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異世界のむつ市(最北端)へようこそ!  作者: 一条ひかり


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赤いはちみつと、魔法のパン

ルーカスさんから分けてもらった薪と食料のおかげで、私たちはなんとか凍えるような最初の夜を越えることができた。


翌朝。暖炉の火で暖められた廃屋の中で、私は前世の記憶から引き出した知識を整理していた。


(ルーカスさんの援助は本当にありがたい。でも、ただ貰い受けるだけの関係じゃ長続きしない……)


物々交換の対価として、私が差し出せる最大の切り札。


それは、あの奇跡的に手元にある「母さんのイチゴジャム」だった。


王都から持ってきた数個の『硬いパン』。石のようにカチカチで、味気ない保存食だ。


私はそのパンを薄くスライスし、暖炉の火で香ばしく炙ると、大事に大事にイチゴジャムをたっぷりと塗り重ねた。

フワリと部屋中に広がる、太陽を凝縮したような甘く甘美な香り。


「おねえさま……それ、なぁに……? すごくいい匂い……」


「これはね、前世の……ううん、お母様の魔法のジャムよ。エリス、一口食べてみる?」


エリスに小さくちぎって与えると、一口食べた瞬間に瞳をキラキラと輝かせた。


「おいしい……! こんなにあまくて美味しいパン、食べたことないよぉ……!」


「キュゥ~!」


匂いを嗅ぎつけた子グマも膝に飛び乗ってきて、おねだりするように袖を引っ張ってくる。


(よし……これなら、絶対にルーカスさんの心も動かせる!)


私はジャムを塗ったパンを大切に布に包むと、子グマを連れて再び森の奥の木こり小屋へと向かった。


「……また来たのか」


小屋の前で薪を割っていたルーカスさんは、私を見るなり呆れたように息を吐いた。


「昨日の今日で、もう薪が尽きたわけじゃないだろう」


「いいえ! 昨日の素敵なお礼をお持ちしたんです。これ、食べてみてください」


差し出した布を開くと、真っ赤なイチゴジャムが塗られた香ばしいパンが現れた。


ルーカスさんは眉をひそめ、警戒するように鼻を鳴らした。


「……なんだこの匂いは。こんな赤いはちみつのような果実は見たことがないぞ」


「私の実家に伝わる、特別なイチゴのジャムです。どうぞ!」


ルーカスさんは半信半疑のまま、一口大に切ったパンを口へと運んだ。


瞬間――彼の手がぴたりと止まった。


噛みしめるたびに広がる、濃密な甘みと爽やかな酸味。

固かったパンがジャムの水分でほどよく柔らかくなり、極上の焼き菓子のような味わいに変化している。


「……美味い」


ぽつりと漏らした声に、私は心の中でガッツポーズを決めた。


「ルーカスさん。実はお願いがあるんです。このジャムに似た『野いちごの苗』や、もしあれば『リンゴ』のような果実を分けていただけませんか?」


「リンゴ……? 寒さに強い果実なら、裏の囲いに保存してあるが……」


「ぜひ、物々交換させてください! この苗があれば、私はムーツ領でイチゴを育てることができます。


そしてリンゴがあれば……ルーカスさんに、もっと『柔らかくて美味しいパン』を焼いて持ってきますから!」


「柔らかいパンだと……? 王都の貴族が食べるような上等なパンが、こんな森の中で作れるわけがないだろう」


「作れます! リンゴの皮を使って『酵母』を起こせば、カチカチの保存パンじゃなく、ふっくらしたパンが焼けるんです!」


自信満々に胸を張る私を、ルーカスさんはじっと見つめた。


前世の知識――リンゴの表面に付着している天然酵母を培養し、発酵させてパンを膨らませる技術。


不毛の地と言われるこの場所で、本物のパンが焼けるなら、それは何よりの価値になる。


「……フン、面白いことを言う」


ルーカスさんは背を向けると、小屋の裏から大切に保管されていた小さな『野いちごの苗木(数株)』と、丸々とした赤い『リンゴ』を三つ、袋に入れて持ってきてくれた。


「野いちごの苗だ。山に自生しているものだが、寒さに強くて甘い実がなる。リンゴも持って行け」


「ルーカスさん……! ありがとうございます!」


「勘違いするなよ。俺は『柔らかいパン』とやらに投資しただけだ。もし硬いパンのままだったら、二度と口を聞かんからな」


ぶっきらぼうに言い放つルーカスさん。けれど、その目はどこか楽しそうに細められていた。


手に伝わる、イチゴの苗とリンゴの確かな重み。


貴重なイチゴジャムという切り札と引き換えに、私たちはついに「自給自足の農業」と「ルーカスさんとの継続的な物々交換ルート」という、最高の反撃の一手を手に入れたのだった。

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