芽吹く期待と新たな商談
3月末。
まだ冷たい風が吹き抜けるムーツ領の開拓地に、眩いばかりの光を放つ巨大なガラス温室が完成した。
外の気温はまだ冬の名残をとどめているが、分厚いガラスに守られた温室の内部は、太陽の光をしっかりと溜め込み、春の訪れを先取りしたような穏やかな温かさに満ちている。
イチカとロベルト、そしてセレナの三人は、ルーカスが見繕ってくれた希少な「夏秋イチゴ」の苗を、丁寧に耕された畝へと一本ずつ植え付けていっていた。
「ふう……これで、すべての苗の定植が完了ですね」
泥まみれになった軍手を外し、額の汗を拭いながらロベルトが大きく息を吐き出す。
貴族の三男とは思えないほど板についてきた手つきで、植えられたばかりの小さな緑の苗を見つめた。
「あとは、温度と湿度の管理を徹底しつつ、根がしっかりと張るのを待つだけです。この規模の施設をここまで形にできるとは、我ながら良い経験になりました」
「みんなが力を合わせてくれたおかげよ」
イチカは微笑みながら、ガラス越しに広がる青空を見上げた。
「王都では今頃、私たちの『ルナ・ソレイユ』のリンゴジャムやアピオスペーストが話題になっている頃だわ。そのブランドに、この夏秋イチゴが加われば――」
「王都の貴族や美食家たちの度肝を抜くことができる、というわけですね」
ロベルトの口元に、自信に満ちた商人の笑みが浮かぶ。
「任せてください。収穫の時期に合わせて王都の高級サロンや有力な商会へアプローチするための根回しは、僕が裏で完璧に進めておきます。
ただ美味しいイチゴを作るだけじゃなく、最高値で売り抜くためのブランディングこそ、僕の専門分野ですから」
頼もしい相棒を得て、イチカの胸にも確かな手応えが広がっていた。
人間の知恵と汗、そして確かな資本投資によって築き上げられたムーツ領の新しい産業
――『ルナ・ソレイユ』の心臓部は、春の土の中で静かに、しかし力強く命を芽吹かせ始めている。
それから数週間、季節は着実に春から初夏へと移り変わっていく。
温室の中ですくすくと育つイチゴの苗は順調に葉を増やし、やがて白い小さな花を咲かせ始めた。
そのニュースは瞬く間にムーツ領全体を活気づけ、オーマ村の漁師たちとの間でも「いよいよあの甘いイチゴができるらしいぞ」と次の宴の期待が高まっていた。
そんなある日。
ムーツ領の入口に、見慣れない一通の手紙が届いた。
差出人は――シルヴァ商会の会長であり、かつてイチカの才能にいち早く着目したカトリーナだった。
『――夏秋イチゴの栽培が順調に進んでいると聞き、居ても立ってもいられず筆をとりました。実は、王都で私たちのブランドに目をつけた新たな大口の顧客が、直接ムーツ領の視察を希望しているのですが……』
手紙に綴られたその文字を見た瞬間、イチカとロベルトは顔を見合わせた。
ついに、ムーツ領の挑戦が王都の「本丸」を動かし始める――!




