閑話〜巧妙な罠と極上のもふもふ
(……地獄、だった……)
自分の部屋のベッドに倒れ込むようにして、セレナは天井を見上げていた。
エオノーラ夫人の側仕えたちによる二週間のメイド再教育。
それは優雅な微笑みの裏で、一歩間違えば精神が崩壊しかねないほどの徹底的なスパルタ・プログラムだった。
過酷な特訓の回想が、セレナの脳裏にフラッシュバックする。
『姿勢が少し右に傾いています、セレナ。背骨に一本の鉄の棒が入っているイメージで』
『笑顔はもっと優雅に。ですが、目が据わっているのは減点対象ですわ』
『お盆の上のティーカップを一滴たりとも揺らしてはなりません。もしこぼしたら、今日の紅茶は没収です』
(ひぃぃ……! あのお姉様たちの笑顔、絶対にお飾りじゃなくてガチの処刑人のそれだった……!)
身体の芯からガチガチに凝り固まった筋肉と、すり減った神経。
外向きには完璧なロイヤルメイドを演じきったものの、一人になった途端、セレナの気力は完全にゼロへと収束していた。
今の彼女は、糸の切れた操り人形のように動けない。
(もうダメだ……何も考えたくない……。私の体力と精神力は完全に尽きた……)
だが、ここでじっとしていても、凝り固まった心身は癒やされない。
セレナは這うようにしてベッドから起き上がると、最後の力を振り絞って机の引き出しからある秘密兵器を取り出した。
それは、イチカから分けてもらった特製の「メープル・バタークッキー」。甘い香りがふわりと鼻をかすめる、極上の逸品だ。
セレナは足取りも重く自分の部屋のドアを開けると、廊下をトコトコ歩いてきた小さな影
――愛すべき相棒、胸に白い満月の模様を持つ子グマ・ルナの姿をとらえた。
「ルナ……。助けて……私、今すごく癒やしが必要なの……」
ガサリ、とクッキーの袋を鳴らした瞬間、ルナの丸い耳がピクリと動き、つぶらな瞳が輝いた。
「キュゥ……?」
「そう、美味しいおやつだよ……。さあ、こちらへいらっしゃい……」
クッキーの誘惑に抗えず、トコトコと愛らしくついてきたルナを自室へ招き入れると、セレナはためらうことなくその小さくてもふもふとした丸っこい体にダイブした。
「ふあぁぁぁ……っ!」
顔をうずめた瞬間に広がる、太陽の温もりと極上の毛並み。
そして、胸元の特徴的な満月の模様のあたりから伝わる、柔らかく愛おしい温もり。
「吸う……」
もふもふの胸元に顔をめり込ませ、渾身の力を込めて息を吸い込む。いわゆる「猫吸い」ならぬ、極上の「子グマ吸い」だ。
「はぁぁ……生き返る……」
エオノーラ様のスパルタで削られた精神が、ルナの圧倒的もふもふ力によって修復されていく……
「最高……」
まだあどけない子グマのルナは、クッキーをもらいつつ、大好きなイチカが信頼しているセレナに顔をぐりぐりと押し付けられて「クゥウ……」と心地よさそうに喉を鳴らしている。
冷徹なメイド教育で凍りついていたセレナの心は、極上のもふもふに包まれて、すっかりトロトロに溶かされてしまったのだった。




