したのは、七色の霧が立ち込める巨大な樹海の中央だった。
「……ゼノス様、止まってください。この先、何かがいます。これまでの魔王や天の使者とは比べものにならない、この大地そのもののような濃密な生命の鼓動を感じます」
女神ミーシャがその琥珀色の瞳を鋭くさせ、俺の前に一歩踏み出す。
霧がゆっくりと晴れていく中、現れたのは、山の頂ほどもある巨大な白狼だった。
その毛並みは星屑を散りばめたように輝き、六つの瞳には万象の智慧が宿っている。
それは、神々がこの星を創るよりも前から存在すると言われる、原初の守護聖獣『フェンリル・ウル』であった。
『――不遜なる闖入者よ。神の理を書き換え、運命を弄ぶ呪具師とその伴侶よ。……この地は、文明という名の「利便性」に汚されることを拒む。汝らのまやかしの道具、我がその牙ですべて噛み砕いてくれよう』
聖獣が低く唸ると、周囲の空間がミシミシと音を立てて軋み、絶対的な圧力が離宮を襲った。並の勇者なら、その威圧感だけで魂が霧散するレベルのプレッシャーだ。
「……あ、ちょっと待って、ウルさん。噛む前に……その、君の右側の首筋のあたり。……すごく毛玉になってない? それに、長年の魔力蓄積で毛並みがガチガチに固まって、自分でも痒くて困ってるんじゃないかな」
俺は、聖獣の放つ絶望的な殺気を「トントン」と小気味よいリズムで受け流しながら、即座に手元のガラクタ――地上の『ドーム・シティ』の建設時に出た「神銀の削りカス」と、南の魔王レオンから貰った「灼熱の火トカゲの髭」、そして先ほど塔で貰った「アステリオスのパンの酵母(の残り)」を取り出した。
「トントン、と」
【スキル:神獣融和・極致毛繕発動】
【神話級アイテム:『全自動・神域ブラッシング・サロン「黄金の櫛」』】
それは、巨大な重機のようなサイズに変形する、黄金に輝く「自動ブラシ」だった。
「いいかい、無理に動くと危ないよ。……スイッチ、オン」
シュゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!
「黄金の櫛」が超高速で振動し、聖獣ウルの巨大な体に触れた瞬間。
ガチガチに固まっていた数万年分の魔力の汚れが、パウダー状になって霧散した。レオンの火トカゲの髭が持つ適度な熱が、冷え切った聖獣の肌を芯から温め、アステリオスのパン酵母が「古い角質」を優しく分解していく。
『……ぬ……? おお……っ!? こ、これは……なんという……。我の、我の魂の深淵まで届く、この禁断の心地よさは……っ!!』
あの大地を震わせた咆哮はどこへやら。
巨体を持つ聖獣ウルは、その場にごろりと横たわり、六つの瞳をうっとりと細めて、足をピクピクと震わせ始めた。
「よしよし、お腹のあたりも念入りにやるね。ここはちょっとくすぐったいかもしれないけど」
「……ゼノス様、流石です。あの恐ろしい聖獣様が、今やただの大きなワンちゃんのようです。……ふふ、あんなに尻尾を振って、森の木々がなぎ倒されていますよ」
ミーシャがクスクスと笑いながら、ウルの鼻先に「女神の加護」を込めた特製のおやつ(乾燥肉のジャーキー)を差し出した。
聖獣はそれをハグハグと食べると、もはや戦う意志など一塵も残っていない様子で、甘えたような鳴き声を上げた。
『――……認めよう。ゼノスよ。汝の道具は、破壊ではなく「癒やし」の極致。我の数万年の孤独と痒みが、今、この瞬間に氷解した。……汝らを、この大地の「賓客」として迎えよう』
聖獣ウルは、ゼノスへの忠誠の証として、自分の体毛から作った『原初のマフラー』を差し出した。これがあれば、どんな次元の嵐も防ぐことができる。
◇
その頃、地上の「エルフレードの塔」では。
店主となったアステリオスが、列をなす客たちにパンを配りながら、空を見上げていた。
「……ゼノス様。今、空から大きな毛玉のような雲が流れていきました。……ふふ、きっとあなたはまた、世界のどこかで誰かを『甘やかして』いるのでしょうね」
アステリオスの横には、彼を支える元・侍女の姿。
そして、パンを求めてやってきた四魔王たちが、仲良く列の順番を待っているという、かつての王国ではあり得なかった平和な光景が広がっていた。
「さて、ウルさん。この森の奥に、もっと面白い素材があるって本当かい? 案内してくれると助かるよ」
『承知した、我が主。我が背に乗るが良い。……その代わり、旅の終わりには、もう一度あの「お腹ブラッシング」をお願いしたいのだが……』
俺たちは聖獣の背に揺られ、未開の大地のさらなる深部――世界の心臓部へと足を踏み入れていく。




