厨房の作戦会議
ムーツ領シモキタール男爵邸の厨房。
ノースシーロード王国との会談を控えた晩餐会――その要となるメニューを決めるため、イチカと料理長のレイブンが並んで作業台の前に立っていた。
「それでね、レイブン。今回の会談、相手は北方の重要な使節団だし、こっちの底力を見せつけるようなインパクトのある料理を出したいのよね」
私がそう切り出すと、レイブンは腕を組み、イチカへと向けた。
「王都から持ち帰った例のスパイスも大量にありますし……。さて、どこから手を付けましょうか?」
まずは前菜だ。イチカは持ってきた麻袋をごそごそと漁り、例の「あれ」を取り出した。
「これよ。道中のグンマーで仕入れてきた特産のネギなんだけど……どうにか前菜に使えないかしら?」
ドン、と作業台に置かれたのは、ずっしりと太く、純白の巻きが美しい一本の長ネギだ。
表面の皮を一枚めくれば、瑞々しい断面からフワリと甘い芳香が漂う。
「おっ……これは……」
レイブンはネギを手に取り、まじまじと観察し始めた。
「普通のネギとは密度が違いますね。ずっしりと重く、生でもふわりと強い甘みを感じる。……外皮を剥いてじっくりと火を通せば、驚くほどトロトロに甘くなるタイプのネギですね。『殿様ネギ』の系譜か……あるいは……」
「そうよ! 生だとちょっと強烈だけど、火を通すと信じられないくらい甘くなるのよ」
レイブンは顎に手を当てて少し考え込むと、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「決まりです。こいつを柔らかく火入れして旨味を凝縮し、香ばしく焼いた鴨肉と一緒にテリーヌの仕立てにしよう。王都のスパイスをほんの利かせたソースを添えれば、最初の一皿として文句なしの傑作になります」
「さすがレイブン、話が早い!」
こうして、前菜は『グンマーの特製ネギと鴨肉のテリーヌ』に即決された。
次なる難関は、メインを張るスープ料理だ。
「次はね、ノースシーロード王国を意識して、こういうのを作りたいの」
私はレイブンに、メモを見せながら説明した。
「イカ、タコ、じゃがいも、そしてさっきの極太ネギをふんだんに使って、王都で買ってきたスパイスで煮込んだスープ――『スープカレー』みたいなものを作りたいのよ」
私の言葉に、レイブンはきょとんと首を傾げた。
「すーぷかれー? スパイスで煮込んだ料理なら分かりますが、それは一体どんな代物ですか? 王都でも聞いたことがないです」
「あ、この国にはまだないのね……! じゃあ説明するわ。ある国ではスパイスを何種類も組み合わせて、ゴロゴロ野菜と魚介を煮込んだスープ仕立てのカレーがすごく人気なのよ。かく言う私も、スパイスの配合にはちょっとこだわりがあってね……」
苺香は得意げに、クミン、コリアンダー、ターメリックなどのスパイスの小気味よいバランスをレイブンに伝授した。
半信半疑だったレイブンは、私が手際よくスパイスを炒め、魚介と根菜、そしてネギを放り込んでスープに仕立てる様子をじっと見つめていた。
グツグツと煮立ち、厨房全体にエキゾチックでスパイシーな香りが広がる。
「ほら、食べてみて!」
小さめのカップによそって差し出すと、レイブンは熱々のスープを恐る恐る口に含んだ。
その瞬間、レイブンの目がカッと見開かれた。
「……なんだ、これは……!」
スパイシーな辛さと奥深いスパイスの香りの向こうから、イカとタコから出た濃厚な魚介の旨味、そしてじっくり煮込まれてとろけたジャガイモとネギの圧倒的な甘みが、波のように押し寄せてくる。
「美味い……! 身体の芯から熱くなるようなスパイスの刺激の後に、北の海の幸と大地の野菜の旨味が完璧に調和している。パンを浸して食ったら、それだけで一つの王国がひっくり返るほどの美味さです……!」
レイブンはすっかり感動した様子でスープを飲み干すと、「文句なしです! これをメニューの柱に据えます!」と力強く宣言した。
続いては、肉のメインディッシュだ。
「メインの肉料理は、ムーツ産の鹿肉を使いたいのよね。でも、ソースをどうしようか迷ってて……」
私が悩んでいると、レイブンは王都から持ち帰ったスパイスの棚を眺めながら、ふっと表情を輝かせた。
「それなら、私にアイデアがあります。イチカ様が持ち帰ったあの香り高いハーブとスパイスで鹿肉をマリネし、香ばしく香草焼きにする。そして、ソースには――今が旬の『夏秋イチゴ』の酸味と赤ワインを合わせるんです」
「――イチゴのソース!?」
「そうです。鹿肉の野性味あふれる赤身と香草の香りに、イチゴの甘酸っぱさと赤ワインのコクが絡み合えば、重すぎず、かつ記憶に残る最上のメインになります。どうでしょうか?」
「それ、めちゃくちゃ最高……! それで行きましょう!」
肉のメインは『ムーツ産鹿肉のスパイス香草焼き・赤ワインと夏秋イチゴのソース』に決定した。
最後は、お待ちかねのデザートだ。
「デザートは私に任せて!」
苺香は気合を入れてボウルと小麦粉を取り出した。以前作ったクレープの技術を応用し、サクサクのパイ生地をすばやく焼き上げる。
レイブンが見守る中、苺香は焼き上がった香ばしいパイ生地の間に、「夏秋イチゴジャム」を混ぜ込んだ滑らかなクリームをリズミカルに重ねていく。
数分後、苺香の手元には、幾重にも重なった黄金色のパイと鮮やかな赤が映える、上品で美しいミルフィーユが完成していた。
「はい、どうぞ!」
レイブンがフォークで一口分を切り取り、口に運ぶ。
サクッ、と心地よい音が響き、直後にバターの芳醇な香りと夏秋イチゴの甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
レイブンはしばらく無言で味わったあと、ふっと満足げに深くうなずいた。
「……文句のつけようがないです。サクサクの食感に、肉料理のソースとお揃いのイチゴの酸味が最高の締めくくりになっています」
ネギのテリーヌに始まり、初挑戦の絶品スープカレー、イチゴ香るラム肉のメイン、そしてサクサクのミルフィーユ。
こうして、ノースシーロード王国を迎え撃つための完璧すぎる晩餐会コースの全貌が、無事に厨房で組み上がったのだった。




