オーマ村の恵みと炙り大トロの衝撃
王都での大成功を経て、馬車は活気を取り戻しつつあるムーツ領へと戻ってきた。
旅の疲れを癒やす間もなく、イチカは拠点での業務に追われていたが、そんなある日、隣接する漁師村――オーマ村から一通の招待状が届いた。
「イチカさん、オーマ村の村長からだ。何でも、今年のマグロがかつてないほど大量に揚がったから、ぜひ村へ来てごちそうさせてほしいってさ」
そう言って笑うルーカスの後ろで、お供として同行しているセレナも興味深そうに手紙を覗き込んでいる。
「マグロ? 確か、海の近くの村で採れる大きな回遊魚だよな。美味しいけれど、身が大きすぎて調理が大変じゃなかったか?」
「ふふ、実はオーマ村の人たちとは、以前からちょっとした縁があって……」
イチカは懐かしそうに微笑んだ。
思い返せば、これまでムーツ領の開拓や特産品づくりの合間に、乾燥させて味付けした余った貝ひものおつまみを、オーマ村の漁師たちに気前よく分けてあげていたのだ。
仕事の合間に摘まむのに絶品だと、それがいつの間にか漁師の間で大評判になり、村全体で語り草になるほど感謝されていたらしい。
「せっかくのお誘いだし、みんなで行きましょう! セレナさんも、本場の海の幸はきっと驚きますよ」
こうして、イチカとルーカス、そしてセレナの一行は、潮の香りが心地よいオーマ村へと足を運んだのだった。
オーマ村の浜辺は、巨大なマグロの解体に沸き返っていた。
「よく来てくれたな、イチカさん! あんたがくれる極上の貝ひものおかげで、日々の仕事の疲れが吹き飛ぶよ。今日は思いっきり腹いっぱい食っていってくれ!」
村長に案内された宴の席には、赤身の刺身や豪快な焼き魚が所狭しと並んでいた。
「うわあ、すごい……! こんなに大きな魚、初めて見たわ」
セレナが目を輝かせ、イチカも「いただきます!」と新鮮な赤身を口に運んでその濃厚な旨みに感動する。
しかしその時、解体場の一角で漁師たちが頭を抱えて何やら話し込んでいるのが目に入った。
「おい、この腹のあたりの身……脂がギトギトしてて、生で食うとクどいし、すぐに傷むから売り物にならねぇよ。もったいねぇが、捨てるしか……」
漁師が、大量の真っ白な脂をまとった「大トロ」の塊を、まさに廃棄用の木箱へ放り込もうと大きく振りかざした。
それを目撃した瞬間、イチカの脳裏で前世――日本でPRやマーケティングの会社員としてグルメな友人たちと食べ歩きを楽しんでいた「苺香」の記憶がパッと鮮やかにスパークした。
(――待ってよ! そこ、グルメ雑誌や高級店で一番もてはやされる最高の部位じゃん……っ!!)
「ちょっと待ってください――っ!!」
イチカは思わず身体ごと飛び出し、ダッと砂浜を駆けてその漁師の腕をガシッと掴んだ。
突然止められた漁師は目を丸くしてぽかんとしている。
「お、イチカさん? どうしたんだそんなに慌てて。腹のこの脂身はなあ、ベタベタして臭みもあるし、うちじゃ誰も食わねぇから捨てちまうんだよ。猫もまたいで通るくらいだからな」
「捨てるなんてとんでもないです! それ、一番美味しい極上の部位なんですから!」
前世で知識として知っていた高級食材の価値に突き動かされるように、イチカは息を整えながら力強く言い切った。
「ちゃんと脂の落とし方と火入れを工夫すれば、信じられないくらい美味しくなるんです! 私に調理させてください!」
半信半疑ながらも、日頃から美味しいおつまみをくれるイチカの気迫に押された漁師たちは、「お、おう……そこまで言うなら好きに使ってくれ」と調理場を貸してくれた。
イチカはすぐに炭火を起こさせると、厚切りにしたその大トロの表面を、絶妙な加減でじっくりと火で炙っていく。
ジューシーな脂が炭に落ちてパチパチと香ばしい音を立て、醤油の焦げる匂いと極上の脂の香りが、浜辺の一帯にフワッと広がっていった。
表面がうっすらきつね色に染まり、中の身が半透明のとろける状態になったところで、イチカはそれを手早く盛り付けた。
「お待たせしました。……『マグロの炙りトロ』です!」
まずは味見にと、漁師たちとルーカス、セレナの前にそれが差し出された。
「ふむ、さっきまでの脂っこさが嘘のように、香ばしくていい匂いはするが……」
ルーカスが半信半疑といった表情で、その一切れを口に運んだ。
瞬間。
ルーカスの全身がビクッと激しく震えた。
その瞳孔が開き、彼の脳裏で雷鳴が轟くような衝撃が走る。
(な、なんだこの感覚は……っ!?)
ルーカスの背後から、突如として幻の黄金色の光が溢れ出し、波の音が和風の荘厳な琴の音色へと変わったような気がした。
彼の脳内では、荒波を力強く泳ぐ巨大なマグロが黄金の海原をダイナミックに跳ね回り、その圧倒的な生命力が彼の味覚を物理的に殴りつけてくる。
「うまああああああああいっっ!!!」
ルーカスは天を仰ぐようにけぞり、両手を大きく広げて叫んだ。
口に入れた瞬間、トロリと舌の上で溶けた脂が、香ばしい焦がし醤油の風味と一体となって全身の神経を駆け巡る。
海の恵みの濃厚な甘みと旨みが、まるで波濤の如く押し寄せては引いていく。
「なんだこの脂の甘みは……! 口の中で肉汁のように溶けて消えるぞ……っ! 旨みが脳天まで突き抜ける……これのどこが『捨て部位』だ、海の宝石の塊じゃないか……っ!!」
あまりの美味しさに、ルーカスの背中にはなぜか気高き「味皇」の如き気迫のオーラが宿り、目を見開いたまま魂が抜けかけたように固まっている。
そのあまりに劇的なリアクションに、周囲の漁師たちはぽかんと口を開け、数秒の沈黙のあと、恐る恐る自分たちも炙りトロを口に運んだ。
「――っ!? な、なんだこれ……! うまっ!!」
「とろけるぞ!? 俺たちが今までゴミ箱に捨てようとしてたのは、こんな極上の美味い肉だったのか……っ!?」
浜辺のあちこちから、驚愕と歓喜の雄叫びが上がった。
セレナも一口食べて「……っ、嘘……お口の中で消えちゃった……これ、本当にお魚なの?」と目を丸くしてイチカの手をぎゅっと掴んでいる。
「ふふ、ね? 美味しいでしょう?」
得意げに微笑むイチカの周りに、オーマ村の漁師たちが「イチカさん、あんたは女神様か……!」「この炙りの技術、うちの村の定番にしてくれ!」と大歓声で群がってきた。
貝ひものお礼から始まった小さな交流は、オーマ村とムーツ領に新たな「絶品グルメ」という最強のシナジーをもたらし、浜辺の宴はさらに熱気と笑顔に包まれていくのだった。




