越境の呪い
「リオン様」
付いて来た一人の男が声をかけてくる。
彼の名はレザン・カ。リオンが居なくなった後、ラーナの護衛をしている夏家の貴族。リオンにとっては同じ師に武術を習った弟弟子に当たる。
「こっちだ」
リオンに呼ばれ、レザンは近づいて来る。
レイシア達の居る部屋の真下、黒焦げの何かがそのままになっている。ラガールの上着ではなくシーツが被せられている。シーツをめくり、黒焦げのそれを見せるとレザンは息を呑んだ。炭化を免れた皮膚の傷に視線が注がれている。
「カリンです。二の腕のこの傷はカリンの父親が付けた物で……手当を見ていたので覚えています」
「そうか」
カリンは、レザンの従姉でラーナ付きの侍女をしていた。夏家の分家の娘だ。
リオンが護衛をしていた頃からラーナと一緒に居た。リオンは無口な方なので、長年一緒に居たが話をした事は殆ど無かった。差し入れをもらって礼を言う程度の間柄だ。
「これは、帝国の魔法ですか?」
リオンは頷く。ラガールはかつて帝国侯爵であった。その強さは折り紙付きで、帝国の外でも凄まじい威力の魔法を高精度で使用する。彼が何故爵位を捨ててまで国外に居るのかと言う理由を聞いて、リオンは心底彼に同情した事を思い出す。
(あえて炭としたのは、女性である事を分かってのご温情だろう……)
ほぼ裸と言う姿で若い女性が人の姿を失いかけていた。その姿を隠す為、ラガールはあえて炭化するまで焼いたのだ。
「苦しまなかったと思う」
「ありがとう、ございます」
食いしばった歯の隙間から出るレンの言葉は、己の不甲斐なさと泣き叫びたい衝動を抑え込んでいる様に見えた。
「姫の行方は?」
レザンは首を左右に振る。
「……何があったのだ?」
リオンの問いにレザンは俯く。ラーナの警護をしていたのは彼だからだ。
「城の人手が足りなくて……父達と今後の防衛の相談をしている間に……突然城に波が」
雨なのか涙なのか……レザンの頬を水滴が伝っていく。
リオンは呆然としてレザンを見る。
「ロハン様もリオン様も居なくなり、姫様は心を閉ざしてしまわれました。俺の出来る事など限られていて……」
レザンの血を吐くような言葉に、リオンはただ謝る事しか出来ない。
「許せ。辛い思いをさせた」
レザンはすすり泣く。
「今から、俺の主の元に行こう。今後の為に今の状況について教えて欲しい」
今、リオンが何処に身を寄せているのかは、レザンも知っている。
「ベルネア侯爵家……」
「そうだ」
貴族籍を返上あるいは失った貴族達が集い、周辺各国に情報を届ける役目を担える世界で唯一の家系。先日、当主が亡くなったという話があったばかりだ。だとしたら新たな当主がこの地に居る事になる。
レザンはベルネアの前の当主を知っている。茶目っ気のある好々爺だった。酒の席で、優し気な貴婦人の描かれた小さな絵を見せてもらった事がある。絵の女性は自分の妻で描いたのは息子だと言って。
防御と不幸避けの魔法が付与されていると言っていたが、それはレザンにも見えた。……万華鏡の様な繊細で緻密な魔法は、当主が自慢するのも頷ける素晴らしいものだった。
(あの魔法を作る方が今ここに居る)
レザンは縋りたい気持ちが強くなった。
「ついてこい」
リオンは静かに告げた。
リオンの背中を追いながら、レザンは歩き始めた。
宿の入り口付近にラガールが立っていた。
「リオン、そちらは?」
「ラーナ様の護衛です」
ラガールは、すぐに法国式の挨拶をする。
「お初にお目にかかります。私はベルネア商会警備部が一人、ラガールと申します」
レザンは同じく挨拶を返す。
「ご丁寧にありがとうございます。レザン・カと申します」
挨拶が済むとレザンは早速言った。
「実を言えば今の状況は深刻でして、こちらは手詰まりになっております。そこでベルネア商会のお知恵をお借りしたいと思っております」
ラガールが視線をリオンに移すと、リオンが頷く。
「俺よりも下と言う扱いで構いません。ラガール様に敬語を使われてはこれも落ち着かないかと」
「そうか。ではそうさせてもらおう」
レザンがほっとした顔をすると、ラガールは言った。
「今回は法都にベルネア商会の新しい会長をお連れする為に法国入りをしたのだが、今回の事でこちらも戸惑っている」
「申し訳ありません。ご子息は継がないと通達がきておりましたが、気が変わられたなら僥倖です」
「いや……継がれたのはご息女の方だ」
レザンが一瞬きょとんとした後、目を見開く。
「……貴殿と変わらぬ年齢の令嬢だ」
レザンの落胆の表情に気付き、ラガールは獰猛な笑みを浮かべて続ける。
「意外であろうが侮ってはいけない」
令嬢育ちの女性が、商会を運営しながら各国の連絡役をするというのはレザンには想像できなかったが、ラガールがレザンの表情から主を侮蔑されたと思い、不快に思っている事は明らかだった。
「令嬢育ちで慣れない旅に出されたにも関わらず、体調も崩さず苦言の一言も無い。更に言えば、魔法に於いても非常に優秀であられる」
リオンもラガールの言葉に頷いている。威圧感が凄まじい。
「そうですか……」
何も言っていないのに謝るのもおかしいので、レザンはそう言うしかない。
(女傑なのだろうか)
レザンがそう心構えをして会う事になったのは……平凡な若い女性だった。ベルネア商会の上等な制服を着ているだけ……と言う印象しかなかった。背後に控えている愛らしい侍女の方が令嬢で、万一に備えて立場を入れ替えているのか。レザンがそう思う程だった。
リオンが紹介を始める。
「お嬢、法国の貴族のレザン・カです」
「レザン・カと申します」
王国の礼儀で挨拶されたので、レイシアは同じくそれで返す。ただ名乗って良いのか分からないレイシアは、困ってリオンの方を向く。
リオンが頷いたので、レイシアは名前を口にした。
「レイシア・ベルネアと申します」
言霊魔法を使う法国の貴族は、相手の嘘をある程度は見抜ける。
(この方がベルネア侯爵令嬢だ)
レザンは驚きを表情に出さない様に気を付ける。
「我々はお嬢と呼んでいる」
リオンの言葉で察したレザンは即答した。
「では、俺もその様にさせていただきます。俺も事はレザンと呼び捨てて下さい。敬語も不要です」
紹介が終わると、今回の状況についての情報交換から始める事になった。
「法国の汚れた波への防壁は、ほぼ無力になっていました」
レザンはちらりとリオンを見てから、気まずそうに言った。
「二年前まで、法国の汚れた波に対する陣頭指揮はロハン様とリオン様のお二方が執られておられました。しかしロハン様がお亡くなりになり、リオン様も貴族籍を抜けられてしまいました。引退した俺の父が復職して指揮を執っておりましたが、人手が足りず城内への波の侵入を許してしまいました。その際にラーナ殿下は巻き込まれ……そのまま城を出られてしまいました」
「城を出られた理由は?」
「分かりません。……探知と卜占で方角が分かりました。越境は何としてでも阻止せねばなりませんでした」
「それで雨か」
リオンの言葉にレザンが頷く。
「成程……貴族の無断越境は一族が衰退するだけだが王族となれば国が滅ぶな」
ラガールの言葉にレイシアが驚いていると、気づいた彼はレイシアに視線を向ける。
「越境制限を破った呪いってそういうものなの?」
「そうです。貴族には汚れた波を防ぐという義務があります。貴族が手続きもなく越境する事は、魔族からすれば義務の放棄に見えるのです。その責は同じ始祖を持つ同族に降りかかります」
ラガールの話では始祖が一族を見放し、新たな者に加護を与えるという。
「見放された一族は、膨大な魔法を使用するのに寿命を使う様になります」
「魔法は消えないの?」
「はい。短命となりやがて断絶します。呪いですから」




