魔王再降臨と試食会の幕開け
新しく完成した温泉迎賓館のお披露目と視察を兼ねて、アルスター公爵夫人エオノーラとアリスがシモキタール男爵邸へと到着した。
イチカやルーカスらに迎えられたエオノーラたちは、さっそく新設された温泉迎賓館へと足を運ぶ。
館内に足を踏み入れた瞬間、ほのかに漂う上質な木の香りと、心地よい湯の温もりが一行を包み込んだ。
「まあ……素晴らしいわね。旅の疲れが一気に癒やされるような、実に行き届いた設えだわ」
アリスも源泉掛け流しの湯船や、窓から見える豊かな自然の景色に目を輝かせ、心底から寛いだ様子を見せる。
迎賓館の完成度と、領地の着実な発展ぶりに、エオノーラは満足げな笑みを浮かべた。
温泉と施設の視察を和やかに終えたあとは、いよいよ本番の王弟殿下の訪問を見据えた晩餐会メニューの試食会へと移る。
ダイニングに用意された席には、エオノーラとアリス、そして同行してきたアルスター公爵邸の副料理長をはじめとする熟練の料理人数名が並んだ。
北の港町から新たに料理長として迎えたレイヴンが、緊張の面持ちで腕によりをかけたフルコースのラインナップが次々とテーブルに並べられていく。
レイヴンが仕上げた料理の数々はどれも圧倒的に美味しく、アリスも「美味しい……!
素材の良さがダイレクトに引き出されていて、驚きの連続だわ」と目を丸くして称賛した。
しかし、ひと通り箸をつけたエオノーラは、ふうっと息をつき、おだやかながらもどこかシビアな目をレイヴンに向けたのだった。
エオノーラは優雅にナプキンで口元を押さえると、どこか見透かすような、しかし慈愛に満ちた笑みを浮かべてレイヴンを見据えた。
「お味は素晴らしいわ、若い料理人さん。素材の持ち味をここまで引き出す腕前は、そこらの王都の店でも中々お目にかかれないレベルよ」
その言葉にレイヴンがわずかに安堵の表情を見せたのも束の間、エオノーラはスッと目を細めた。
「――ですが、これはあくまで『街の優れたレストラン』の料理であって、『王弟殿下をお迎えする公式の宮廷料理』としては、残念ながら不十分ね」
その言葉に、ダイニングの空気がピリッと引き締まる。レイヴンはハッと息を呑み、悔しそうに拳をぎゅっと握りしめた。
「宮廷の晩餐会に求められるのは、ただ美味しい皿を出すことではないわ。
大人数に対して同時に最高の状態で提供するための組織的な段取り、冷めにくくするための工夫、そして何より一国の貴族を唸らせる『格式』と『プロトコル(儀礼)』の美しさよ。今のあなたのお皿には、その『宮廷の作法』や全体を統率する視点がまだ抜けているわね」
エオノーラの的確すぎる指摘に、レイヴンは歯噛みした。自分の料理が否定されたわけではない。
だが、求められるステージの高さに、自分の経験が追いついていないことを突きつけられたのだ。
沈黙するレイヴンの肩に、ふっと温かい手が置かれた。
振り返ると、エオノーラの背後に控えていたアルスター公爵邸の副料理長が、静かにうなずいていた。
「無理もないさ。街の店と、王族を迎える大広間では、戦い方が全く違うのだからね」
副料理長は懐から几帳面に折り畳まれた資料を取り出し、レイヴンの目の前に広げた。
そこには大人数のコースをミスなく同時進行するための分業体制や、宮廷特有の盛り付けのルールがびっしりと記されていた。
「安心しなさい。夫人も私も、最初から君一人的な力量だけでこの大役をやり通せるとは思っていなかった。……我が公爵家としても、シモキタール男爵領の晴れ舞台を失敗させるわけにはいかないからね」
副料理長はニヤリと不敵に笑う。
「幸い、私を含めた公爵邸の精鋭が何名か同行している。晩餐会までの限られた日数だが、私たちが持てるすべての『宮廷料理のノウハウ』と『大人数を統率する技術』を、徹底的に君に叩き込んであげるよ」
その言葉に、レイヴンは迷いを断ち切るように顔を上げ、深く、そして力強く頭を下げた。
「――お願いします! 俺の料理を、本物の宮廷料理に押し上げてみせます!」
こうして、王都帰りの若手シェフと、アルスター公爵邸のプロフェッショナルたちによる、文字通り死闘のような特訓の日々が幕を開けたのだった。




