魔王降臨そして全額出資の連鎖
温泉迎賓館の工事が本格的に動き出した頃、ムーツ領の入口に一際絢爛豪華な馬車の一団が到着した。
国境の警備隊や開拓民たちが緊張の面持ちで道を空ける中、馬車から降り立ったのは――アルスター公爵夫人エレオノーラと、その傍らに寄り添う美しき公爵令嬢でありロベルトの妹であるアリスだった。
「お母様……それにアリスまで!? いったいどうしてここに?」
連絡なしの突然の来訪に、ロベルトさんは目を丸くして駆け寄る。
しかし、エレオノーラはふふっと優雅に微笑み、息子の驚きをさらりと受け流した。
「息子が『美容と健康に効く温泉がある』と大真面目に手紙を送ってきたのですもの。この目で確かめずにおいられますか? アリスも、あなたの話を聞いて興味津々だったのよ」
「ええ、お兄様の手紙があまりに大げさだったから、本当にそんな場所があるのか確かめたくて」
アリスはふふっと上品に微笑みながら、胸をときめかせている。
二人はそのままロベルトさんとイチカの案内で、話題の高台の温泉源へと向かった。
湧き出たばかりの温かな湯にそっと手を浸したエレオノーラとアリスは、その瞬間、目を見張った。
「……まあ。かすかにトロリとした質感で、肌に吸い付くような……。これは確かに、王都のどの化粧水や温泉とも違うわね」
アリスも湯の感触を確かめ、うっとりと頬に手を当てる。
「本当だわ、お母様。ここで定期的に肌を浸していれば、どんな高級品よりも確実に肌の質が底上げされますわ。すごいわね、お兄様!」
「でしょう? 僕の目に狂いはなかったでしょう」
胸を張るロベルトさんに、二人は満足げに頷いた。
続いて一団が向かったのは、最近完成したばかりの巨大なガラス温室だった。
中に入ると、外の冷気とは打って変わった豊かな温かさに包まれ、すくすくと育つ夏秋イチゴの苗と、白い小さな花々が広がっている。
その精巧な構造と、外気温の変化に対して細やかに温度がコントロールされた空間を目の当たりにし、アリスは思わず感嘆の息を漏らした。
「独自の工夫で、これほどの規模で温度を保つとは……。男爵領の開拓地と聞いて侮っておりましたが、見事な技術だわ」
「ええ、本当に驚いたわ。この温室の構造だけでも、国としての価値がある代物ね」
エレオノーラも深く感心し、イチカに向けられる視線には温かな称賛の色が宿る。
ここまでは、すべてが順調すぎるほどの凱旋ムードだった。――あの建物を見るまでは。
視察の最後に、三人はムーツ領の「男爵邸(兼、住居)」の前へと案内された。
そこにあったのは、急ごしらえの開拓地らしさが色濃く残る、お世辞にも格式高いとは言えない質素な建物だった。
「…………」
エレオノーラがピタリと足を止める。
アリスもまた、信じられないものを見る目でその建物と周囲を見渡した。
「ロベルト……」
「は、はい?」
「王弟殿下を、この……野趣あふれる素晴らしい場所にお迎えするおつもりでしたの?」
「い、いえ、それはその、これから迎賓館を……!」
ひきつった笑顔で言い訳する息子をよそに、エレオノーラは冷徹なまでの「公爵夫人」の顔へと切り替わった。
「ダメです。論外だわ。あんな大貴族や王族が泊まれるような代物では到底ありません。
これから王弟殿下が視察にいらしたとき、この男爵邸の有様を見られたら、アルスター公爵家の面目丸つぶれです」
アリスも扇子で口元を押さえながら、呆れたようにため息をついた。
「お母様のおっしゃる通りよ、お兄様。このままでは国家的な失礼にあたりますわ。妹としても恥ずかしいわよ」
エレオノーラは懐から優雅に扇子を取り出すと、ズバリと言い放った。
「よろしい。高台の温泉迎賓館だけではありません。この男爵邸およびその周辺の迎賓エリア一帯も、すべて根本から建て替えます!」
「えっ、全部ですか……!?」
イチカと思わず声を揃えると、エレオノーラは当然のように微笑んだ。
「もちろん全額、アルスター公爵家が出資します。王弟殿下を胸を張ってお迎えできる最高の迎賓施設を、今すぐここに作りなさい。――いいですね、ロベルト?」
「は、はっ! 全力で任せてください、お母様!」
こうして、ムーツ領にはさらなる莫大な公爵家の予算が投下されることになり、ロベルトさんとイチカは冷や汗を流しつつも、新たな巨大建築計画へと巻き込まれていくのだった。




