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波打ち寄せる世界を往く  作者: 川崎春
一章 法国編

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圧力

 リオンはロハンの形見を渡された時の事を思い出す。

 ラーナはロハンを強く想っていた。リオンが気づいた時にはもうそれが当たり前だった。だからリオンはそれが当たり前だと思っていた。

 そのロハンが居なくなった。唐突にロハンの式が消えた。彼の居た場所にその姿は無く、波間に突き出た片手がどす黒い波に消えて行く所だった。追いかけて手を掴もうとしたが、他の貴族に羽交い絞めにされて止められた。式に頼んだが一体も動かなかった。……手遅れだったのだ。

 報告せなばならず、ラーナに告げた。その後の慟哭と憔悴ぶりは、今思い出しても胸が痛む程だった。やがてラーナは嘆くのを止めた。どう考えてもロハンは他殺だった。ラーナはそれでも王族として国の未来を見ていた。美しい牡丹の花の花びらが強い風によって落ちていくのを見ている様な気持ちだった。

 ラーナの心を守れるのは最早リオンだけだった。ロハンの居ない城でかつての人を偲び、悼む気持ちを共有できる唯一の存在。だから婚約をした。

 しかしラーナは婚約した時告げたのだ。

『私の願いは、あなたが無事である事。ロハンの様にならないで。……今度こそ守るわ』

 彼女はそう言って、泣きそうな顔で笑った。

 リオンはこの顔を今も夢に見る。


 リオンの話に、レイシアは言った。

「婚約のお祝いであり、ロハン様の形見分けだったという事ね」

「そうです」

 レイシアは目を伏せて考えてからリオンをじっと見る。

「傷つけてしまうかも知れない。でも、聞いて欲しいの」

 リオンは恐ろしく思いながらも拒絶できない何かをレイシアに感じて頷く。まだ短い付き合いだが、こんな雰囲気になった事は一度もない。ラガールすら口出しできずに黙っている程の妙な圧は確かにレイシアから出ていた。

「あなたは貴族籍を抜けたけれど、冤罪で殺されなかった。それなのにラーナ殿下は汚れた波の汚れに触れた」

 リオンははっとする。

『今度こそ守るわ』

「法国は、始祖の順位がたまに変化して国を維持するのでしょ?婚約や婚礼で伴侶に品を与え、王族入りするのであれば……入れ替わりの際に、王族にとって大事な物の受け渡しがあるのではないのかしら?」

「一体何が……」

「そこまでは分からない。でも、それをロハン様の時にラーナ殿下は渡したの。でも、ロハン様は死に追いやられてしまった。ラーナ様はそれで敵が誰であるのかを理解し、あなたもこのままでは殺されてしまうと気付いた」

 レイシアはカーテンの方を向く。

「だから、あなたに下賜された物にはラーナ殿下の持つ王族の何かが、想像以上に込められた。あなたは死なずに済んだけれど、ラーナ殿下は己を護れない程に弱ってしまった」

 リオンはレイシアの言葉を否定できなかった。千式操者であるラーナの力が尋常でない事を熟知していたからだ。

「ラーナ殿下は……自分が弱る事を承知でこうしたのだと思う。リオンに『王族の大事な物』を預けたのよ」

 レイシアは全員を見据える。

「きっと、欲しているのはカシギ陛下だわ」

 リオンが息を呑んでから言う。

「何故、王が?王妹の物を……」

「この国では王女の王杯が国を継ぐのでしょ?」

「しかし王子の居る間は……」

「不敬を承知で言うわ。カシギ陛下は本当に王族なの?」

 レイシアの言葉に全員が固まった。

「ずっと違和感があったの。リオンもレザンもラーナ殿下の事は良く知っているのに、陛下の政治手腕、能力や人柄。何も話さなかった。ラーナ殿下の話に絡めて自国の王の話をする事もなかった。この国で最も力を持つ王族だというのに」

「言われてみれば……確かに私も気づきませんでした」

 ラガールが掠れた声で言う。

「私には兄が居るわ。兄は私を泣かせる人を決して許さないの。兄妹の関係が全て良好だとは言わないわ。けれど王族を城で殺した可能性のある者の調査が二年も行われていないなんて変よ」

「それはロハン様がいきなり抜けて忙しくなってしまったからで……」

「レザンはそうかも知れない。けれどリオンは王命に背いてでも犯人を捜していてもおかしくないわ。でもしなかった。それどころか冤罪だというのに素直に城を出た」

 リオンは呟くように言う。

「俺はラーナ殿下と部屋で悲しんで……怒りや悔しさの様な物を持てませんでした。喪失が大きいせいだと思っていました」

 ラガールが考えながら言う。言葉にするのに苦労している様だ。

「ロハン殿が亡くなっている事を市井の者は知らない。お二人の結婚式は盛大で城下町にも披露目があった。数年前のカシギ陛下の御成婚はお触れだけで何も無かった」

 リオンが頭を抱えながら、何かに耐えるように言う。

「そうだ……結婚した時は、先王であるツルギ陛下がご存命だった。カシギ陛下の結婚式を城内でしかしなかったのに、ラーナ殿下の結婚は城下にまでお披露目をしたんだ」

 レザンが首を傾げる。

「そうでしたっけ……?」

「……思い出した。城下で朱素餅が配られる事になって、お前は式を使った手伝いがあるから城下に見に行けないと嘆いていた」

 レザンは首を捻る。

「すいません。思い出せません」

 そこでようやくラガールが言う。

「確かにこれは異常だ。私もお嬢に言われた瞬間におかしいと分かって考えるのだが、すぐに考えが消えてしまう。……お嬢以外は誰もこの力に抗えていない」

「私だけ?」

 メルルを見るが、メルルは首を傾げる。

「さっきから難しいお話で聞き取れません」

 レイシアは信じられず、試しに言った。

「カシギ陛下よりもラーナ殿下の方が王にふさわしい」

 しかし、その言葉を全員が聞き流した。

 レイシアは圧倒的な力に苦しくなる。

(情報が全くないわ。カシギ陛下がどんな人なのかもわからない。直接会ったら、これだけの力だもの太刀打ちできる気がしない。このおかしな作用もどうやっているのか分からない)

「さすがベルネア侯爵家の血筋。素晴らしい」

 ラガールはそう言うだけでそれ以上の言葉をくれない。メルルは目を輝かせて小さく拍手をしている。

(困ったら何でも聞いてくれって言っていたのに頼りにならないわ)

 レザンはこの状況に全く疑問を抱いていない。

 そしてリオンは頭を抱えて震えている。

「リオン、大丈夫?」

「俺は思い出さねばなりません。姫様はこの秘密と王気を俺に託した筈なのに!」

(王気?)

「無理に思い出すと死にそうだわ。焦ってはだめ」

 レイシアも知りたい。もどかしい気持ちはあるがリオンは酷い顔色をしている。王族の力に抗っているなら危険だ。

 その瞬間、ラガールが立ち上がり素早くリオンに近づくと首をぐっと押した。魔法の流れが見えた途端にリオンがその場に突っ伏した。

「これでよろしいですか?」

 顔色が戻っていくリオンにほっとしてレイシアは頷く。

「寝かせてきます」

 ラガールはそう言うとリオンを背負って部屋を出て行った。

 残されたのは、居たたまれない表情のレザンと訳の分かっていないメルルだけ。

 しばしの沈黙の後、レイシアはレザンに聞いた。

「あの、王気って何?」

「王族の纏う運気の事です」

「運気が分からないわ。王国にはその言葉は無いの」

「運気と言うのは生まれ持ったもので、正と負の二つがあります。正は言祝ぎや守備、負は呪いや攻撃に使う魔力とされています」

「……丁度半分づつくらい?」

「いいえ、量も比率も人によって違います。王族の運気は王気と呼ばれ、正の運気は玉座から王に与えられ、国や臣民に分け与えられるものだとされています」

「負の気は?」

「持っていても玉座からは与えられないので、王はやがて正の運気のみを宿すとされています」

(カシギ陛下が正の運気で満たされているのは間違いない。今の状況は呪いではないのね)

 レイシアはため息を吐いた。

朱素餅……「しゅそもち」と読みます。紅白のすあま的なもの。現実には多分ない。

 レザンのお手伝いは、米を運んで粉にし、蒸す作業を式にやらせるというもの。城内の庭に大窯を設置して行っていた。

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