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惟神-mors-  作者: イヲ
12/18

記憶

 彼の人生にはもう迷いなど無い。……記憶の中にしか彼の姿はなくなってしまった。





「斎王」



 漆黒の瞳が開かれる。


「命拾いしたな」


 真っ暗な部屋の中、嫌に彼の白髪が目立った。口元はやはり何時ものとおりに皮肉に吊り上っている。


「やはり、行くのですか」

「それが如何した。止めるのか?」


 斎王は瞳を伏せ首を振った。

 其の時、暗く狭い部屋の中からもう一つの影が揺れ、規則的な寝息が聞こえる。


「…呉羽に感謝するんだな。あれがいなきゃアンタは死んでた」


 それだけ言うと惟神は膝を浮かせ扉へ手を掛けた。


「倭姫様を」


 痛みに耐えるように、搾り出した声で――。


「……やはり、殺しにゆくのですか」


 振り返った彼の顔はやはり不愉快そうだが、其の中にはまた疲れたような、そんな表情をしていた。


「……俺はその為に生きている」


 ふ、と。不愉快そうで、疲れたようなそんな表情が消えた。


「そう悪くない人生だったさ」


 ひどく自嘲的な笑みを浮かべ

 そう、

 呟いた。


 



 私は愕然とした。

 今から彼がすることを、しようとすることを分かってしまったから。


 しかし私には止める術を持たない。

 いや、持てなかった。

 彼の覚悟は相当なもので、もう、彼を止めることが出来るのは――誰も、いないだろう。




「…最後に言っておく」


 奇妙に燻っている瞳が斎王を見下ろした。


「忘れるな。俺は悪で御前が正義だということを」


 何回も何回も言われてきた言葉。やっと、頷くことが出来た。これが彼の望んだことだろうから。

 其れを見届けてからか、彼の姿は暗闇へと消えていった。




 もう、彼と会うことは出来ないだろう。

 しかし其れで良いのだ。


 彼が、そう望み選んだ道なのだから。


 だから後悔してはいないのだろう、と。


 そう、彼が出ていった暗闇を見つめながら思った。







 暗闇の中にぼんやりと、堤燈のような光が見える。



 ……見慣れた其の光。


「おや。どうしたのさこんな時間に」


 心地の良い声。


「今夜も一杯やるかい?」

「いや」


 堤燈に照らされた彼女の顔は普段どおりの笑みで、出来るだけ見ないように俯いた。

 沈黙が流れる。

 長く感じる其の沈黙はやはりか、彼女から破られた。


「……行くのかね」


 彼女の表情を見ることが出来ないまま


「別に……家に帰るだけだ」

「……そうかい。気をつけてな」


 そのまま彼女は足を1歩踏み出し、惟神に背を向けた。


「――……」


 自分の下手な嘘を彼女は信じたのだろうか。どちらにせよ、其れが安心したということは事実で――其の時後ろから自分の名を呼ぶ声が聞こえた。



「惟神。おまえさんと酒が飲めて楽しかったよ」



 またあの優しい笑みで

 そう、言った。


「……ああ」

「もう少し、上手な嘘をつきなよ」

「そうだな」



 今度はこちらから足を一歩、踏み出す。




 引き返せない。

 後悔しない。

 たとえ、この先狂気しか残っていないと分かっていても。



 愚かな姫、倭よ。

 御前の命と引き換えにこの命、くれてやろう。

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