甘味の誘惑と魔王火山大噴火
長きにわたるシャンプー、リンス、モイスト石鹸の開発と、その完璧な試作品のお披露目。
脳の糖分をすべて使い果たしたかのような猛烈な疲労感に包まれながら、イチカは自室のベッドに倒れ込んでいた。
(頭使いすぎて、もう限界……っ!)
これだけ知恵を絞り、最高傑作を作り上げたのだ。自分を盛大に甘やかしていい頃合いだ。
無性に、どうしようもなく甘いものが食べたい。脳が、全身の細胞が、極上の甘味と生クリームの塊を欲している。
(そうだ……お菓子を作ろう!)
前世の記憶を掘り起こし、苺香は再び気力を振り絞ると、パタパタと足音を立てて温泉迎賓館のメイド用に作られた小さな厨房へと向かった。
頭が疲れたときのご褒美といえば、王道にして至高のスイーツ
――「ショートケーキ」だ。
幸い、主役の夏秋イチゴはすぐに手に入る。
厨房の調理台に立った苺香は、疲労などどこへやら、パティシエの顔つきになって手際よく作業を進めた。
まずは卵をしっかりと泡立てて、きめ細かくしっとりとしたスポンジケーキを焼き上げる。
香ばしく甘い匂いが厨房いっぱいに広がり、それだけで疲れた脳が癒やされていくようだ。
焼き上がりのスポンジを丁寧にスライスし、たっぷりの砂糖とともに極上のなめらかさに泡立てた生クリームを塗り重ねていく。
そして、隙間なく並べた甘酸っぱい夏秋イチゴの赤が、純白のクリームに映えて実に美しい。
仕上げにトップをイチゴで飾り付ければ、前世の記憶と北国の恵みが融合した、完璧な苺香特製ショートケーキの完成だ。
「ふふふ……できた……!」
我慢できずにその場で一口分を切り分けて口に運ぶと、しっとりとした生地とミルキーな甘さ、そしてイチゴの爽やかな酸味が口いっぱいに広がり、苺香は至福の表情でトロけた。甘いものは正義である。
しばらく至福のティータイムを満喫し、すっかり元気を取り戻したイチカは、ふと気づいた。
「そうだ、この美味しさをエオノーラ様たちにもお裾分けしよっと!」
残りのショートケーキを綺麗に取り分け、再びトレイに乗せると、イチカは意気揚々と迎賓館のサロンへと向かった。
ちょうど紅茶を愉しんでいたエオノーラ夫婦とアリスは、イチカが持ってきた真っ白なクリームと赤いイチゴのケーキを見るなり、上品に目を丸くした。
「まあ、イチカ。それは一体……?」
「さっき作ったデザートなんです! ショートケーキって言います。絶対美味しいので、ぜひ食べてみてください!」
アリスは「お姉様特製のデザートですわね!」と目を輝かせ、さっそくフォークを入れて口に運んだ。直後、彼女は天を仰ぐようにうっとりと頬を染める。
「んんっ……! おいし……! ふわふわの生地にとろけるクリーム、そしてこの甘酸っぱいイチゴのバランスが最高ですお姉様……!」
エオノーラも一口食べ、その上品な甘さと美味しさに驚きの表情を浮かべる。
「本当ね……。甘さが疲れた体に染み渡るような、何とも贅沢な味わいだわ。見た目も華やかで、お茶請けにはこれ以上ない一品よ」
母娘揃って絶賛する中、エオノーラはふと動きを止め、鋭くも洗練された瞳をイチカに向けた。
「……ねえ、イチカ。まさかとは思うけれど、あなた、これ……王弟殿下の来訪に向けたおもてなしの隠し玉として開発したのではなくて?」
エオノーラの問いかけに、苺香はきょとんとした顔で首を傾げた。
「え? いえ、違いますよ。シャンプー作って頭使いすぎて疲れたから、食べたくなって作りました」
――瞬間。
エオノーラから放たれた張り詰めた冷気が、わずか数秒でサロンの空間をピタリと凍りつかせた。床や窓際に白い霜が這い、部屋一帯が文字通り氷の気配に包み込まれる。
「……は?」
「お姉様!?」
エオノーラは持っていたフォークを静かに皿へ置き、恐ろしいほどの美笑を浮かべながら立ち上がった。
「食べたくなったから作った……? なんですって? あなた、今なんて言ったのかしら?」
「ひっ……!」
「我が夫や私ですら唸るほどの至高の甘味、しかもこの圧倒的なビジュアル……。そんな強力な武器を、こともあろうに自分の単なる『おやつ』のために開発して、あまつさえこんな私的な場所で消費しているですって!?」
さらにエオノーラはそのまま淀みなく、冷徹かつ情熱的な声音で畳み掛ける。
「ダメではありませんか、イチカ! 王弟殿下という強敵を懐柔し、ムーツ領の格を見せつけるための最高のカードになり得たというのに、なぜこんな決定的な切り札を忘れて自分の食欲を優先してしまうのですの!」
あまりの迫力に、アリスもおろおろと目を白黒させるばかりだ。エオノーラの青い瞳には、もったいなさ過ぎる宝物を無駄遣いされたことへの怒りと、プロデューサーとしての魂の燃え盛る炎が宿っていた。
「うっ……ごもっともです……!」
正論で詰められてタジタジになるイチカに向かって、エオノーラはビシッと力強く言い放った。
「すぐにうちの副料理長にこのショートケーキの作り方を教えなさい! そして、材料の手配も今すぐ急ぎなさい!」
「イエス、マム!」
と直立不動で敬礼しながら言い苺香はサロンから走って出ていった。
こうして、苺香の気まぐれな糖分補給から始まったショートケーキ作りは、エオノーラの鶴の一声によって、アルスター公爵家の料理人全体を巻き込む一大プロジェクトへと昇華してしまったのだった。




