給仕長への道とセレナの受難
前夜の晩餐会リハーサルを終えた翌朝。
イチカは、アルスター公爵夫人エオノーラから、いよいよ本番の外交会談に向けた「給仕の最高責任者」としての心構えと実務教育を受けることになっていた。
部屋の隅で、イチカの護衛兼メイドとして控えていたセレナは、その言葉を聞いた瞬間、思わず「ぴくり」と激しく反応した。
(――き、来た……っ!)
セレナの脳裏には、以前自分が受けた悪夢のような記憶が鮮烈に蘇る。
『姿勢が少し右に傾いています……』
『笑顔はもっと優雅に……ですが目が据わっていますわ』
『お盆の上のティーカップを一滴たりとも揺らしてはなりません……』
(あの一歩間違えば精神が崩壊しかねない、エオノーラ様の側仕えたちによるあの地獄のスパルタ・プログラムを……! あの愛らしくてか弱いイチカ様が耐えられるわけがない! 壊れてしまう……私の尊いご主人様が、あの修羅の群れに引き裂かれてしまう……!)
冷や汗を流し、今にも飛び出して身代わりになろうと身構えるセレナ。
しかし、そんな彼女の心配をよそに、教育係として現れたエオノーラ夫人の側近メイドは、イチカの立ち居振る舞いやリハーサルでの采配を一目見るなり、驚愕に目を見開いた。
そして、深々と一礼してこう告げたのである。
「――お見事でございます、イチカ様。さすがは元公爵子息の婚約者様。身のこなしから賓客への配慮、給仕の動線把握に至るまで完璧に洗練されております。私たちからお教えすることは……正直、何一つございません」
「え……? 本当ですか?」
「はい。すぐにでも給仕の最高責任者としてお立ちいただけます」
(……は? 終わり……? あの地獄の特訓は……?)
拍子抜けするどころか、あまりのスピード解決にセレナが呆然と口をぽかんと開けていると、側近メイドはスッと視線を移し、冷徹に微笑みながらセレナへと近づいてきた。
「ですが――」
側近メイドの目が、ゾッとするほど鋭く光る。
「『給仕の最高責任者』であるイチカ様を一番近くで支え、護衛兼メイドとしてその傍らに立つ者が、あの程度の立ち居振る舞いでは到底務まりませんわね。
イチカ様の品位を汚さないためにも、側近であるあなた――セレナ。あなたには、最高責任者の護衛にふさわしい『同等のレベル』になってもらいます」
(……は……?)
「さあ、セレナさん。基礎はお済みでしょうから、今日からはさらにハイレベルな『国賓を魅了する宮廷護衛メイド洗練プログラム』を開始します。
覚悟はよろしくて?」
「ひ、ひぃぃ……っ!?」
拒否権など最初から与えられていない。
イチカの教育は「教えることなし」の一言であっさり終了したものの、その代償として、とばっちりをまともに食らったセレナの絶叫が、迎賓館の廊下に虚しく響き渡るのだった。
(助けてルナ……私、またあの修羅の群れに連れていかれる……!)
遠い目をしたセレナは、心の中で愛おしい子グマの名前を呼びながら、再び地獄のスパルタ・プログラムへと引きずり出されていくのであった。




