静かな夜の回想とそれぞれの胸の内
指定された宿泊先の部屋に戻り、ようやく肩の荷を下ろしたイチカは、深く大きなため息をついた。
「はあ……、無事に終わって本当によかった……」
エオノーラ夫人との面談。あの張り詰めた冷徹な空気から始まり、最後には温かい言葉をかけてもらうまでの流れを思い返し、イチカはベッドの縁に腰掛けながらじんわりと胸をなで下ろした。
査定をクリアし、ブランドのバックアップまで取り付けることができた安堵感は、心地よい疲労感とともに全身を包み込んでいた。
ふと、夫人の凛とした佇まいや、厳しさの奥にある深い慈愛を思い出す。
規律を重んじ、決して甘やかさないその姿勢は、どこか厳格でありながら愛情深かった母親の姿を思い出させた。
10年前に亡くなった母に重なるその面影に、イチカの胸の奥がキュッと締め付けられるような、切なくも温かい懐かしさが広がる。
(お母様……私、こうして自分の足で、新しい一歩を踏み出せたわよ)
心の中でそっと母に報告すると、自然と笑みがこぼれた。
そして、もう一人の人物へと思考が切り替わる。
応接室での一幕――エオノーラ夫人が鋭い眼光で見抜いた、ルーカスの正体についてだ。
「……ルーカスさん、か」
ただの護衛や荒くれ者ではないことは、これまでの道中でもう気付いていた。夫人が「王都の騎士団で名を馳せていたお方」と尋ねた時、彼は鮮やかに、しかしどこか優雅にそれをかわしてみせた。元・騎士団副団長という経歴は、彼の振る舞いや佇まいを考えれば十分にあり得る話だった。
(あんなにはっきりと見抜かれかけても、あんなふうに涼しい顔ではぐらかせるなんてね……)
イチカはクスリと小さく笑った後、ふっと表情を引き締めて首を横に振った。
彼が自分の過去を語らないのには、それなりの理由や事情があるのだろう。
無理に詮索して暴くような真似は野暮というものだ。本人がいつか話す気になってくれるまでは、自分から踏み込むまい
――イチカは心の中でそうそっと決意した。
窓の外を見上げれば、王都の夜空には静かに月が輝いている。
明日からは、デザイナーとの打ち合わせや王都での本格的な準備が待っている。
大きく動き出した運命の歯車を感じながら、イチカは明日への活力を養うように、静かに目を閉じるのだった。




