悪魔の誘惑! 真夜中の背徳グルメ
夜も更けた頃。
心地よい満腹感に包まれ、それぞれの部屋で静かに休んでいたはずの王弟ジークフリートだったが、どうにも小腹が空いたような気がして、魔導具の明かりを頼りに迎賓館の廊下へと足を踏み出していた。
(……来る途中に説明があったな。この奥に、例の「夜鳴きそば」が食べられる秘密の場所があるとか……)
視線の先、館内の奥まった一角に差しかかったところで、ジークフリートは上品な木彫りの扉が等間隔に並んだ一画を見つけた。
客室にしては狭く、かといって物置にしては妙に独立している。
まるで教会にある「懺悔室」の小部屋がいくつも並んでいるような構造だ。事前に聞いていた通り、そこが噂の場所だった。
「おや、殿下もですか」
声をかけられて振り返ると、そこにはなぜか上品な部屋着姿のビクトリアも立っていた。
お互いに「夜食の誘惑に負けた」という同じ目的であることに気づき、気まずそうに苦笑いを交わす。
その時、スライド式の扉がスーッと開き、エプロン姿のイチカが顔を出した。
「あら、殿下、妃殿下。夜更けにどうなさったのですか?」
「いや……あらかじめ話には聞いていたが、いざ夜になると、あの香ばしい匂いがどうにも我慢できなくなってな……」
ジークフリートがごくりと喉を鳴らすと、イチカはフッと柔らかく微笑んで扉を大きく開いた。
「どうぞ分かれてお入りください」
促されるままに、イチカがスライドさせたそれぞれの扉の小部屋へと足を踏み入れる。
中には一人分の座席と小さなカウンターテーブル、そして目の前を完全に仕切るための小さな開閉式のすりガラス戸が備え付けられていた。
「これは周りの目を一切気にせず、自分の世界に没頭して最高の状態の麺をすすり込めるんです。
王弟殿下のような身分の高いお方だと、夜中に小腹が空いても周囲の目を気にしてお忍びで食べ歩くわけにもいかないじゃないですか。
だからといって普通の広間に夜食を運ぶのも味気ないですし」
「事前に話には聞いていたけれど、まさか本当に自分だけの小さな個室に区切られてしまうなんてね……」
ビクトリアが感心したように呟く。しかし、すぐに現実的な疑問を口にした。
「でも、こんな密室にお通しして、安全面は大丈夫なの? 事前説明では裏でどうにかするとは聞いたけれど……」
「はい、そこは完璧に考えてあります!」
イチカは自信満々に人差し指を立ててみせた。
「この個室、裏側に調理スタッフ用の狭い裏通路が繋がっているんです。王弟殿下がここに座られたら、料理を提供する直前に、まず反対側の厨房側(裏側)のスペースで専属の毒見係にしっかり安全を確認してもらいます。
今回は殿下の毒味係に待機して頂いてます。毒見が済んだら、目の前の小さな扉から丼を差し入れる仕組みにしていますので、セキュリティもプライバシーも完璧に両立できています。」
「……裏側で毒見をして、目の前の小窓から丼を差し入れる、と」
王族の暗殺対策と、一人の客が極上の麺料理に集中するためのシステムをここまで見事に融合させた斜め上の発想に、ジークフリートも思わず感嘆の息を漏らした。
「事前の説明以上のこだわりだな……。いいだろう、その『懺悔室スタイル』とやらで、ぜひ試させてもらおうか」
腰掛けたジークフリートの前に、裏の小窓からシュッと丼が差し入れられた。
そこに現れたのは、透き通った黄金色のスープに細めの麺、きれいに整えられたワイルドボアのチャーシューとメンマ、そして薬味のネギが載った一杯。
「これは……?」
「夜鳴きそば、と呼んでいる特製の麺料理です。旅の夜、少し小腹が空いたときに食べるのに最高の、ちょっとした悪魔的グルメでして」
「悪魔的、か……」
あんなに素晴らしい晩餐を堪能したはずなのに、事前に噂を聞いて期待値が上がっていた分、目の前の個室空間という特等席で湯気立つ一杯からは、どうしようもないほど強い引力が放たれている。
抗えない誘惑に負けたジークフリートが箸を取り、スープを一口啜った瞬間――。
「……ッ! なんだこれは……!!」
鶏ガラや魚介の旨味が凝縮された深いコクのあるスープが、個室の静寂の中で五感を直撃する。
ツルッとした喉越しの麺を夢中ですすり込むと、もはや理性を保つことなど不可能だった。
隣の個室からは、ビクトリアの
「深夜にこんなプライベート空間で食べる背徳の味が……美味しすぎます……!」
という、悶絶するような啜り声が微かに漏れ聞こえてくる。
豪華な迎賓館の設備、極上の温泉とサウナ、大自然の絶景、地元の極上食材をふんだんに使った晩餐、そして事前に聞いていた秘密の個室で味わう背徳の「夜鳴きそば」。
ムーツ領のあまりに規格外でホスピタリティ溢れるおもてなしに、王弟ご一行は完全に胃袋も心も掴まれてしまうのだった。




