奇跡の焼き立てパンと、頑固者の絶句
リンゴ酵母液がシュワシュワと元気に泡立った翌朝。
私は前世の記憶と手つきを呼び覚まし、ついに「柔らかいパン作り」に着手した。
王都から持ってきたわずかな小麦粉と塩、そして水。そこに完成したリンゴ酵母液を惜しみなく混ぜ合わせる。
「しっかり捏ねて、生地に空気を抱かせないとね……!」
前世のPRプランナー時代のタフさと、実家の農家で鍛えた腕力で、生地が滑らかになるまでしっかりと捏ね上げる。
ボウルにラップ代わりに濡れ布巾をかけ、暖炉の横の温かい場所で数時間放置すると――
「すごーい! おねえさま、生地がふくらんでおっきくなってる!」
エリスが声を上げた通り、生地は二倍以上にふっくらと膨らんでいた。
私はそれを一口大に丸め、ルーカスさんから借りた鉄鍋の中に並べた。
暖炉の熾火の中に鉄鍋を入れ、蓋の上にも炭を乗せてじっくりと焼き上げる。
十五分後。
鉄鍋の蓋を開けた瞬間――ふわぁっと、部屋中に香ばしい小麦の香りと、リンゴの爽やかな甘い芳香が爆発するように広がった。
「うわぁぁっ……! すごい、きれいなきつね色……!」
「おお……! これが本当に、あのカチカチの保存パンと同じ材料で作ったものなのか……!?」
父様もエリスも、目の前に並んだふっくらツヤツヤの焼き立てパンに目を丸くしている。
外側はパリッと香ばしく、中は赤ん坊のほっぺのように柔らかくモチモチ。
冷めないうちに焼き立てをちぎって口に運ぶと、小麦の甘みとリンゴ酵母特有のほのかな甘酸っぱさが鼻を抜けた。
「おいしい……! おねえさま、フワフワでお口の中でとけちゃうよぉ……!」
「クゥ~ン!」
エリスが頬を落とさんばかりに微笑み、ルナもパンくずをおいしそうにハフハフと食べている。
(よし……! 大成功! これなら、ルーカスさんとの約束を果たせる!)
私は焼き立てのパンを冷めないよう丁寧に布に包むと、ルナを連れて森の小屋へと急いだ。
「……ルーカスさん!」
小屋の前で薪を割っていたルーカスさんは、私を見るなりどこか呆れたような顔をした。
「なんだ、また来たのか。今日は何の用だ」
「約束の『柔らかいパン』が焼き上がりました! 召し上がってください!」
包みを開けて差し出すと、ルーカスさんの手がピタリと止まった。
黄金色に焼き上がったパンから立ち上る、甘く香ばしい極上の匂い。
ルーカスさんは眉をひそめ、半信半疑のまま、ゴツゴツとした大きな手でパンをひとつ手に取った。
「……バカな。こんな山奥で、本当に柔らかいパンなど……」
一口、噛み締めた瞬間。
ルーカスさんの目が大きく見開かれた。
噛むたびに溢れ出す小麦の旨味と、しっとりとした柔らかい食感。
かつて王都の高級サロンで提供されていたどのパンよりも、遥かに味わい深い本物のパンがそこにあった。
「……美味い」
ぽつりと漏らされた呟き。
ルーカスさんは無言のまま、二口、三口と勢いよくパンを平らげてしまった。
「どうですか、ルーカスさん! リンゴから起こした『酵母』の力です!」
胸を張る私に、ルーカスさんはふっと口元を緩め、頭をゴシゴシと掻いた。
「……参ったな。俺の負けだ。王都の高級職人でもこんなパンは焼けんぞ」
「ふふ、これで『物々交換の取引成立』ですね!」
「ああ、認める。これから薪でも肉でも、必要なものがあればいつでも言ってこい。俺はこのパンの常連になるとしよう」
ぶっきらぼうながらも、ルーカスさんの目には確かな信頼と温かな光が宿っていた。
不毛と言われた極寒の地で、前世の知恵と反骨精神が生み出した「奇跡のパン」。
最高の協力者を味方につけ、私たちの開拓はいよいよ次のステージへと動き出そうとしていた。




