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波打ち寄せる世界を往く  作者: 川崎春
一章 法国編

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18/32

夜更け

 ラガールがため息交じりに言う。

「王族の式、それも千体を相手に戦うなど、不可能だな」

 レザンが頷く。

「雨が降っている内に、ラーナ様を見つけねばなりません」

「期限は?」

「もって三日かと」

「王国に使いを出すにしても……その時間では何も出来そうにないな」

 皆考えているのか重い沈黙が続く。濁った感覚も伴う。疲労だ。情報は出し尽くしたと感じたレイシアが言った。

「休息が必要ね」

 レイシアの言葉にリオンとレザンが反発する。

「こんな時に休んでいられません!」

「そうです」

「ダメよ。疲れは判断力を鈍らせるわ」

 リオンはまだしもレザンは酷い顔色だ。ラーナが城を出てから、休息らしい休息は取っていないだろう。もしかしたら、ラーナが居なくなる前からずっと。

「レザン、倒れてしまったら誰がここの指揮を執るの?」

「しかし……」

「お嬢の仰る通りだ」

 ラガールはレイシアに同意すると、リオンを見て悪い顔で笑う。

「レザンは休むべきだ。リオン、お前はまだ動ける。勝手に動くよりもレザンの伝令として動く方が良くないか?」

 はっとしてラガールを見た後、リオンが考えながら言った。

「それもそうですね。俺の顔は知られていますし……偶然会ったのは事実ですから、その方が都合がいい。情報を集めてきます」

 ラガールは頷いて言った。

「そちらは任せる。俺はベルネア商会の法都支部と連絡を取って来る」

 この地方一帯に降っている雨のせいで、法都との連絡魔法が使えなくなっている。雨の範囲を抜けて、連絡を取るのだ。

 ラガールはレイシアの方を見る。

「明日の朝までお待ちください」

 レイシアは頷く。

「私が今晩はこの宿を守るわ」

 ラガールは一瞬考えてから言う。

「分かりました」

 リオンも、すぐにレイシアの意図を理解したのか同じく頭を下げた。

「お願いします」

「あの、俺は一言もいいとは……」

 オロオロしているレザンは、リオンとラガールに連れられて部屋を出て行く。

「すっきり回復できる様に帝国式の魔法薬を試してみないか?」

「……あの暗い緑色の凄く長くかかる注射ですよね」

「注射ではない。点滴だ」

「何ですか?それ!え?」

 三人が騒がしく出て行くと、置物の様にじっと立っていたメルルとレイシアだけになった。

 レザンは「他国の貴族とその使用人」でしかないレイシア達に権限を委譲してしまった事になる。リオンとラガールに押し切られてしまったのだ。きっと法国から見れば良くない事だ。しかしレザンはそれを拒絶するだけの気力も判断力も無かった。それだけ疲れているのだ。

 そして……何故レイシアがここを護ると言っても誰も反対しなかったのか。

(王族が本気を出したら、誰が居ても同じなのよ)

 メルルが怯えるだろうから言葉には出さなかったが、王族とはそれ程に別格なのだ。魔法を使われたら最後、助けを呼ぶ事も逃げる事も出来ない。これは予測でも何でもない事実だ。

(結局王国に引き返すって話は出せなかったわ……)

 他国の王族の問題だ。これは異常事態でレイシアの手に負えない。そう思って逃げ出しても仕方ない状況だった。しかしレイシアは逃げなかった。ラガールやメルルは連れて戻れるかも知れないが、リオンは商会を抜けてでもここに残るだろう。疲れ切ったレザンも居る。置いて逃げるとは言えなかった。

 未だに逃げたい気持ちはある。しかしそんな事をすれば、一生後悔する。悪夢に苦しむ未来しか思い浮かばなかった。

 王国には転移魔法もある。レイシアもそれは使える。国境であるここならば、王国まで自分を含めて誰かを転移させる事は可能だ。しかしこの雨のせいで出る場所の座標が特定できないのだ。

(メルルだけでもお使いに出せたら良かったのだけれど……)

 雨は降り続き、何度確認しても雨粒に邪魔され、座標を探る魔法は途中で消えてしまう。

 これ程に危ない状況と言うのは、今までの平穏な暮らしとの落差が大きすぎて、逆に感情が追い付かない。そのせいか妙に頭が冷えている。レイシアは目の前のメルルを見る。

 青い顔色で、それでもいつも通りに振舞う彼女は状況の危うさを理解した上でここに居る。

 彼女は魔法を一切使えない。何一つ抗う術もなくここに居る。さぞや恐ろしいだろう。

 レイシアはこの旅で初めて平民と接した。屋敷の中まで貴族の使用人だったのだから当然だ。手際が良いので魔法の使える使用人と変らぬ動きで働いているが、相当な努力の賜物と言える。

「眠っていいわ。濃いお茶を淹れてくれたのでしょ?それで大丈夫よ」

「分かりました」

 メルルは素直に返事をすると、即座に側のベッドにブーツを脱いで潜り込む。

(お兄様は、人間と安定した始祖の能力を受け継ぐ子を作るのは上手く行かないって言っていたけれど……魔法の有無だけではないのかも知れない)

 愛する者が汚れた波に汚染され、化物になる。もしそんな事が起こったら耐えられる人がどれだけいるのだろう。

(知ってしまえば、対処できない者を妻に迎えたいとは思わない。そして妻には不貞の出来ない呪い。これでは汚れた波の入り込む余地が無いわ。……王国の結婚は執着由来と聞いたけれど、案外合理的に出来ているのね。いい気分ではないけれど)

 レイシアが考え込んでいると、横になったメルルがぽつりと言う。

「あの……怖いです。眠れません」

 メルルは年上なのだが、たまに自分よりも幼い部分がある。理由は聞いて知っている。

 王国を旅している途中、メルルの居ない場所でラガールは言った。

「メルルは帝国の出身です。気になったのでメルルについて詳しく調べました……。前のご当主である会長の厳命で坊ちゃんには話していません。しかし、お嬢には話すように指示されておりますので、心して聞いてください」

 メルルの父親は、帝国でも有名なベーカリーの職人だった。

 彼が二十五年前に考案した新しいパンのレシピは今では世界中で食べられている。レイシアもよく目にする、安価なのに冷めても固くなり辛いパンだ。平民では革命的なものであったらしい。しかし広まった原因に大きな問題があった。

 彼はベーカリーのオーナーの命令でこのレシピを秘匿していたが、情報が洩れてしまった。その原因は彼の助手にあったのだが、結局彼が全ての責を負い、ベーカリーを辞める事になってしまった。人の良い彼は若い助手を庇ったのだ。

 庇ったのだから実情は新聞には載らなかった。彼は画期的なパンのレシピをオーナーに逆らって広めた英雄として新聞で取り上げられた。……民衆には一時英雄として受け入れられたが、経営者にとっては問題のある職人と言う印象で長く覚えられる事になった。

 帝国では貴族しか店を所持できない。雇ってくれる店が無い為、メルルの父親は妻子を連れ、違う国で再出発しようとした。

 途中で妻を亡くしつつも王国までたどり着いたが、王国は彼を職人として扱わず小麦粉を運ぶ奴隷として酷使した。『紳士淑女の国』と国外で言われている王国に望みをかけて旅をしたのに、それは絶望に終わったのだ。

 ……あまりに酷い話で、レイシアはハンカチで目を拭う。

「どうして私にだけその話を?」

「会長は、ベルネア商会の後継はお嬢だとずっと考えていました。坊ちゃんは……国外の情報を知る必要はないと仰っていました」

 帝国で調べた情報をディランに与えない。つまりレイシアこそがベルネア商会の会長なのだと……父の厳しい遺言を受け取った事になる。

(お父様、分かっているわ。メルルはベルネア商会の従業員。私が守る)

 不安そうなメルルにレイシアは優しく言う。

「そうね。……では、私の過去の話をしましょうか。夜は長いもの。眠くなったら眠るのよ?」

 素直に頷くメルルに目を細め、レイシアは今から五年程前の話を語る事にした。

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