魔王の人体錬金術と最終試験
セレナがエオノーラ夫人の側仕えたちによる地獄のメイド再教育――通称「魔王の特訓」へと連れ去られてから、丸二週間が経過した。
その間、イチカは王弟ジークフリート・フォン・イースティアの来訪に向けたリトリート計画の策定や、受け入れ態勢の最終調整に奔走しており、セレナの姿を一度も見かける機会がなかった。
(あの鬼気迫る特訓、いったいどうなっているんだろう……。少し心配だけど、あのセレナのことだからきっと耐え抜いているはず……?)
そんな不安と期待が入り交じる中、王弟殿下の来訪をちょうど一週間後に控えた前日の夕暮れ。
迎賓館のエントランスに、カツン、カツンと完璧に揃った上品な足音が響いた。
扉が開くと、そこに立っていたのは――。
「……お久しぶりです、お嬢様。ご無沙汰しておりました」
背筋が一本の針金のように真っ直ぐに伸び、一ミリの揺らぎもない完璧な姿勢。
メイド服の裾のさばき方から、両手を前で組む角度、そして憂いを帯びた伏し目がちな美しい所作まで、王都の最高峰に仕えるロイヤルメイドそのものの気品をまとったセレナがそこにいた。
「え……? セレナ……なの……?」
イチカはあまりの変貌ぶりに、思わず目を丸くして絶句した。
かつての荒々しさや隙のあった雰囲気が嘘のように消え去り、そこには完璧なまでの「高貴なる側仕え」が佇んでいる。
心の中の苺香が全力でツッコミを入れる。
((2週間で人間ってここまで仕上がるの……!? エオノーラ様の教育、怖すぎるでしょ! スパルタっていうか、もはや人体錬金術レベルだよ……!))
しかし、その圧倒的な変貌に感嘆する間もなく、翌日――いよいよ王弟来訪の1週間前という重要な節目に、最終チェックを行うべくアルスター公爵ルードヴィヒがムーツ領に到着した。
厳戒態勢の中、迎賓館のサロンに通されたルードヴィヒ・フォン・アルスター公爵は、重厚なマントを脱ぎながら、鋭いしかしどこか余裕のある目を部屋中に走らせた。
妻であるエオノーラが隣で優雅に微笑む中、男爵令嬢であるイチカは緊張を押し殺して出迎える。
「よくぞ見事な準備を整えたな、若き男爵令嬢よ」
ルードヴィヒの低い、しかしよく通る声がサロンに響く。
彼は用意された夏秋イチゴのジャムを添えた特製スイーツを口に含み、さらにムーツ領が掲げる「訪れる者が限定される極上のプライベート・リトリート」という新しい開発コンセプトに目を通すと、ふっと満足げな笑みを浮かべた。
「ほう……ただの商業都市を目指すのではなく、この北の果ての秘境感を逆手にとり、選ばれた者だけがたどり着く隠れ家とするか。
……妻のエオノーラがべた褒めするわけだ。この不便さを最高のステータスに変える発想、見事と言わせてもらおう」
その言葉を聞いた瞬間、部屋を包んでいたピリッとした緊張の空気がほどけ、アリスや周囲のスタッフたちから小さなどよめきと安堵の息が漏れた。
――見事、アルスター公爵ルードヴィヒからの「合格」の太鼓判が下りたのだ。
「ありがとうございます、ルードヴィヒ様。この方針に自信を持つことができました」
イチカが胸を撫で下ろし、周囲の面々も「やったわね、お姉様!」とアリスが飛び跳ねんばかりに喜ぶ。
だが、そんな穏やかな空気を引き締めるように、エオノーラ様が美しくも冷徹な笑みを浮かべて言った。
「ふふ、これで最初の関門は突破ね。けれど、浮かれるのはそこまでよ。明後日からは、いよいよ本番の予行演習が始まるわ。……ジークフリート殿下は、これまでの客人とは格が違う。決して気を抜かないことよ」
エオノーラのその言葉に、完璧に仕上がったメイドであるセレナを含め、全員が再びキリッと引き締まった表情で頷く。
北の果ての小さな領地で、最高峰の客人たちを迎えるための最終幕が、静かに、しかし力強く幕を開けようとしていた。




