仕掛け人の微笑み
前菜から始まり、魚介の旨みが凝縮されたスープカレー、絶品の鹿肉料理、そして最後のショートケーキに至るまで、すべての皿が完璧に供された晩餐会。
広間を満たしていたのは、贅沢な美食と極上の酒がもたらした、温かく満ち足りた空気だった。
ノースシーロード王国の使節団を率いるノボリベッツ侯爵は、手元のデザートの皿を綺麗に平らげると、満足げに深い息をつき、テーブルクロスの上で大きく腕を組んだ。
「いや、参った……。まさかイースティア王国にこれほどまでの腕利きがいるとはな。前菜から最後の菓子まで、どれをとっても文句のつけようがない」
豪快に笑うノボリベッツ侯爵のその表情には、イースティア王国側への心からの敬意が浮かんでいる。
彼はふと満足そうな余韻に浸ったあと、横に控えるイースティア王国側の重鎮たち――ジークフリート殿下、アルスター公爵、そしてハギムーン侯爵を見回し、やおら姿勢を正した。
「一つ、どうしても頼みがある。これほどの腕を持つ料理長に、直接『美味かった』と伝えておきたい。……厨房の責任者を、ここに呼んでもらえないだろうか?」
その突然の指名に、ジークフリートたちは「おや」と顔を見合わせたが、アルスター公爵がすぐに頷いて側近に目配せをする。
「構いませんとも。自慢の料理長を呼んでまいりますので、存分にその腕を称えてやってください」
数分後、重厚な扉が静かに開き、招かれて広間の中心へと歩み出てきたのは、この日の料理を総指揮した料理長・レイブンだった。
精悍な面持ちのレイブンがピシリと背筋を伸ばして一礼する。
「お呼び出しにあずかりました、料理長のレイブンにございます」
ノボリベッツ侯爵はガシッとテーブルに手を置き、真っ直ぐな視線をレイブンに向けた。
「よく来てくれた、レイブン殿! 今宵の料理、一品残らず絶品だった! 特にあのスープカレーだ。
イカやタコの出汁をあそこまで完璧にスープに溶かし込み、根菜の甘みとスパイシーさを両立させるなど、我がノースシーロード王国の料理人顔負けの腕前だ」
「もったいなきお言葉にございます」
とレイブンが恭しく頭を下げる。
しかし、ノボリベッツ侯爵はそこでふと目を細め、どこか探るような、しかし興味津々な笑みを浮かべた。
「それでな、一つ聞かせてほしい。あのスープカレー、我が国で大流行している『麺を入れる食べ方』を、なぜあんたはあらかじめ知っていた? まるで、我が国の食文化の好みをすべて見透かされていたようだったが……」
広間の視線が一斉にレイブンへと集まる。ジークフリートやアルスター公爵も、実は内心気になっていたといった様子で耳を傾けた。
しかし、当の料理長であるレイブンは、まったく動じることなく、むしろ当然と言わばかりに首を横に振った。
「いえ、ノボリベッツ侯爵。過分なお褒めにあずかり恐縮ですが……実は、あのスープカレーのスパイスの配合から、替え玉用の麺の準備に至るまで、すべての発案と段取りを考えたのは私ではありません」
「なに? ではいったい誰だ?」
レイブンは少しだけ誇らしげな笑みを浮かべると、テーブルの脇で静かに控えていた一人の人物へと視線を向け、はっきりと告げた。
「我が迎賓館の――ヘッドオブサービスであるイチカです。あの采配のすべては、彼女が一人で考え、実行したものにございます」
瞬間、広間の視線が一斉に、その場に控えていたイチカへと集まった。
「ほう……!」とノボリベッツ侯爵が目を見開き、アルスター公爵やジークフリート殿下も「なるほど、イチカか」と納得の表情を浮かべる。
注目を一身に集めることになったイチカは、慌てる様子もなく、凛とした美しさを湛えたまま一歩前に出て上品に一礼した。
ノボリベッツ侯爵は感心したようにどっと笑い声を上げ、身を乗り出した。
「スープカレーに麺を入れるという我が国の流儀まで、なぜ君はそこまで完璧に先回りできたんだ? まるで我が国の胃袋をすべて覗かれていた気分だったぞ」
温かい熱気が帯びる中、イチカはふっと柔らかな笑みを浮かべ、落ち着いたトーンで答えた。
「お褒めの言葉、光栄に存じます。……スープカレーにイカやタコ、そして根菜を合わせることで最高の美味が生まれること、そして北の地でそれが大流行している名物であることまでは、事前に文献や情報収集から把握しておりました」
イチカはそこで一度言葉を切り、少し茶目っ気のある笑みをのぞかせる。
「ただ……『麺を入れる』という最後の仕上げの流儀については、私自身も確信があったわけではありません。あくまで『もしや北の男たちは、このスープに麺を合わせたらさらに喜ぶのではないか』という直感に過ぎなかったのです」
「直感、だと?」
「はい。ですから、確証こそありませんでしたが、万が一を想定して厨房のスタッフには内密に極上の替え玉用麺を準備させ、お二方の会話の流れをその場で聞き取り、絶妙なタイミングで差し出すよう指示いたしました。侯爵様と使節団の皆様に喜んでいただけたのであれば、準備した甲斐があったというものです」
その完璧すぎる先回り力と、圧倒的な機転の利いた回答に、ノボリベッツ侯爵はしばらくポカンとしたあと、やがて腹の底から大笑いした。
「ハハハハハ! 最高だ! 確信がないからこそ、万全の準備をしておいて土壇場で形にするか! いや、恐れ入った!」
テーブルの周囲からも、使節団の男たちから「見事だ!」「まさかそこまで先回りされていたとはな!」と次々に賞賛の声が上がる。
イースティア王国側の重鎮たちも、自慢のヘッドオブサービスの鮮やかな手腕に、誇らしげな笑みを浮かべて頷いていた。
国家の未来を左右するシリアスな通商会議の前に、美食と温かなホスピタリティを通じて、両国の心が一気にひとつに結ばれた夜となったのだった。




