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波打ち寄せる世界を往く  作者: 川崎春
一章 法国編

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対峙

 気づけば、メルルはぐっすりと寝入っていた。緊張と不安で疲弊していたから眠りは深い。

「……何処まで聞けたのかしら」

 レイシアはそう呟くとカーテンの方を向く。

(本当に……ついてないわ)

 恐ろしい気配を窓の外から感じる。

 本人が雨によって感知される事を防いでいる為なのか、魔力や殺意はレイシアの居る部屋にのみ向いている。靴音をさせて話している最中に出て行ったリオンやラガールも雨の中だ。レザンも眠っているから気づかないだろう。

 レイシアは眠るメルルの脇に座ったまま、窓を見据える。

 昼間の令嬢の様に壁に張り付いている訳ではないらしい。窓の外に、雨に混じって雑音がする。……レイシアの記憶にある音だ。

(傘?)

 この国の傘は油紙と呼ばれる油をしみ込ませた紙で出来ているのだ。この宿で出入りする者達が使っていたからこの音は覚えている。

 その音が一瞬で止んだ。外部の音が遮断されたのだ。

「返して」

 おっとりとした女性の声がレイシアの頭の中で響く。 

「それは大事な物なの」

 レイシアは声が震えない様にゆっくりと言う。

「……それとは、何ですか?」

「意地悪をしないで。返して」

 レイシアは目の前のカーテンを見据える。

 ラーナであろう外の誰かは、レイシアがこれを奪ったと思っているのだ。だから殺意を感じる。しかし、何かがおかしい。

(どうして私を殺して奪って行かないの?)

 それをしても誰も咎めない身分と力を持つ者とは思えない言葉。……レイシアは黙って様子を見る。

「夫の上着なの。私の夫の……だから返して」

 そう言われて、カーテンの正体を知る。

(外套を分解した一番大きな部分。カーテンと言うよりも、その柄を壁に飾って眺める為のタペストリーとした物なのだわ)

 ロハンと言う男性は細見のリオンと違い、大柄な男性であった様だ。リオンが着るにはサイズが合わない。そのまま形見として渡せなかったのだ。

(だとすれば、この形になったのはラーナ殿下の意志だわ)

 ロハンの死後、ラーナが自分の意志でロハンの上着を分解し、この様な形で下賜したのだろう。

 レイシアは恐る恐る言う。

「恐れながら、リオンに下賜されたのではないのですか?」

 しばしの沈黙の後、声は戸惑ったように言った。

「分からない」

(記憶が……)

 汚れた波に触れた影響だろう。記憶の一部が抜けているのだ。汚れに触れて混濁した今のラーナでは、王族として力を振るっていたかつての自分の意志を越えられないのだ。だから奪えない。それは間違いない様だ。しかし、この宿どころか辺り一帯を一瞬で破壊できる王族である事は事実で、下手な方法を採れば攻撃されてしまう。

 レイシアは緊張で震えない様に腹に力を入れた。怒りを買わない様に、嘘だと思われない様に……柔らかく、しかし分かる様にはっきりと。

「申し訳ございません。私の一存ではお返しできないのです。また明日起こし下さい」

 沈黙。

 レイシアはただじっと窓を見据える。

 そしてゆっくりと雨の音が戻って来た。ラーナが了承して去って行ったのだ。

 レイシアは、両手で顔を覆って大きく息を吐いた。

「……死ぬところだった」

 ぽつりと呟いた言葉に、レイシアは自分がとても危なかった事を実感していた。

 そして緊張がゆるむと同時にレイシアは椅子の背もたれに背を預け、目を閉じていた。

「少しだけ」

 その呟きの後、呼吸はゆっくりとした寝息へと変わっていった。


 翌朝。

「お嬢!お嬢!」

 メルルに肩をゆすられてレイシアは目を覚ます。そしてミシミシと悲鳴を上げる体に顔をしかめる。

「体が痛いわ」

「当たり前です!」

 メルルはすっかり復調した様で、顔色も良く声も元気だ。

 するとノックの音がして、ラガール達が朝食を運んできた。きっと夜明け前に全て済ませて戻ってきたのだろう。メルルの声でこちらに来たのだ。

 多少疲れているが、雨の範囲から往復してきたとは思えない様子に、レイシアは己の体力の無さを実感する。

 メルルがお湯をもらいに外へ飛び出すと、三人の男達がてきぱきと机を拭いたり、椅子を隣の部屋から持って来たり、料理を並べたりと動き回っている。レザンは昨日会ったばかりなのに、普通にラガールの指示に従っている。騎士の連携と言うのは何処の国でも同じなのかも知れない。

「あなた達は元気ね……」

 ラガールが満面の笑みになって、ポケットから紙に包まれた何かを出してきた。

「お疲れならこれを」

 透けて暗い緑色が見える。

「これは?」

「元帝国貴族の者が長年研究して作った万能薬です」

 リオンとレザンが凄い視線をレイシアに送っている。

(万能薬……)

「今はいいわ」

「そうですか」

 がっかりした様子でラガールは懐にしまい込む。リオンとレザンはほっとした様子で再び料理を並べ始めた。

 全員が席に座り食べ始めると、昨晩の報告会となった。

 リオンはあまり成果が無かった様子で、申し訳なさそうに言う。

「貴族籍から抜ける際に何も出来なかった事を謝罪されるばかりで……」

 現状を招いたのは、リオンが冤罪だと分かっていながら擁護しなかったからだと悔やむ者が多く、宥めている内にかなり時間が経ってしまったらしい。

 ラガールは雨の範囲を抜け、王都と連絡を取ったらしいが、平民達にはラーナの失踪は伝わっていないそうだ。

「箝口令が敷かれているようで、至って普通な様子だそうです」

「よく……隠せているわね」

「そのせいで、城であった事が分からないのです」

 一斉にレザンに視線が向く。

「俺も、分からないのです」

 レザンは困った様に言う。

「ラーナ様は城の廊下で予兆の無かった汚れた波に襲われたのです」

「予兆?」

「波は遥か彼方からやってきます。ですのでこちらに来るまで時間があるのです。……だから到達を予想できるのが普通です。しかし、今回それがありませんでした」

 レザンは俯いて続ける。

「だから城には殆ど被害が無くて……気付いた時にはラーナ様は城から居なくなっていました」

「……自ら汚れた波を呼ばれた可能性があるな」

 ラガールが言うと、全員がラガールの方を見る。

「この世界のあらゆる場所に汚れた波はやって来ます。防波堤以外の場所に大型の波が来る事も稀にあります。その際、王族はその一部を防波堤に波を呼ぶ事が出来るのです。緊急事態に備えての力なので滅多に見る事はありませんが、どの国の王族も持つ力です」

 レイシアは驚いて言う。

「では、ラーナ殿下はそれをしたと?」

「ご自身を滅ぼす為に行われた可能性は否めないかと」

 レイシアはラガールに反論した。

「だったら何故、ここまで来たの?」

 ラガールは言葉に詰まる。

「私は昨晩、ラーナ殿下に会ってお話しました」

 リオンが思わず立ち上がる。

「本当ですか?」

「お姿は見ていないけれど……傘を差しておられるご様子だったから、化物にはなられていないと思うわ」

 壁を這っていた侍女に比べればだが。

 リオンをラガールが座らせた所で、レイシアは昨晩の事を一通り話す。

「記憶が混濁していると……」

「きっと最初はそうではなかったと思うの。目的……多分リオンに下賜したロハン様の形見に何かがあって、できればリオンに接触して返してもらおうと思っていらしたのではないかと私は思ったの」

 全員がカーテンに視線を移す。

「あれは……ロハンがラーナ様と結婚される際に、ラーナ様が贈られた品です。俺と婚約する時には、あの形になっていました。袖は……ラーナ様の衣に付けられていました」

「それ以上の事は分からないの?」

 リオンは俯く。

 レイシアは視線を周囲に投げてから言った。

「これは私の考えなのだけれど……ラーナ殿下の本来の目的は越境ではなくて、ここを通るリオンを待って、ロハン様の上着を返してもらう事だったのではないかと思っているの」

 レイシアの発言に、リオンが驚いて顔を上げた。

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