声と音
声さえあれば音などいらない
音さえあれば声などいらない
人の死にはふたつの種類がある。
意味の在る死と意味の無い死
御前は意味の在る死を選らねばならない。全てを拒絶し背徳となれ。
眼醒めれば辺りは闇に呑まれていた。
未だ痛む頭を傾ければ見事な夜桜が目に入る。ぼんやりした視界に浮かぶ桜はなんとも奇妙なものに見えた。
其れに気を取られていたのか。
古い家の奥から人の気配がするのに気付かなかった。いつもなら眠っていても神経を尖らせていればすぐ気付くはず。
耳をすませば確かな物音がする。
息を殺し音が出ぬよう、音のする方へと足を向けた。
自然と眼が厳しくなる。
盗人ならばすぐにでも役所へ放りこんでやる、イラついた頭のどこかで思う。
そしてほの暗い部屋の奥に人影がちらり、と見えた。
懐にいつも仕舞ってある短刀をその首筋に当てる。
「誰だ」
「……」
肩を掴み、逃げられない様にする。だがその感触は慣れないようなものだ。
其れは触れることすら滅多に無い――女の。
「御前……女か」
そう呟くと其の女はクク、と肩を震わせて笑った。
「やれやれ。やっと起きたかい。坊主」
何処かで聞いたことのあるような声だった。
靄がかかって分からない。だが確かに何処かで聞いたのだ。
「御前さんとは酒屋で会ったろう?不如帰だよ」
短刀を持つ手が少し緩んでしまった。思い出した。あの、酒屋で三味線を奏でていた女だ。
だがそんなことはどうでも良い。
惟神は女という人種がどうも苦手の分野に入るらしく、声が出なくなってしまった。
「何故ここにいる」
短刀を女の首に押し付けたままようやく問うと、またも女は肩を震わせて笑ってみせた。
「折角アンタに届け物を持ってきたというのにねぇ。私の首にあるその物騒なモン、仕舞っておくれよ」
どうやら敵意はないらしい。短刀を鞘に納め、再び懐に仕舞う。すると女は後ろを向いていた身体をこちらへ向け、手に持っていた布袋を惟神の手に放り投げた。
「酒屋の主人がね。アンタが何時も余計に勘定渡すもんだから其の分の金だよ」
「……なんであんたが来るんだ」
布袋に眼を落としながら呟く。
「さァね。酒屋の主人にゃ贔屓にしてもらっているからさ、引き受けただけだ」
「そうかい。……用が済んだならさっさと出てってくれ」
布袋を握り締めながら立ちあがる。
揺れた其の白い髪の間から何とも言い難い……奇妙な光が燻っていた。
「まあ、ちょっとお待ちよ。お前さん、女の扱いがなれてないねぇ」
訝しげに眉をひそめる惟神に何処からか酒瓶を渡した。
「こんな夜道に追っ払う気かい?夜桜でも見ながら花見といこうじゃないか」
女性経験は全くと言って良いほど無いものだから、惟神は女に対してどのような態度で接したら良いのか分からなかった。
女という生き物はこんな強引だっただろうか。
惟神は意識しない内に頷いてしまったらしく気付いたら不如帰に酒を注がれていた。
「まあ、遠慮しないでお飲みよ」
そう言う隣に座っている女の言葉に只頷くしかなかった。
「まあまあ。良く見ると見事な夜桜だこと」
「ああ。あれはもう何百年も生きている」
初めてまともな答えが返ってきた事に驚いたのか不如帰は惟神を凝視した。
「俺の何代も先のご先祖が植えた木だ」
「そうかい。……ところでつかぬ事を訊くけれども、御前さんの両親は如何した?」
惟神の顔が一瞬歪む。だがそれでも口を開いた。
「…死んだよ。倭に殺されたのさ」
「倭? 倭姫のことかい?」
注がれた酒を一気に飲み干しながら微かに頷く。
「前にも訊いたな。『御前、倭を如何思う』」
桜に目をやっていた惟神が初めてまともに不如帰へと視線を移した。
其の表情は何処と無く疲れたような。
「……何とも言えんね。そんなこと考えた事も無い。私は只の芸者。倭が如何とか興味は無いのは認めるさ。私は只々、毎日客の接待をして客に演奏を聞いてもらって……こうやって酒を飲んだりしてりゃ私はそれで良い」
不如帰がちらりと惟神を見ると視線は桜へと戻っていた。
「……そーいう生き方も、良いかもしれねぇな……」
誰に言うでもなく呟く。
惟神には不如帰に対し『羨ましい』そんな感情を抱いた。
だけど、其れは出来ない。
只々憎むことでしか『生きているということ』を実感できない愚かな自分は。
「なぁに。生き方なんぞ人それぞれさ。御前さんは自分が正しいと思うことをすれば良い。それが一番良いよ。間違った道でもな、後悔はせんさ」
「…伊達に年くってねぇな」
「何言うんだか。マセガキが」
いきなりの言葉に惟神をひと睨みしようと目をやる。男の其の表情は先刻と全く違う。
皮肉った顔だが、笑っていた。
「へぇ、御前さん案外可愛い顔してんじゃないか」
こちらもそれにつられてか笑ってしまう。
「……五月蝿ぇ」
「おやおや。まだまだガキだねぇ」
酒のせいもあるかは分からないが、少し赤くなった男に酒を注ぐとまた一気に飲み干した。
何故だろう、この声はひどく心地良いものに感じられる。
良い気分だ。
例え神殺しの一族は、もう滅びるしかないと理解しても
例えもう、生きられる日々が少ないことが分かっているとしても。
これからどんな事があっても、もう後悔などしないだろう。
この心地の良い声と音に出会えたのだから。




