朝ラーの洗礼とブルーフォレスト伯爵の来訪
試食会の翌朝。
アルスター公爵夫人エオノーラとアリスは、宿泊している迎賓館の個室カウンター席――昨夜、イチカが「極上夜食カウンター」と名づけた、あの懺悔室を思わせる味集中ブースにいた。
朝食として供されたのは、昨日までの重厚な宮廷料理とは打って変わって、ムーツ特製の温泉成分や植物の灰から作った天然かんすいを練り込んだコシのある自家製麺を、干し貝柱や魚介出汁をベースにした澄んだスープで味わう「朝ラーメン」である。
目の前の小窓がスライドし、厨房側での毒見を経て「シュッ」と差し出された一杯の丼。アリスは目を丸くし、エオノーラもどこか物珍しそうな視線を向けた。
しかし、ひとたび麺をすすりスープを口にした瞬間、ふたりの表情が驚愕に染まった。
「……なにこれ……! 朝の目覚めに、この干し貝柱と魚介の旨味が染み渡るようなスープがたまらないわ……!」
アリスは寝起きとは思えない勢いで箸を動かし、夢中で麺を平らげていく。
エオノーラも上品にスープを飲み干すと、ふうっと息をつき、満足げに微笑んだ。
「なるほどね……。こんな背徳的なメニューを夜中に食べるのも一興だと思っていたけれど、すがすがしい朝に食べるラーメンもまた格別の味わいだわ。これなら、夜に食べるあの濃密な背徳感がいかに魅惑的だったかも心底納得できるというものよ」
二人が迎賓館での朝のひとときを満喫している頃、男爵邸には新たな来客が訪れていた。
海峡サーモンの仕入れでおなじみ、ブルーフォレスト伯爵一家
――気品漂う伯爵夫人と、息子である。彼らは、今後の晩餐会に向けた諸々の調整や、迎賓館でのトレーニングも兼ねて、シモキタール男爵ルキウスから正式に招待されてやってきたのだ。
「おお……これが噂の源泉掛け流しですか。旅の疲れが一気に溶けていくようだ……」
温泉を満喫し、迎賓館の極上の設えにすっかり魅了されたブルーフォレスト伯爵一家は、さっそく滞在をスタートさせ、心も体もリラックスしきっていた。
そして迎えた夜。
夜食の時間になり、再び「極上夜食カウンター」へと案内されたブルーフォレスト伯爵は、初めて体験するこのプライベート空間と、目の前から差し出された「夜鳴きそば」の洗礼を受けることになった。
「なんだこの美味さは……っ! 魚醤やみりん、出汁を煮詰めた深みのある返しに、コシのある自家製麺、そしてスッと体に染み入る背徳の味わい……!」
伯爵の食欲のスイッチが完全に音を立てて入ってしまった。
「すまない、もう一杯!」
「替玉、追加頼む!」
「もう一杯だ!」
個室の小窓から、驚異的なハイペースで何度も替え玉が要求され、厨房のスタッフたちは嬉しい悲鳴を上げつつ大忙しで麺を茹で続ける。
結局、伯爵は深夜の個室で限界を超えるほどの替え玉を平らげ、すっかり骨抜きにされてしまったのだった。
そして翌朝。
昨夜の衝撃が忘れられないブルーフォレスト伯爵は、真っ直ぐにイチカのもとへとやってくると、真剣な眼差しで頭を下げた。
「イチカ嬢! お願いだ、あの『夜鳴きそば』の製法とレシピを我が領にも持ち帰らせてほしい! 破格の買い取り金でも、独占販売の契約でも、望む条件を提示してくれ!」
あまりの必死さに周囲がどよめく中、苺香はふっと柔らかく微笑み、首を横に振った。
「いいえ、お金をいただく必要なんてありませんよ。だって、このラーメンという最高の一杯は、誰かを競わせるためのものじゃなくて、みんなに笑顔になってもらうためのものですから!」
「なっ……これを無償で譲るというのか!?」
「はい! 美味しいものは世界中に広めてこそですし、ブルーフォレスト伯爵領でもたくさんの人を幸せにしてあげてください。それに、いろんな場所でたくさんの人が作るようになれば、お互いに技を競い合って、ラーメンの味はもっともっと美味しく進化していくはずですから! 自家製麺のかんすいの取り方から出汁の取り方まで、レシピはいつでもすべて自由にお渡しします!」
その清々しいまでのオープン精神と、食に対する純粋すぎる情熱に、ブルーフォレスト伯爵はしばらく言葉を失い、やがて深く、深く感服したように頷いた。
こうして、ムーツ発祥の「ラーメン文化」は、エオノーラやアリスの見守る中、陸続きのブルーフォレスト伯爵領へと着実に布教されていくのだった。




