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波打ち寄せる世界を往く  作者: 川崎春
一章 法国編

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王妹ラーナ

「何か分かったの?」

 レイシアの言葉に、ラガールはぽつりと言う。

「探されているのは王妹のラーナ殿下で間違いない様です」

 リオンは、法国の誰かを探して走って行ってしまったらしい。

「さっきの……」

「王族ではありますまい。弱過ぎる」

 雷撃で倒せるほど王族は弱くない。

「そうね」

(それに……姫様自身は姫様って言わない)

 多分、側仕えの女性だろう。ただレイシアの知る女性は壁を這いずったりしない。嫌な音を思い出し、眉根に皺が寄る。

「殿下は見つかっていないの?」

 レイシアの言葉に、ラガールは頷く。

「これから、どうすればいいかしら?」

「まだ細かい情報がありません。こちらでお待ちください。私は下で警戒しておりますので何かあればお声掛けを」

「分かったわ」

 一礼してラガールが出て行くと、メルルが震えながら言う。

「ラガール様の話は本当です。私も汚染された、それも貴族に遭遇するなんて初めてです」

(汚染……)

 レイシアが考えているとメルルが言う。

「目くらましの強化はできませんか?」

「できないわ」

 カーテンにかけられた魔法は異国の物である上に恐ろしく強かった。

「重ね掛けとか、無いんですか?」

「布が裂けちゃうかも」

 魔法の重ね掛けは、かける物の強度を落とすのだ。

「お嬢でもダメですか……」

 メルルは嘆く。

 布には美しい魔法が張り巡らされている。レイシアには読み解けなくても分かる。とても緻密で美しいものだと。

「ところで、凄く良い生地なのだけれど……本当にカーテンなの?」

「リオン様からは詳しいお話は聞いておりませんが、本来は上着であった物を形見分けで頂いたそうです」

「形見分け」

 誰の?それを思った瞬間、レイシアは顔が強張った。

「リオン様は、自分が袖を通す訳にはいかないとおっしゃって……しかし故人の事を忘れたくないからと」

「それでカーテンなのね」

「はい。いつも使用すると宿を出る前に傷みがないか調べ、油紙で丁寧に包んでおられます。私は荷物の中では一番価値のあるものと考えております」

「間違っていないわ」

(……これは王族の魔法。異国人の私でも分かる)

 レイシアは目を凝らしてカーテンとなった衣を見据える。

 かけた人の感情や願いは強い。異国人のレイシアにも分かる程に。……誰かを強く想い、その身を守りたくて作ったのだ。

(手を加えたら、呪われてしまいそう)

「メルル、リオンの形見であるなら勝手に手を加えられないわ。先に教えて頂戴な」

「そこは、お嬢の魔法なら上手く誤魔化せるのではないかと……」

 メルルは尻すぼみに言い訳をする。

「魔法は芸術なの」

 レイシアは続ける。

「お兄様が強い魔法を使えるのは、お兄様が芸術に造詣が深いから。法国は美しい文字で、帝国は数字で、そして我が王国は図形で……魔法を芸術の域に高めているわ」

「初めて聞きしました」

「メルルに見えているよりも多くの物が私達には見えているの。貴族の目は特別なのでしょうね。私にはあの布の魔法は、国宝級に見えるの。手を加えて欲しいと頼まれて、あなたできる?」

「無理です!」

 メルルは焦ってアワアワしながら言う。

「そういう事よ。安易に魔法の重ね掛けなんて言ってはダメよ。自分の魔法を大事にしている貴族にとって、他人の上書きは侮蔑に近い行いだから」

「申し訳ありません。とても怖かったもので……」

 少し涙目のメルルの言い分も分かる。確かに怖かった。

 レイシアは話題を変えたくて、笑顔で言う。

「お茶を淹れてくれる?少し落ち着きましょう。ラガールが居てくれるのだから、大丈夫よ」

「はい」

 レイシアが魔法でポットにお湯を作り出し、それをメルルが淹れる。二人で座ってゆっくりと飲む。暖かいお茶で体が少し温まるだけで体の力が抜ける気がした。

「さっき……外の方は姫様許してって言ったわ。ラーナ殿下よね?」

「恐らくは」

「何があったのかしら。……カーテンが分厚かったから、姿は見えなかったわね。何なのかしらこの気持ち。もどかしいのに深く考えてはいけない様な」

「分かります。怖いから見たくないのに、見えないのも怖い」

「それだわ!」

 震えて青ざめていたメルルの頬に血の気が戻った。レイシア自身も少し元気になってきた。

 一人で思考の淵に沈んだら、恐ろしい事しか考えない。メルルとの対話がレイシアには必要だった。

「私、汚れた波について殆どしらないの。メルルは知っている?」

「私も詳しくは分かりませんが、ラガール様達から常々注意を頂いております」

 メルルは少し震える声で言った。

「貴族の方々と違い、人間は一瞬で汚染されてしまうので怪異に近づいてはいけないと」

「怪異ってさっき、物凄く近くに居たわよ?」

 窓を隔てて数歩先に女は居たのだ。

「だから、もう助からないって思っていました。生まれて初めてです」

「私もよ」

「それで、助からないって死んでしまうの?」

「汚れた波の怪異で変化した人は化物になって元に戻れないとされています」

「だから助からない?」

「……はい」

 壁を這いずり、あり得ない音を立てていた。悲し気な声は、まるで現状を拒む様だった。多分、信じられない状態へと成り果てた己を認められなかったのだ。壊れてもそれを認識していたからこそ……

『ゆるしてぇ。ひめさまぁぁ』

 世界の外からの浸食と主への懺悔。レイシアの中ではそれが結びつかない。

「ところで私達はどうして助かったのかしら」

「……わかりません」

 ディランは『汚れた波』について、レイシアに教えたが、概要しか分からない。

(ラガールにでも聞いてみるしかないわね。怖いけれど)

 レイシアは窓にかけられたカーテンを見るともなく見る。まだ雨は降り続いていた。


 レイシアの見るカーテンの先、窓の下。

 泥だらけの重い足を引きずる様に宿に戻ってくる者が居た。リオンだ。

 二年前、法国貴族の位をはく奪された彼はベルネア商会で平民として働いている。

 リオンの家は、法国の祭家と呼ばれる四季の名を冠する家の内の一つ、冬家の分家だった。リオン・トウ。それが貴族だった頃の名前だ。四家には分家が十から三十程あり、法家貴族の社会はこれで成り立っている。本家は分家に仕事を割り振る。

 リオンにとってラーナは忠誠を誓う護衛対象であって恋愛対象ではなかった。彼女が思いを寄せていたのは、秋家のロハン・シュウだった。

『ロハンは何処?』

 ロハンを探すラーナについて歩くのがリオンの日常だった。

『ラーナ様、またこんな所に侍女もつけずに』

 呆れた様に言うロハンは、柔らかい笑みを浮かべている。

『リオンが居るわ』

『こいつは男で護衛です。リオン、ラーナ様が日焼けするから日傘くらいは持てよ!』

『日傘をさしていたら、とっさに対応できない』

『朴念仁め!』

 優しい、優しい思い出。友人と姫の笑い声。それだけあればリオンは何もいらなかった。

 ロハンは城で暮らしていたが、成人してから前法王の指示で法都の警備隊に所属し、城には居なかったからラーナは会う為に度々城下に出ていた。その姿は美しく軽やかで、民衆の人気は高かった。

 幼馴染の二人が結婚する。それはリオンの喜びだった。民衆も貴族達も慶事とし反対する者は居なかった。

 幸せになる事を信じていた。法国はこれからもこのまま続くと信じていた。しかし、その幸せは唐突に崩れ去った。

(どうにもならない過去の話だ)

 分かっているのに、気づけば過去を思い出している。リオンは過去に囚われたままだ。

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