資本の全ツッパとガラス温室の完成
大量の夏秋イチゴの苗が無事にムーツ領へと届いた翌日。
イチカはルーカス、セレナ、そして新たに加わったロベルトを呼び集め、広大な開拓地の片隅で大きく息を吸い込んだ。
「みんな、集まってくれてありがとう。いよいよ本格的に『夏秋イチゴ』の栽培を始めるわ。……といっても、ただ畑に植えるだけじゃない。私たちが目指すのは、王都の貴族や美食家たちを一年中唸らせる『最高級ブランド』の確立よ」
そう言ってイチカが机の上に広げたのは、自ら描き上げた緻密な設計図だった。
そこには、木造の頑丈な骨組みに、分厚い板ガラスを隙間なく嵌め込んだ巨大な建物の図面が描かれている。
「これは――?」
ロベルトが設計図を覗き込み、思わず絶句した。
「ガラス……? この辺境の村で、こんなに大量のガラスを使って一体何をするつもりですか!?」
「温室を作るの」
イチカはきっぱりと言い放った。
「夏や秋の強すぎる日差し、冷たい雨、そしてムーツ領の厳しい気候からイチゴの苗を守り、内部の温度と湿度を完全にコントロールする。そうすれば、他の地域では絶対に真似できないオフシーズンの収穫が可能になるわ」
ロベルトは設計図とイチカの顔を交互に見つめ、冷や汗を流しながら頭を抱えた。
「正気ですか……!? ガラスというのはただでさえ高価な輸入品だ。それだけの量を一度に調達するなんて……!」
「資金ならあるわ」
イチカは迷いなく答えた。
「これまでにリンゴジャムのヒットや、アピオスペーストの流通で稼ぎ出した利益、そのすべてをこの温室の建設に全額投資するの」
その言葉に、温室の脇で控えていたルーカスが頼もしそうに腕を組んでフッと笑った。
「さすがだな、イチカ。守りに入らず、勝負所ですべてを賭けるその度胸、嫌いじゃないぜ」
「ルーカスさんまで……!」
ロベルトは頭を抱えつつも、やがてその瞳に鋭い商人の光を宿した。
冷静さを取り戻したロベルトは、手元の設計図を指でなぞりながら、頭の中で瞬時に損益計算を弾き出す。
「……確かに、他の産地が作れない時期に最高品質のイチゴを独占供給できれば、初期投資の回収など数シーズンで余裕でお釣りが来る。リスクは最大級ですが、リターンもまた天文学的だ……っ!」
計算を終えたロベルトは、すっと顔を上げると、先ほどまでの怯えを消し去って不敵に笑ってみせた。
「いいでしょう。そこまで言うなら、このロベルトがアルスター公爵家の名にかけて、資材の調達から職人たちの手配、そして建築の指揮のすべてを完璧にやり遂げてみせます!」
こうして、人間の知恵と資金力を総動員した一大プロジェクトが幕を開けた。
それから数週間後。
職人たちとロベルトの鬼気迫る指揮のもと、ついにガラス温室の建設が最終局面を迎えていた。
朝から吹き付ける冷たい風を遮るため、最後の天井ガラスを固定する大がかりな作業が行われている。
職人たちが息を合わせ、重いガラス板を慎重に持ち上げる。
「せーの……っ、よし、そのままゆっくり下ろせ!」
ロベルトが泥まみれになりながら声を張り上げ、ルーカスが力強くその木枠を支えている。
セレナも周囲の安全を確認しながら、テキパキと工具を渡していく。
みんながそれぞれの持ち場で、ムーツ領の未来をかけたこの一大プロジェクトを成功させようと必死に汗を流している姿を見つめながら、イチカはふと、ぽつんと立ち尽くしていた。
何もない荒地だったこの場所に、自分たちの手でインフラを整え、資金をかき集め、仲間たちと共にここまで這い上がってきた。
その過酷で、しかし確かな足跡を噛み締めた瞬間――。
なぜか、苺香の脳裏の奥底で、かつて前世で聞いた――荒野を照らす星のように、名もなき者たちの奮闘を描いた壮大なドキュメンタリーのテーマ曲が、鮮やかに鳴り響き始めた。
(――誰もが、それぞれの場所で奮闘して、泥まみれになりながら、自分たちの『星』を掴もうとしている……!)
頭の中で響くメロディに合わせて、これまでの苦労が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
王都での理不尽な迫害、冷え切った過去の人間関係、ゼロからのスタートだったムーツ領の開拓、そしてオーマ村での小さな温もりや、ルーカスがこっそり託してくれた夏秋イチゴの苗の重み。
すべてがこのガラス温室という「要塞」のなかに結実していく。
胸が熱くなり、目頭がグッと熱くなるのを、イチカは必死にこらえた。
彼女は自分の頬を軽く叩き、気合を入れ直すと、みんなに負けない大きな声で叫んだ。
「みなさん、ラストスパートです! 最後まで気をつけていきましょう――っ!」
イチカの透き通るような声に押されるように、職人たちが最後の力を振り絞る。
カチャリ、と重い音がして、最後のガラス板がしっかりと木枠に嵌め込まれた。
その瞬間――。
雲の隙間から差し込んだ強い初夏の陽光が、無数のガラス窓を透過し、温室の内側を眩いばかりの黄金色の光で満たし尽くした。
完成したばかりの巨大なガラス温室が、まるで大地に降り立った本物の「星」のように、きらきらと輝きを放ち始める。
過酷な運命に抗い、自らの手で未来を切り拓く者たちの拠点
――『ルナ・ソレイユ』の心臓部が、いま、ここに完成したのだった。




