北の荒海を越えて
潮風がブルーフォレスト港の桟橋を激しく叩く。
ツガール海峡の荒波を越え、ノースシーロード王国の巨大な三本マストの大型帆船が、白い巨体を揺らしながら見事な舵さばきで滑り込んできた。
風を孕んだ帆が力強く巻き上げられ、タラップが下ろされる。そこに現れたのは、もふもふとした毛皮の外套に身を包んだ、いかにも豪放磊落といった体躯の男だった。
「おぉ、ここがイースティア王国の『ブルーフォレスト港』か! 潮の匂いが我が領のトマコーマ港とはまた違うな!」
豪快な笑い声を響かせながら降り立ったのは、ノースシーロード王国の実力者、ノボリベッツ侯爵その人であった。
北の大地・トマコーマ港から荒れ狂う海峡を帆船で渡ってきた使節団は、武官や通商担当の重鎮を含めて総勢七人の精鋭。
いずれも過酷な寒冷地と海の男たちを束ねてきた猛者ばかりであり、港に集まったイースティア王国側の役人たちが思わず息を呑むほどの威圧感を放っている。
そんな強敵を迎えるイースティア王国側からは、王国の代表として凛然と立つジークフリート殿下、そして王都から馳せ参じた通商政策の重鎮であるアルスター公爵と、地元有力諸侯のハギムーン侯爵の姿があった。
「よくぞいらっしゃいました、ノボリベッツ侯爵。長旅の航海、さぞやご苦労だったでしょう」
ジークフリートが毅然とした笑みで歩み寄り、がっしりと握手を交わす。
それに続くように、王都より赴いた通商の重鎮・アルスター公爵が重みのある笑みを浮かべ、ハギムーン侯爵も鋭くも友好的な視線を向けた。
ノボリベッツ侯爵は豪快に鼻を鳴らす。
「ははは! トマコーマの冷たい潮風に比べれば、この地の風は温かいものだ。……それにしても、王都からわざわざアルスター公爵殿まで出向いてくれるとはな。噂に聞く『ムーツ領の温泉迎賓館』の設えといい、イースティア王国側の本気度が伺えるというものだ」
後ろに控える真面目そうな書記官が、ピシリと背筋を伸ばして頷く。
その堂々たる歓迎の空気に、場の緊張感と互いへの敬意が絶妙なバランスで満ちていく。
数台の馬車に分乗した使節団は、港から一気に内陸のムーツ領へと駆け上がった。
そして到着したのが、湯煙立ち上る極上の温泉迎賓館である。
館内へ足を踏み入れた使節団を待っていたのは、長旅の緊張を優しく解きほぐすためのウェルカムドリンク――美しく黄金色に輝くアップルシードルだった。
グラスの縁に水滴をまとった冷たいシードルが手渡され、ノボリベッツ侯爵が豪快に喉へと流し込む。
「――っ、これは……! 爽やかな酸味と心地よい泡が、荒海の潮気で乾いた喉にたまらん!」
芳醇なリンゴの香りと微発砲の喉ごしに、屈強な使節団の男たちからも次々と感嘆の声が漏れる。
後ろの書記官もうっとりとした表情でグラスを見つめていた。
リンゴの甘酸っぱいウェルカムドリンクで喉を潤したあと、使節団は案内役の侍女たちに連れられ、いよいよ館内の大浴場へと足を向けた。
湯気立ち込める広大な大浴場に足を踏み入れた瞬間、ノボリベッツ侯爵をはじめとする使節団の面々は、あまりの贅沢な造りに目を見張る。
荒海を帆船で渡り続け、凍りつきそうになっていた筋肉や関節が、源泉から立ち上る心地よい熱気だけでじんわりとほぐれていくようだ。
「……ほう。見事なものだな。この圧倒的な湯量は、我が領の温泉郷にも引けを取らんぞ」
服を脱ぎ捨て、贅沢な源泉掛け流しの湯へと体を沈めた男たちから、一斉に盛大な「ふぅ……」という脱力が混じった歓声が漏れた。
冷え切った芯から温まり、長旅の疲れや航海の緊張がみるみるうちに溶けていく。
すっかり心身ともにリフレッシュされた使節団は、明日からの本格的な通商会議、そして今宵に控える盛大な晩餐会に向け、万全すぎるコンディションを整えていくのだった。




