極上の歓待に向けた布陣
木の温もりは感じるものの、どこか手狭で簡素な執務室に、香ばしいバターと甘い果実の匂いがふわりと漂っていた。
窓の外では、北国ならではのまだ肌寒さを残す春の風が吹き抜けていくが、室内の空気は穏やかに澄んでいる。
「……よし、王弟殿下をお迎えするおもてなしの全メニュー、これで決定とします!」
イチカが使い込まれた木の机の上に広げた羊皮紙のメモをトントンと指し示す。
そこには、はるばるムーツを訪れてくれる好意的な王弟殿下を心から歓迎し、その期待に応えるための贅沢なフルコースの品書きが綺麗にまとまっていた。
「ふむ。王都の贅沢な晩餐に慣れきった殿下に、ムーツの本当の豊かさを知っていただくには、これ以上ない布陣だな」
腕を組んでメモを覗き込んだルーカスが、感心したように低い声を漏らす。
護衛として常にイチカの側を離れない彼も、この料理のラインナップには食指を動かされているらしかった。
隣では、経理担当のロベルトが几帳面な字で原価と手配のスケジュールを確認しながら小さくうなずく。
「カボチャのポタージュに、ワイルドボアのロースト、そしてアピオスのマッシュ……。どれも領内的資源を最大限に活かした素晴らしい選択です。それにしても、殿下の到着を少し先にしておいて正解でしたね」
「そうね。まだ貴人をお迎えする宿泊施設の整備が万全でなかったこともあるけれど……何より、あの『温室』の秘密をうかがい知られるわけにはいかなかったもの」
イチカはふふんと胸を張った。
王都からやってくる王弟の一行に対しては、あらかじめ
「未開の地ゆえ、殿下をお迎えするにふさわしい宿泊施設の準備にまだ少し手間取っている」と伝えて、到着のスケジュールをあらかじめ後ろ倒しにさせてもらっていたのだ。
王弟自体はムーツに対して好意的で味方してくれる存在だったが、だからこそ、随行する他の官僚や貴族たちに変な詮索をされないよう、温泉熱を利用した極秘の温室などの機密をしっかりと守るための配慮だった。
そして、そのスケジュール調整が、結果的に最高の副産物を生み出してくれた。
「おや、ちょうど良いタイミングですな。ちょうど今の時期は、ツーガル海峡の冷たい荒波で育った極上の『海峡サーモン』と、身の締まった肉厚なホタテの旬真っ盛りです」
そう言って、元代官であるアルフレッドが静かに一歩前へ進み出て、穏やかな笑みを浮かべながら提言する。
「王弟殿下をお迎えするのですから、お魚のメインだけでなく、冷製の前菜としてぜひこのサーモンとホタテのカルパッチョを組み込むべきです。どちらも今がまさに最高の状態ですから、殿下の舌を最初から唸らせる強力な一手になりますよ」
「さすがアルフレッド、目の付け所が違うわね! サーモンもホタテも、今の時期にしか味わえない一番美味しい瞬間だもの、絶対にメニューに加えましょう!」
イチカがパッと表情を輝かせると、ロベルトも「なるほど、旬の海の幸の鮮烈な味わいで幕を開けるわけですね」と感心したようにペンを走らせる。
「おかげで、本来なら少し時期を外すはずの夏秋イチゴも、まさに今最高の状態で収穫できるもの」
ロベルトは眼鏡を押し上げながら、品書きの最終調整に入る。
「お陰様で、当日に向けて万全の状態で最高の食材を揃えることができそうです。事前にここまで完璧な献立が組めれば、あとは当日までの方向性もスムーズに進みますね。前菜からデザートまでの流れはこうです」
1. 冷製前菜:今が旬の極上素材を使った『海峡サーモンとホタテのフレッシュカルパッチョ』。一度も冷凍せずに仕立てた鮮やかなサーモンと肉厚なホタテを、爽やかなハーブとベリーのドレッシングで味わう。
2. スープ:ムーツ名産の極甘カボチャを使った『極上カボチャのポタージュ』。なめらかな舌触りと濃厚な甘みで、ゲストの心を温かく包み込む。
3. 魚料理:氷室でじっくりと旨味を極限まで熟成させた『オーマの大トロステーキ』。これを、北国の爽やかな野いちごのソースと、ミネラルたっぷりの特製塩でシンプルかつ大胆に味わう。
4. 肉料理:同じく氷室熟成の『ワイルドボアのロースト』。その野趣あふれるジューシーな旨味に、栗やピーナッツに似たコクと甘みを持つ『アピオスの濃厚マッシュ』を贅沢に添える。
5. デザート:ムーツ名産のリンゴのコンポートと、到着の頃合いに奇跡のタイミングで収穫されるフレッシュな『夏秋イチゴ』を合わせた、温冷仕立ての特製タルト。
「……サーモンとホタテのカルパッチョに始まり、マグロの大トロステーキ、そしてワイルドボアのローストとはな。イチカ、相変わらず斜め上を行く発想だが……絶対に美味い自信がある」
ルーカスがゴクリと喉を鳴らす。
ロベルトも、「これほどの料理を振る舞われれば、宿泊施設の件でご足労いただいたお詫びどころか、王弟殿下もムーツ領の隠された底力に心から感嘆されるでしょう。
今後の協力関係もより強固になるはずです」と冷静に分析した。
まだ王弟の到着までには少し時間があるが、こうして肝腎の晩餐の布陣は完璧に固まった。
「よし、みんな! 王弟殿下に『ムーツと手をつないで本当によかった』と思っていただける最高のディナーにしましょう!」
イチカの力強い号令に、簡素な執務室の空気が温かな意欲に包まれてキリッと引き締まる。
大切な味方を迎え、万全の態勢で挑むおもてなしの宴。その成功を確信させる、充実した打ち合わせの幕が下りたのだった。




