北の果ての選択と夫人の慧眼
セレナがエオノーラ夫人の側仕えたちによる地獄のメイド再教育(スパルタ特訓)へと連れ去られたその日の午後。
迎賓館の静かなテラスで、苺香は一人、冷めかけた紅茶を前に深く腕を組んでいた。
(王弟殿下の来訪に向けた準備は順調……だけど、この領地をこの先どう発展させていけばいいんだろう)
ムーツ領――王国のはるか北方に位置するこの土地は、半島のように突き出した険しい地形の先にあって、どこか「世界の果て」のような孤立感と、圧倒的な大自然の美しさを合わせ持っている。
領地を大きくしていく異世界ものの王道といえば、街道を整備し、多くの商人や宿場町を誘致して「ヒト・モノ・カネ」を呼び込むことだ。
実際、ラーメン文化やメープルシロップ、夏秋イチゴ、アピオスといった名物は順調に人を惹きつける力を持ち始めている。
しかし、この「地の利」を地図上で俯瞰したとき、苺香の脳裏に一つの疑問と、別の可能性が浮かび上がってきた。
(この街の先には、もう何もない……。無理に一般的な大都市を目指して商人や買い手を大量に呼び込むより、むしろ「この場所の先には何もない」という地理的な不便さや秘境感を逆手にとった方がいいんじゃないか?)
誰もが気軽に行ける場所ではないからこそ、価値がある。
観光地や商業の中心地としてガヤガヤと賑わうのではなく、限られた者しかたどり着けない、知る人ぞ知る「特別な隠れ家」のような領地開発――。
ちょうどそこへ、優雅な足取りでテラスに戻ってきたエオノーラが姿を現した。
苺香は悩ましげな表情を隠さず、その胸の内を率直に打ち明けることにした。
「エオノーラ夫人、少しお時間よろしいでしょうか。……実は、この領地の今後の方向性について悩んでいるんです」
「あら、珍しいわね。あの奇抜で素晴らしいアイデアを次々に出すイチカが悩むなんて。聞かせてくれるかしら?」
エオノーラは向かいの席に腰を下ろすと、興味深そうに微笑んだ。
苺香はテーブルの上に簡単な地図を広げ、自分の考えを言葉にしていく。
「普通に考えれば、商店や商会をたくさん誘致して街を大きくするのが発展の近道なのだと思います。
でも、この街の先にはもう何もない……この行き止まりのような地理的条件は、見方を変えれば最大の個性じゃないかと」
「ほう……?」
「だから、誰でも来られるような大商業都市を目指すのではなく、あえて『訪れる人が限定される領地開発』をした方がいいのではないかと考えているんです。不便さや最果て感を隠すのではなく、むしろそこを最高級の価値にして、選ばれた貴族や本気で癒やしを求める人たちだけがたどり着ける特別な場所にする――そんな方向性は、領主として間違っているでしょうか?」
苺香の提案を聞き終えると、エオノーラはふっと息を呑み、それから感嘆に満ちた美しい笑みを浮かべた。
「……驚いたわ。まさか、そこまで先を見据えていたなんてね」
エオノーラはカップを置き、真剣なまなざしでイチカを見据えた。
「商人を入れて賑わう街なんて、王国中にいくらでもあるわ。どこも似たような活気、似たような喧騒よ。けれど、あなたが言った『訪れる人が限定される領地』……それはつまり、俗世から切り離された『極上のプライベート・リトリート』を構築するということよ」
王都のサロンを知り尽くすエオノーラにとって、その発想は雷に打たれたような衝撃だった。
「本物の特権階級や目の肥えた貴族たちはね、人がごった返す華やかな場所よりも、『自分たちだけの秘密の隠れ家』や『誰に邪魔されない至福の静寂』にこそ、惜しみなく莫大な富を払うものよ。この北の果てという地理こそが、最高のブランド価値になるわ」
エオノーラから投げかけられた力強い肯定と絶賛に、苺香の胸のつかえがスッと消えていく。
商業の拡大ではなく、秘境としての洗練と深化――ムーツ領が目指すべき次なるステージの方向性が、この穏やかな午後にしっかりと定まったのだった。




