アルスター公爵邸の密談
王都にあるアルスター公爵邸の応接室は、重厚なマホガニーの家具と琥珀色の照明に彩られ、外の喧騒を完全に遮断していた。
ベルベットのソファに腰掛けているのは、この国の政治的中心に座するアルスター公爵ルードヴィヒと、その妻であるエオノーラ夫人。
そして、緊張した面持ちで向かい合っているのはブルーフォレスト伯爵だ。
三人の間に置かれたテーブルには、冷めかけた紅茶のカップが置かれているが、誰もそれに口をつけていない。
場の空気は、これから交わされる話題の重みを物語っていた。
重苦しい沈黙を破ったのは、冷や汗を拭うブルーフォレスト伯爵だった。
「――御公爵閣下、夫人。本日、こうして急ぎお時間をいただいたのは他でもありません。私のこれまでの動きについて、どうしてもご相談と……お詫びを申し上げねばならないと思いまして」
伯爵の神妙な面持ちを見て、ルードヴィヒ公爵は腕を組み、静かにうなずいた。
「ほう、君の方から切り出すとはな。北方のムーツ領――イチカに対する君のバックアップの件か」
「はい……」
伯爵は苦い表情を浮かべ、言葉を絞り出した。
「『孫のようなもの』という私情に流され、あの子を陰に日向に支援して参りました。
ですが、冷静に我が身を振り返り、身震いしたのです。
私の本来の基盤であり主筋である家は、『ハギムーン侯爵家』の派閥に属している。
その私が、同じ王弟殿下を支持する派閥とはいえ、アルスター家の息のかかったムーツ領にここまで肩入れするのは……外から見れば、あまりにも危うい。
『ハギムーン派がアルスターの領域に独自のパイプを伸ばしている』あるいは『二重工作をしている』と、他の派閥に勘ぐられかねません」
エオノーラ夫人は優雅に扇子を開き、困ったような、しかしどこか見透かしたような微笑を浮かべた。
「あら、伯爵。ご自身でお気づきになられたのですね。
私達としても、あなたの誠意やあの娘の才覚を咎めるつもりはありません。
ただ、政治の場では『事実』と同じくらい『どう見えるか』が致命的です。
下手をすれば、王弟殿下の足元を揺るがす派閥間の不和と勘ぐられ、あなた自身がハギムーン内でも窮地に立たされかねませんわよ」
「おっしゃる通りです……!」
伯爵は深く頭を下げた。
「私の個人的な善意が、かえって王弟派とハギムーン家の間に不要な波風を立てる火種になりかねない。だからこそ、ここで私の独走を止めていただくか、あるいは――正式に形を整えていただきたいのです」
ルードヴィヒは細い目をさらに細め、伯爵の真意を探るように見据えた。
「形を整える、とは?」
伯爵は顔を上げ、意を決したようにハッキリと言い切った。
「私個人の勝手な支援ではなく、――『ハギムーン侯爵家の許可と支持のもと、アルスター公爵家と共同でムーツ領および北方の開発・防衛をバックアップする』という大義名分に書き換えさせていただけないでしょうか!」
「……ほう」
ルードヴィヒの眉がわずかに動いた。
「私個人の裏工作ではなく、両家が公認で手を結ぶ、ということか」
「左様でございます!」
伯爵は前のめりに続けた。
「これまでハギムーン侯爵家とアルスター公爵家の中は、良くも悪くもない、いわば不可侵の距離感を保ってきました。
ですが、この北方の動乱やノースシーロード王国との貿易的チャンスを契機に、対外的に明確なパイプを結ぶ。
そうすれば、私の行動は『両家の未来を見据えた公式な共同プロジェクト』という大義を得られます。
王弟殿下の基盤を固める上でも、決して悪い話ではないはずです!」
エオノーラ夫人は扇子で口元を隠し、ふっと楽しげな笑みをこぼした。
「おもしろいわね。私たちアルスター家とハギムーン家が、あの小さな男爵領を共通の『大事な投資先』として、公認で手を取り合うというわけです」
ルードヴィヒはしばらく腕組みをして天井を見上げていたが、やがてフッと不敵な笑みを浮かべた。
「……いいだろう。ハギムーンのあの堅物をどう丸め込むかはあるが、北方の特産品や、ノースシーロード王国との利権をちらつかせれば、乗らざるを得まい」
「御公爵、ご決断いただけますか?」
「あぁ。君がそこまで危機感を持って動いてくれたおかげで、逆に良い口実ができた。
裏でコソコソ動かれるよりも、表立って『我がアルスターとハギムーンが共同でムーツを後押ししている』と宣言した方が、他の野心的な貴族どもへの強烈な牽制になる。
政治的にも旨味が多い」
エオノーラ夫人は紅茶のカップを手に取り、優雅に頷いた。「話はまとまりましたね。では、次の社交の場あたりで、私からハギムーン夫人にそれとなく話を振ってみましょうか。お互いの利害が一致する、最高のお膳立てをしてあげますわ」
ムーツ領での小さな一歩が、自らの保身と大局的な憂いから発せられた伯爵の願いによって、王都の最高権力者たちをも巻き込む大きな政治的同盟へと姿を変えようとしていた。




